九十六時限目 梅高祭 ①
学園祭、──それは彼にとって憎むべき行事のひとつであり、持久走大会の次に嫌いで、修学旅行よりはマシだと言える程度の、参加は控えたい……いや、畢竟するに、参加したくはないが避けても通れない強制イベント、のひとつである。
飾り付けられた『梅高祭』の門戸を潜れば、浮き足立つ生徒のにへら顔が鼻につき、「いらっしゃいませー!」と大声で呼び込む、学年もクラスもわからない女子生徒を睨みながら、ようやく辿り着いた我がクラスはというと……。
どうしてこうなったのかその経緯すらよくわからない『お好み焼き喫茶』の文字が、廊下に面した壁に堂々と、真紅の薔薇を咲かせながら掲げられている。
「……」
彼は思わず絶句した。──何だ、この異様な臭いは、と。
ソースと紅生姜の香りの中に、異質な匂いが混じっている。これは絶対に混ざってはならないものであり、一緒に嗜むべき物ではない……等々思いつつも、恐る恐る教室の中を覗き込んでみれば、いつも張られている薄緑色のカーテンは剥がされていて、その代わりに、重厚な紅のカーテンが東西南北張り巡らされている。
机四つで一組のテーブルにも、同色のテーブルクロスが敷かれているので、正直に言って落ち着ける空間ではない。
そのテーブルの中央には造花の薔薇が一輪、大袈裟な装飾が施されている花瓶に添えられているのだが、八つのテーブルに添えられている薔薇の色が違うのは、席番号の代わりだろうか? 何にせよ、彼の趣味からかけ離れている事だけは間違いない。
『なんちゃら喫茶』
なんて銘打っているので、当然、男子は燕尾服に身を包み、女子はメイ……
「メイド……、なのか?」
──メイドだろう事は間違いない。
メイドと言っても西洋式の『おかえりなさいませ! 御主人様♪』のメイドではなく、ハイカラさんが通りそうな明治時代を彷彿させる和風のメイド。その衣装に身を包み、せっせかとお好み焼きを焼いている光景は、まさに摩訶不思議である。だが、誰一人として、この異様な空間に気づいていないらしい。
……いや、ひとりだけは気づいているようだ。
えっちらおっちらと忙しなく働くクラス連中を他所に、教室の隅で引き攣り笑いを浮かべながら、似合いもしない燕尾服の袖をだらりと垂らしている。
あんな奴、このクラスにいただろうか?
彼は小首を傾げながら記憶を辿るも、『あんな奴』が机に座っている姿が浮かばない。
あれは一体誰だ? ……まあ、誰でもいいか。
自分には関係無い事だと立ち去ろうとしたが、彼を背後から呼び止めた者がいた。
「おあっ!? アマっちじゃね!? お前、何週間振りだよ!?」
「義信……。何度も言うが、オレをたまごっちみたいに呼ぶな。オレには雨地流星って名前があってだな」
「そんなのどうでもいいから手伝えよ! 今、〝猫の腕も借りたい〟くらい〝こてんこてん舞い〟なんだ」
それを言うなら『猫の手も借りたい』だろ。そして、『てんてこ舞い』だ。『こてんこてん』は、確かに古典的な言い回しではあるが。──と、ツッコミは入れない。
確かに店内は満員状態で騒然としている。店内を見渡すと、暇そうにしているのは、隅で名状し難い笑みを浮かべている『アイツ』しかいない。
それならば、マネキン人形のようになっているアイツの尻を、蹴り飛ばしてでも働かせればいいのではないか? しかし、それを言うタイミングが掴めない雨地は、苦虫を噛み潰したような表情を浮かべるだけで、場の雰囲気に流されてしまっている。
「ほら、早く裏で着替えて来いよ!」
着替えとは、つまり、雨地も燕尾服を着ろ、という命令である。なぜ、義信にそんな命令をされなければならないのか? ただでさえ右も左もわからない状況の連続で苛立っていた雨地は、思わず、
「ふざけんな殺すぞ」
と、かなり物騒な悪態を吐いた。──当然ながら、雨地に殺意は無い。
「殺してもいいけど、殺すなら学園祭が終わってからにして」
「生存ルートを教えろ!?」
下手くそなツッコミをする佐竹の後ろから顔を覗かせたのは、雨地の性格と絶対に相容れない性格をしている天野恋莉だ。当然、彼女も件のメイド服を着ている。……雨地は不覚にも、「似合ってるじゃねぇか……」と思ってしまったが、そんな事、噯にも出さない。その代わりに、「また会いたくない奴に捕まっちまった」と舌打つが、彼女は特に気にする様子もなく、雨地の背後に回り込み、有ろう事か、ずいずいと背中を押す。
「おい、触るなっ!」
首を回して文句を垂れたが、やはり、彼女は全く動じない。それ所か、雨地を押す強さが増した。
「触られたくないならとっとと歩きなさいよ。裏で楓が指揮を取ってるから、着替えたら指示を仰いで」
楓? もしかして、月ノ宮の事だろうか? 雨地は首を傾げる。
「……どうなってんだ」
あの澄まし顔の日本人形もどきが、陣頭指揮を取っているとは、雨地には想像も出来なかったのだ。そういう役目は、それこそ天野の方が似合うだろう。雨地が学校をサボっている合間に、クラスの人間関係が変化しているであろう事は事実のようだ。
雨地流星は普段から学校をサボる癖があり、素行が良い生徒とは言えない。しかし、不良と呼ぶ程の悪行は重ねず、半端者と呼ぶのが丁度いい、そういう生徒だ。ただ、吊り上がった眼に、金髪で、片耳にピアスを付けているせいで、位置付けは不良となっている。
そんな雨地が入学式から悪目立ちするのは当然であり、誰ひとりとして声をかけなかったのだが、佐竹義信だけは違った。そのおかげもあり、クラスに行けば『アマっち』と呼ぶ男友達も数人いるのだが、それはそれ、これはこれで、佐竹に少なからず恩義を感じてはいるが、この不名誉なあだ名を広めたのも佐竹であり、恨み節も言いたくなる。
天野恋莉に対しては、ずけずけと物を言うので、単純に『生意気だ』と本人にも伝えているのだが、……どうにもこのクラスにはお人好しが多いらしく、拒絶しても向こうから声をかけてくる。
──そして、一番不可解なのが月ノ宮楓という、このクラスのマスコット的存在の女子生徒だ。風の噂で『月ノ宮製薬社長の娘』というのは知っている。
──だが、それだけだ。
男子人気は圧倒的なのは認めるし、その容姿の可愛さ、憐憫な立ち振る舞いにも雨地でさえ生唾を呑むくらいだが、その月ノ宮楓が、この混沌渦巻く催しのリーダーだと誰が思うだろうか? しかも、妙に客入りがいいのも腑に落ちない。
「おい天野。それはどういうことだ? 月ノ宮が陣頭指揮なんて」
「普段サボってるからわからないんでしょ」
──ぐうの音も出ない正論である。かるが故に、雨地には耳が痛い。
「文句があるならバックヤードにいる楓にどうぞ」
「だから押すなって……っ!?」
無理矢理押し込められた幕一枚隔てる向こう側は、黒板と、時間割と、古びた掛け時計、徹頭徹尾どう視たっていつもの教室である。さすがにここを〈バックヤード〉と呼ぶにはお粗末過ぎた。
その教壇で腕を組み、黒板と睨めっこしながら唸っているのは、
「月ノ宮、……楓」
「……はい? あ、雨地さんでしたか。丁度よかったです。人手が足りなくて困ってたんですよ。アチラに臨時の着替えスペースを用意してあるので、そこにある燕尾服に着替えて下さい」
同じクラスなのですから、当然ですよね? とでも言いたげな表情だ。
「いや、オレはやるとは……」
「着替えて下さいね?」
「……」
オレの知っている月ノ宮楓ではない。──そう、雨地は思う。
慈愛の微笑みを湛えながら、その眼に笑みは無く、歯向かえば殺されるくらいには迫力があり、自分の目の前にいるのは、バイト先のマネージャーや店長、それクラスの存在だと天地は悟った。……これにはさすがの雨地でも、屈服せざるを得ない。
言われるがままに教室の隅に用意された〈一帖程度のスペース〉のカーテンを開けて入ると、真っ赤なカーテンに囲まれるので、とてもではないが落ち着けない。その着替えスペースには、安物の白い三段の棚があり、上は空っぽ、中段にはハイカラメイド服、下段には裁縫道具が入っていた。
「……いや、無いぞ」
思うに、上段に燕尾服の予備がある予定だったのだろう。
──しかし、そこにあるはずの燕尾服の予備は無い。
あまり、女性服を漁るのは気分がよくないが……と思いつつ、そちらもガサゴソと探ってみたが、間違えて紛れ込んだ形跡も無く、これはいっかなどうするか……雨地はその場で暫く考え込んでみたが、
『無いものは無い、だから仕方がない』
そう安堵して、着替えスペースから出た──。
【備考】
読んで頂きまして、誠にありがとうございます。
こちらの物語を読んで、もし、「続きが読みたい!」と思って頂けましたら、『ブックマーク』『感想』『評価』して頂けると、今後の活動の糧となりますので、応援して頂けるようでしたら、何卒、よろしくお願い申し上げます。
また、誤字などを見つけて頂けた場合は『誤字報告』にて教えて頂けると助かります。確認次第、もし修正が必要な場合は感謝を込めて修正させて頂きます。
今後も【女装男子のインビジブルな恋愛事情。】を、よろしくお願いします。
by 瀬野 或
【修正報告】
・2019年3月8日……読みやすく修正。