一十二時限目 ダンデライオン 2/3
「あのー……訊いてますか?」
もしもーし、と顔の覗かれて、はっと我に返った。
「え? ああ、ごめん」
優志さんは話を訊いていなかった! ホームルームが終わり、やっと帰れるって油断してたものでして。
てっきり佐竹に話しかけてるもんだと思って、我関せずにいつもの癖で思考をぐるぐるさせていたから、月ノ宮さんの話なんてこれっぽっちも頭に入っていない。
「しっかりして下さい」
「はい。誠に申しめんなさい」
「腑に落ちない謝罪ではありますが、まあいいです。もう一度話しますよ?」
これはとても重要な作戦なので──って、こんな群衆の面前で『重要な作戦』を話して大丈夫なのか?
「重要な話だったらそれこそ書面や、メッセージで送信してくれたほうがいいんじゃ……」
なかなか返信してくれないのはどちら様ですか? と、月ノ宮さんが僕を睨む。
僕の攻撃力が下がった気がした。
「だからこうしてリスクを背負ってお話をですね──」
月ノ宮さんから送られるメッセージに返信できないのは、天野さんから送られて来るメッセージに試行錯誤しながら返信してるからだ。
これがとても神経を使う作業で、優梨になっていれば考えるよりも先に行動できるんだけど、部屋にいる僕は完全に『優志』であり、優志で『優梨』を演じるのは、数学や英語よりも困難だ。
そんな中、佐竹からも偶にメッセージが飛んでくる始末で、そこに月ノ宮さんまで加わると完全にキャパオーバー。僕をアップデートしてくれと願うまである。
そのことについて、数日前に佐竹に愚痴ってみた。
『なら、普通に部屋でも女装すればよくね? ガチで』
それはだれの普通だよ。
女装師さんならわかるけど、僕の日常に普段から女装するって普通は存在しません。
こんなよくわからない返信をされて、コイツの頭こそアップデートしたほうがいいって本気で思った。
このときほど佐竹の無能さを痛感した日はない──もう絶対に相談してやるものか! と心に誓っていまに至る。
「然しながら、優志さんの言い分もごもっともなので、ご帰宅前にお時間を頂戴できますか?」
佐竹さんもですからね? と呼ばれて、我関せず焉と余所見をしていた佐竹は、鳩が豆鉄砲を喰らったかのような顔をして「俺も!?」と驚いた。けど、天野さん関連の話し合いに、関係者である佐竹が呼ばれないはずがない。
そもそも、だよ? 佐竹が僕を巻き込んだのだから、仮に呼ばれなくても僕が無理矢理連れて行く。絶対にだ。
「今日は約束も無いからいいけどよ。ファミレスでいいか? ワンチャン、カラオケも有りだな」
「佐竹とアフターなんて御免たね」
ごほん、と大きめな咳払いが訊こえて、僕らは沈黙を余儀なくされた。
「ファミレスでは天野さんに目撃されてしまう可能性がありますので、百貨店裏手にある〝ダンデライオン〟という喫茶店で落ち合いましょう」
そんな名前の喫茶店が、東梅ノ原駅の近くにあったのか。興味深い。本格派の珈琲を飲みながら読書というのも乙だ。丁度、読みかけの本が鞄の中にあるし……。
「ダンデライオン? なんだか強そうな名前の店だな!」
──は?
──え?
「なんだよ、変なこと言ったか?」
「いや、別に」
「いいえ、特には」
ダンデライオンは西洋タンポポの英語名なんだけど、間違いを正さない方が面白そうなので敢えて訊き流しておいた。
月ノ宮さんと目が合う。どうやら、同じことを考えていたらしい。
佐竹は本当の意味を知るまで『ダンデライオンはライオンの一種』と勘違いしながら生活するだろう。いい気味だ。もっとやれ。
「それでは、いつもの手筈で来て下さいませ。百貨店の裏路地に入れば、場所はわかると思います」
いつも手筈とは、僕らが一緒に連んでいるのを天野さんに悟らせないようにバラバラとなって移動する──という意味なのだが、月ノ宮さんがこうして僕たちの前に平然とした顔で声をかけてくるからもう無意味なんじゃないかな? と、僕は思う。
それでも彼らは、未だ自分たちが繋がっていることを周囲にバレていないと思っている節があり、佐竹と月ノ宮さんは目を合わせると意味ありげに小さく頷いた。
月ノ宮さんが僕のような低下層へ来れば、周囲の視線は自ずとこちらへ集まってくる。
そんな当たり前のことに二人は気づかないのだろうか?
佐竹は気づいてるみたいだけど、取り分け気にしていないようにも思える。
用心するに越したことはないんだけどなあって僕だけがビクビクしているのも阿呆らしいし、気にしないように努めよう。
──できるか、そんなこと!
* * *
このバスに乗るのはこれで何度目だろう。
あの件以降、このバスを利用する回数が増えたけど、このバスに乗るということは、通学で使っている最寄り駅とは離れるわけであり、帰宅には余計な時間とお金が掛かってしまう。
定期圏外なのだから当然だけど、これだけのために一駅分定期券範囲を伸ばすのも馬鹿馬鹿しい。
──えっと、集合場所はどこだっけ?
たしか、百貨店裏にある〈ダンデライオン〉という喫茶店だったはずだ。
裏路地に行けばわかるとか言ってたけど本当だろうか?
一応、ナビの準備だけはしておく。
百貨店裏に店を構えるのは、立地的にどうなんだ?
百貨店と隣接しているならば話は別で、買い物帰りに寄って行こうかしら? って、マダムたちも足を運ぶだろうけれど、裏手にあったらわざわざ寄ろうとは思わない。
よっぽど美味しい珈琲を淹れるとか、世界のバリスタが監修した珈琲なのかって、それは缶コーヒーだ。
そんなマイナーな店を知ってる月ノ宮さんって本当に何者なんだろう?
頭の中で、彼女に関するデータを呼び起こしてみる。
月ノ宮製薬社長のご令嬢で、日本人形のような容姿。
美少女と言ってもいいが、怜悧な立ち振る舞いとは裏腹に腹の中は真っ黒で、恋愛対象は同性。以上。
「これだけか」
たったこれだけというのも、僕の観察不足が原因だ。
僕の知り得る月ノ宮楓を羅列してみたけど、目が届かない場所にいる月ノ宮さんはどんな女の子なのだろう。
うーん、イマイチ想像できない。
教室では男子に囲まれていたり、女子とお喋りしたりとごく普通の女子高生だけど……天野さんのストーカーする普通の女子高生がいて堪るものか。
月ノ宮さんは、天野さんのどこを好きになったんだ?
その理由を訊いていなかった。
店に着いたら訊ねてみようと、僕はバスに揺られながら瞼を閉じて、駅前のロータリーに着くまでの間、頭の中をすっからかんにして到着を待った。
【修正報告】
・2021年7月26日……本文の微調整。
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