一百三十五時限目 月ノ宮楓の提案はいつも壮大過ぎる
昨日から降っている雨は未だ晴れず、今日も蛇口を捻ったような勢いで地面を黒く染めている。明日は晴れるらしいけど、それは当たるも八卦当たらぬも八卦。川を氾濫させる程の勢いが、明日にはすっぱりと無くなるなんて俄に信じ難い話だが、これ以上降られても迷惑なのでそろそろ止んで欲しいものだ。
僕は教室の窓辺で、グラウンドの水溜りを視ながら物憂げに思っていた。
雨の日は退屈だけど、それは今に始まった事では無い。
こうして窓の外を眺めながら、手元に開いた本に眼を通すのが日課になっている僕からすれば、雨が降ろうと降らなからろうと、学校は退屈な施設に過ぎない。
そんな僕とは打って変わって、陰気になってしまいそうな思考回路を妨げるような、あっけらかんな声が教室に響いた。
「えぇ!? ワトソン君、クリスマスはぼっち確定なのかい!?」
やたら騒がしいのは佐竹だけだと思っていたけれど、声が高い分、佐竹以上に煩い……いや、喧しいと言うべきだろう。
声の主に視線が集まると、ワトソン君はあわあわとしながら相方であるツインテール幼女になったシャーロック・ホームズに「ちょっと! 声が大きいわよ!?」と注意した。
人の顔と名前を覚えるのが苦手な僕でも、あそこまで強烈なキャラクターなら自然に覚えてしまう。
あの幼女の名前は関根泉。
幼女といっても、幼子というわけではない。
僕と同い年の女の子だが、どうやら成長が中学で止まってしまったらしく、視たまんまだと小学生と間違われるのではないかと思えるくらいの童顔で、それを強調するかのような若干のアニメ声。月ノ宮さんや天野さんを花で喩えるなら、水面に浮かぶ青い睡蓮と、情熱的な紅の薔薇だが、関根さんはそれとは対極的に、陽気な向日葵のような女の子だ。『好きな女子ランキング』に載る事は無いが、それは恐らく関根さんを好きと言えば『ロリコンかよ』と馬鹿にされるからだろう。
視ただけの愛くるしさで言えば月ノ宮さんも天野さんも敵わない。……けれど、関根さんの性格はちょっとおかしいというか、言動がぶっ飛んでるというか、他にも色々とあって変人扱いを受けている。まあ、頭のネジが何一〇本か抜けているけれど、悪い子ではない──と思うけど、その真相は解明されずに今に至る。
「クリスマスか……」
もうそんな時期が迫っている事に驚きだが、今年もサンタは来ないだろう。順当にいけば「ほれ、クリスマスプレゼントじゃい」と、鶴賀組の親父から現生が一枚支給されるはずだ。どうせ今年も一人で過ごす事になるのなら、受け取った諭吉でゲームでも買って、冬休み中明け暮れるのも悪くない。それとも久し振りに本屋に行って、贔屓にしている作家の本でも買おうか? おお、なんだか楽しみになってきた。クリスマス万歳!
……虚しさに打ちひしがれそうだ。
* * *
「数学が終わった後の昼休みの開放感は神だな!」
まるで小学生のような感想を恥ずかしがるような素振りも見せずに言ってのけたのは、僕の前の席にいる佐竹義信その人である。
「しかし雨か。普通にテンション上がんねぇなぁ……」
独り言にしては大きい声だけど、もしかして僕に訊ねてたりするんだろうか?
いや待て、これは罠かもしれない──。
実はそれを伝えるべき本来の相手が近くにいて、僕が勘違いしているだけだとするなら赤っ恥じゃ済まないであろうそれは、道で知り合いと思って声をかけたら他人の空似だった時と同等の気まずさ。「後生だ、殺してくれ」と頼みたくなるレベルの汚点、慚愧に堪えない。
しかし、あの佐竹がそんな巧妙な罠を張るだろうか?
佐竹は僕の方を向いていないのでどんな表情をしているのか窺い知れないが、もしかしたらにたりとほくそ笑んでいる可能性も微レ存。まさか佐竹に知能戦を強いられるなんて一生の不覚だ! と頭を悩ませていたら、
「優志もそう思うだろ?」
くるりと椅子ごと回転させて、浮かない顔を僕に向ける。
……気にし過ぎだったみたいだ。
「僕は〝相変わらずの語彙力だな〟と思ったよ」
「なんで俺の話になってんだよ!?」
佐竹はしばらくの間、僕に文句を言っていたけど、それら全てを訊いてない事に気づいて、観念したかのように首を振った。
「そう言えばお前、クリスマスはどうするんだ?」
「さあ? 多分一人だよ」
「お前もクリぼっちか……」
お前もって事は佐竹も一人なのか……意外だ。
佐竹みたいな人種は友達を集めて『きよしこの夜にホーリナイしながらジングルべる』もんだと思ってた。
危うく、「独りぼっちは寂しいもんな……いいよ。一緒にいてやるよ」と、ほむらちゃんする所だったが、そんな事を言うくらいなら、僕は自分の眉間にティロフィナーレするだろう。……きゅっぷい。
「あの──」
そこまで訊いて『うわ、またか』と、露骨に嫌な顔をしそうになったが、佐竹がいつものを言い切る前に、
「それでは、いつものメンバーでクリスマスパーティーをしませんか?」
月ノ宮製薬社長の御息女で在らせられる月ノ宮楓お嬢様こと、月ノ宮さんが慈愛を感じるような微笑みを湛えながら、佐竹の言葉を打ち消した。……この人、どこから湧いて出たんだろう。もしかしたらその足元に緑色の土管とかあったりしないか? と足元を注視してみたが、そこにあるのは細い足と黒い靴下、そして純白な上履きのみ……純白? もしかして上履きを使い捨てていたりするのか? そうじゃなきゃ新品の上履きなんて早々お目にかかれないが……。
「……優志さん? 先程からどこを視てるんですか?」
「あ、ごめん。えっと、クリスマスパーティーだっけ?」
「はい。どこかのホールを貸し切って、恋莉さんと優志さん、そしてついでに佐竹さんも呼んで聖夜を祝うんです。……祝うと言っても形だけで、単なるお食事会程度ですが」
「俺はついでかよ!? ……ってもよ、さすがにどっかのホールを借りるのは規模が大き過ぎるだろ。それに、俺らじゃその予算を捻出できねぇよ」
佐竹はポケットから財布を取り出して、夏目漱石先生を指の間でひらひらとさせながら、「これくらいしか持ってねぇぞ」と貧乏自慢をする。僕の財布にだって漱石先生が三枚くらいしか入ってないので、とてもホールを借りるようなお金は無い。
「そうですか……。それくらいなら私が持ちますが、規模が大き過ぎるという懸念を考慮すると得策ではありませんね。……どこかいい場所があればいいのですが」
いい場所か……。
高校生四人が不自由無く入れて、多少騒いでも問題無い場所……一つだけある。
「僕の家なら、クリスマスは両親共に仕事で帰宅も遅いから、使えると言えば使えるけど、……パーティー感は無いか」
独り言のように呟いただけだけど、佐竹と月ノ宮さんは眼を合わせて、
「それだ!」
「それですね!」
と、声を合わせた。
何だかんだ言っても、この二人は仲がいい。
月ノ宮さんがアメリカ留学する話をした時、声を荒げたのは佐竹だったし、二人でこそこそと何か企てたりしてるしで、結構いいコンビだと思うけど、そんな事を口にしようものなら月ノ宮の全ての力を駆使して存在そのものを『無かった事』にされそうだ。ゾルディック家も真っ青だろう。そして磯野家はタイムリープする。
「では、打ち合わせがてら、放課後にお兄様の店に行きましょう」
「そうだな! あ、恋莉に伝えたか?」
「それはお任せください!」
そう言って駆け足で天野さんの元へ向かう月ノ宮さんの後ろ姿を視ながら、佐竹が何か呟いた気がしたけど、あまりにも小声過ぎて上手く訊き取れなかった。
不意に窓の外を視てみると、雨はとっくに止んでいて、雲の切れ間から太陽の光がグラウンドを照らしている。
……そうか。
だから月ノ宮さんは、放課後にダンデライオンへ行く事を提案できたんだな。
昼休み終了を告げる予鈴が教室に鳴り、ざわざわと騒ぎ立てていたクラスの面々は、誰しも顰に倣うかのように着席した。
【備考】
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by 瀬野 或