一百十七時限目 突然の訪問者
朝の六時半にアラームが鳴るようにセットしてある携帯端末が、ガタガタと勉強卓で小刻みに振動しながら朝を告げる。この時間に起きないと完全に遅刻するギリギリの時間に目覚ましをセットしているので、否が応でもベッドから抜け出さなければならない。だから、比較的起きやすい春と夏を除いた季節には、携帯端末をベッドの上ではなく、勉強卓の上に置いて『止めなければならない口実』を作っているのだけれど、よくよく考えたら今日は振替休日であり、無理に起きる必要も無かった。──嗚呼、習慣とは恐ろしきかな。このままけたたましく鳴り響く携帯端末を放置したい気持ちに駆られるが、いつまでもピーピーガタガタ躍られては適わないので、よっこらしょういちっと、父親の口癖を真似しながら掛け布団を剥いだ。
朝の冷たい空気が僕の肌を撫でるように冷やして、寒い寒いと有り体に文句を垂れつつベッドから這い出る。両腕を摩った所で寒さが軽減するわけでもないけど、これは気の持ちようだろう。寝惚け眼を無理矢理こじ開け、全く力が入らない足取りで勉強卓へ。机の上にあるのは昨日の夜に読み終わったハロルド・アンダーソンの本と、ドラゲナイしている携帯端末と照明とエアコンのリモコン。
先ずは携帯端末に手を伸ばして『解除』を押す。して、ようやく静かな静寂が訪れるも、無理矢理起きたせいで頭痛が痛い。手に取った携帯端末にメッセージが来ていない事を確認していから照明のスイッチを押すと、白黄色の明かりが部屋を照らした。
「まぶし……」
白黄色が蛍光灯に選ばれる理由は、白色だけだと刺激が強過ぎるから黄色を混ぜて眼の負担を軽減する仕様なんだろうけれど、一瞬で点く光は寝起きだと厳しい。五分くらいかけてフェードインする機能でもあればいいのに。……そんな機能が有っても、どうせ一度使ったら二度と使わなくなるだろうな。『新機能搭載』の『新機能』を使いこなした試しが無い。
今日の待ち合わせは昼過ぎの一十四時で、この時間に起きてもする事が無い。二度寝を決め込むか悩んだ末に、折角起きたのなら時間を有意義に使う方を選んで、いつものルーティンに倣った──。
朝食のサラダ、目玉焼き、トーストを食べ終えてから皿を片付けて、優雅と言うには程遠い珈琲タイムを満喫中。流す程度に点けたテレビでは、現在大人気の男性アーティストが、ボソボソとインタビューに応えている。その様子を不味いインスタントコーヒーを飲みながら観ていたけど、その時、テーブルの隅に置いていた携帯端末がブルブルと震えた。こんな朝っぱらから起きている物好きは誰だろうかと画面を覗き込むと、やっぱり、静寂や安寧を打ち砕くのはいつだって佐竹義信なのだ。
『寝てたらすまん』
矢継ぎ早に、
『起きてるか?』
という定型文的な二連コンボを臆面も無く送ってきた。
すまん、と申し訳なく思うくらいなら、もう少し時間を置いてから送ってくればいいのに。──なんて、朝っぱらから辛辣に返すのはさすがに可哀想かな。だから僕は「寝てるよ」と返信した。
『起きてるじゃねぇか!?』
何この面倒臭いテンション、朝から相手するのが億劫になるんだけど。電源切っていいかなぁ? ──僕は端的に「要件は?」だけ返信すると、二分ぐらい間を置いて、佐竹が返信してきた。
『あのさ』
この三文字を読むと、佐竹の『ヤバい事態になった』みたいな表情が浮かぶ。まあ、こんな時間にメッセージを寄越すくらいだから、愉快な噺ではないだろうとは予想してたけど……。
『当面の間、優志の家に匿ってくんねぇかな?』
匿うとは、これまた穏やかな話じゃななさそうだ。しかし、急にそんな事を言われても、うちは民宿でもなければビジネスホテルでもないわけで、両親とはあまり顔を合わせないけど、了承を得なければ何とも言い難いのだが──
『つか……今、鶴賀家の前にいんだけど』
「……は?」
──思わず声が出た。
それはまるで怖い話の一文のようで、怪談の〈メリーさん〉が頭に瞬時に浮かぶくらい衝撃だった。『俺、佐竹。今、お前の家の前にいるわ』なんて送られて来たら通報案件待った無し。──つまり今がその時か! ……なんて冗談はさて置き、本当に家の前にいるのかリビングの窓のカーテンの隙間から視てみると、首元に灰色のマフラーを巻いている黒いパーカーを着た男が携帯端末を片手に震えていた。この時間にあの姿で家の前にいられたら本当に通報され兼ねないな。それはそれで迷惑なので、致し方無く玄関へ向かい扉を開いた。
「よう」
屈託の無い笑顔を向ける佐竹。
「よう、じゃないでしょ……」
屈託した顔つきで出迎える僕。
「それ、何日分の着替えが入ってるの」
佐竹の横に、国内旅行用の小さめな黒いトランクケースが、取手を伸ばして置いてある。バス停から僕の住む家まで、一生懸命にガラガラと引いてきたんだろう。
「取り敢えず、三日分くらいだな」
「へえ。それじゃ」
「おいマジか!?」
どうもお疲れ様でしたー、と玄関の扉を閉めようとしたら、間髪入れずにツッコミが飛んでくる。……やっぱり入れなきゃ駄目か。テレビさえ点けていなければ異変にいち早く気づけたのだろうけど、まさかこんなイレギュラーな事態になるとは想像もしていなかった。
「それはこっちの台詞だよ。……まあいいや、入れば?」
「さすが、類は友を呼ぶ、だな!」
「……やっぱ帰っていいよ」
「なんでだよ!?」
多分、恐らく、概ねして『心の友』的な意味を含む言葉を述べたかったのだろうけど、類は友を呼ぶって、僕と佐竹は全く類してない事に、先ず気づけよ下さい。
「ああもう、早く入りなよ。寒いし、ウザいし。あと、面倒臭いし」
「お、おう。……って、朝から当たり強過ぎないか!?」
正規の手順をすっ飛ばしてるんだから、家にあげて貰えるだけ有り難いと思って欲しいねぇ……。
【備考】
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by 瀬野 或