一百五十二時限目 その時彼は掌を返す
「特に無いなら、僕は部屋に戻りますよ」
「いや、悪いけどもう少し付き合ってもらえないかな」
立ち上がり、ドアノブに手を掛けた奏翔君を呼び止める。
奏翔君はやや食傷気味なうんざり顔を浮かべながら、ゆっくりと振り向いた。
まだ、月ノ宮さんの薄ら笑いは健在で、僕がこの状況をどうやってひっくり返すのかと、高みの見物を決め込んでいる。
深呼吸をして息を整えてから、目線を奏翔君に合わせた。
「僕も、奏翔君がクリスマスパーティーに来て欲しいと思ってる」
「その話は先程断りましたけど」
奏翔君は眼を細めて、口を尖らせながら言う。
「そうだね。僕は奏翔君の意思を尊重するよ、……僕が話したいのは別件だ」
「別件?」
思わず口が滑ったかのように、月ノ宮さんが反応すると、奏翔君以外の二人も『何の話をする気だ?』という眼を僕に向ける。
「奏翔君は、一人暮らしがしたいんだよね」
「……ええ、まあ」
先程、奏翔君は月ノ宮さんの質問に対して『誰にも干渉されない、一人になれる環境』と答えている。つまり『一人暮らしがしたい』という事だ。この条件を月ノ宮さんは引き受けるわけにもいかないので、大人しく引きさがったけど、この部分に、奏翔君が抱えている闇を感じて、僕はその闇に、一抹の既視感を覚えてならない。
「一人暮らしをしながら高校に通うのは大変だけど、それに対してちゃんとプランニングは出来ているのかな? 高校生活は君が思っているよりも大変だよ。勉強が出来ればいいというわけじゃない。一人で暮らすということは、衣食住を自分一人で賄わなければならないんだ。仮に全寮制の高校に行ったとしても、その問題は常に付き纏う──誰にも頼らずに生活するなんて、簡単にできるものじゃないと思うよ」
僕が話をしている間、奏翔君は痛い所を突かれたと、苦虫を噛み潰したような表情を浮かべながら反論を考えていたのだろうけど、奏翔君が口を開くタイミングを見計らって、僕は矢継ぎ早に畳み掛けた。
「更に言わせてもらうと、寮に入った所で誰にも干渉されないなんて事は無い。そこにはルールが存在して、必ず誰かが干渉してくる……違うかな?」
「そうですね……けど僕は、こ──」
「この家から離れられたらそれでいい」
続く言葉を言い当てられた奏翔君は、動揺を隠せずに眼を丸くした。
「自分と姉の血が繋がっていないと知って、どうやって接すればいいのかわからなくなったんじゃないかな。そして次第に、その事実を隠していた両親にも怒りが込み上げて、収まりきれなくなった。だから、自分が一人になる事で、時間が解決する──そう思ったんじゃない?」
「……鶴賀先輩って、もしかして性格悪いって言われませんか」
「そこに関しては否定しないよ。僕はこの中で一番捻くれてるって自覚もあるからね」
「自慢になってないですよ……」
腹黒さで言えば、月ノ宮さんの足元にも及ばないけど……なんて、噯にも出すわけにはいかない。
「離れて暮らせば、確かに時間が解決してくれる。……でもね」
ここで言葉を途切ったのは、ここから先の話はリスクが高いからだ。奏翔君が逆上する可能性もあるし、天野さんが止めに入る可能性もある──そう思い、ちらりと天野さんを視ると、天野さんは僕の視線に頷きで返した。
それを了承と受け取り、
「その解決は解決じゃない、……解消だ」
「かいしょう……?」
「一度解けた糸を結ぶには、その糸を結ぶ努力をしなければならない。でも、仏が気紛れに垂らした蜘蛛の糸は、二度と垂らされる事は無いんだよ。カンダタがその後どうなったのか、奏翔君も想像できるよね。奏翔君が進もうとしている道の先に〝和解〟は無い。あるのは途切れた糸の片方だけ。そして、君はいつまでもその途切れた糸を眺めながら、〝どうしてあの時、ちゃんと話合わなかったんだろう〟と後悔するだろう」
芥川龍之介の〈蜘蛛の糸〉を引き合いに出したのは、この作品の結末が『不条理な結果』だと思ったからだけど、……主旨は伝わったらしい。
奏翔君はどう返答する事もできなくなり押し黙る。重苦しい沈黙が、部屋の中を支配しているかのようだった。
言葉を発するのが躊躇われる状況で、口元の薄ら笑いを無くした月ノ宮さんだけが、
「あの」
と、僕に抵抗を示した。
「優志さんの話は一理ありますけど、ここでそれを言及しても空気を悪くするだけです。奏翔さんも困っているじゃないですか。さすがに大人げ無いですよ」
その言葉に光を視た奏翔君の眼に、再び輝きが戻る。でも──
「大人げ無い、か……たしかに僕は大人げ無いかもしれない。でも、僕らは相応にして子供だよ。間違いだってするし、理性を無くして感情的にもなる。それを正せるのも僕ら子供じゃないかな? 往々に間違えて、反省しながら成長するのも子供だからだよ」
そして──
「だから僕は、〝あの頃はよかった〟なんて言いながら、感傷に浸る大人にはなりたくない。選択肢はいつも頭の中にあって、それを選んだのは自分なんだから、その選択を誇れる大人になりたいと思ってる」
諦めでもなく、達観でもなく、岡目八目盤面を視るでもない。現実は常に二者択一を迫り、間違える方に甘い蜜を用意するけど、それを選んだ後が本当の選択なんだ。僕が選んだ選択肢だって、その時はそれがベストだと信じたから。その選択に対して『別の選択をしていたら』と後悔しても遅い──だから僕は、諦観する事に終止符を打って、もう一度始める事を選んだんだ。いつも僕が自問自答するのは、その先にある選択肢を増やす為であり、裏技やチートができるゲームとは違って、現実は最も残酷だから、手札を増やして対応するしかない。
「それは鶴賀先輩の考えですよね、……僕は先輩のように割り切れない」
「わかってる。だから奏翔君の意思を尊重すると最初に言ったんだ。でも、蟠りが残っているなら、それを解消した後に、一人暮らしについて考えてもいいんじゃないかな?」
「……」
これ以上、奏翔君に言葉をかけても無意味だろう。
僕は再び月ノ宮さんに視線を移す。
月ノ宮さんは悔しがるような素振りは視せず、それ所かむしろ、連山の眉を顰めるでもなく、『こうなる事も想定していた』と言わんばかりの涼しげな表情を見せる──まだ、何か企んでいるのだろうか。
再び訪れた沈黙に『発言権が移った』と感じたのか、月ノ宮さんはゆっくりと開口した。
「……それなら、尚更の事、クリスマスパーティーに出席してはいかがでしょうか?」
「え?」
奏翔君は脈絡の無い提案に対して、その意とする情報がどこにあるのかわからず、つい口から疑問が零れたようだ。
「仲直りというべきかはわかりませんが、何か取っかかりがなければお互い素直になれないでしょうし、優志さんの言葉を借りるならば、このイベントこそ、〝仏が垂らした蜘蛛の糸〟なのでは? と考えたのです」
「パーティーは人数が多いほど盛り上がる! ……ってこと?」
春原さんは途中まで自信満々だったが、途中から言葉尻が弱くなり、小首を傾げながら、最後は疑問詞で締めた──多分、半分正解で半分間違いだろう。話の取っかかりを作ると言うだけで、盛り上がる云々はまた別だ。
「私はいいけど……奏翔はどう?」
天野さんは心配そうに奏翔君を見つめる。
奏翔君には、自分が問題の発信源であるという自覚もあるから、首を縦に振るのを躊躇っているようだ。しかも、その取っかかりというのが『パーティー』というのだから尚更だろう。気まずい雰囲気のままで、場の空気を白けさせたりはしないだろうかという懸念も感じているはずだ。
だから、その問題を排除する──
「別に、クリスマスパーティーなんてしなくてもいいんじゃないかな」
まるで掌返しのような発言に、その場が更に凍りついたが、お生憎様、雪はまだ降らない。
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by 瀬野 或
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・2019年6月16日……誤字報告による修正。
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