九十一時限目 大和撫子でいられれば ⑦
「それはどういう意味でしょうか」
高津さんは冷静に、眼光は鋭く僕の眼を刺した。
あまりの気迫に、思わず怯みそうになる。それでも僕は、悠揚として迫らざる態度で持ち堪えた。
……高津さんは嘘を吐いている。
それは論を俟たないだろう。
そうじゃなければ、あんな言葉は出てこない。だけれど、僕は探偵じゃないし、ましてや、警察でもない。だから、高津さんがどうして嘘を吐いているのか、それを正す事こそ間違いなのかもしれない。
それでも、僕にはこの話を理路整然とする理由がある。
例え、その行為がエゴに塗れていようとも、高津さんの信念を踏み躙る事になろうとも。
大きく息を吸い込んで、脳に酸素を行き渡らせる。
取り込んだ酸素は脳を動かすには充分だ。そのおかげで平静さを見失わずに済んだ。
……そろそろ、語るべきだろう。
「最近の風邪は鼻風邪と言いましたけど、今、流行ってるのは喉から来る風邪です」
これはフェイクだ。ハッタリと言ってもいい。確かに風邪は流行っているけど、重要なのは鼻でも、喉でもない。
「そうだとしても、お嬢様が引いているのは〝鼻風邪〟だと、私は訊いております」
高津さんは自分の主張を変える事が出来ないだろう。断固とした態度で、自分の吐いた嘘を肯定する他に、残されている選択肢は無いのも理解出来る。それでも、高津さんは僕の話に合わせるべきではなかった。その結果、もう、角も、飛車も、金も銀も、盤上には残っていない。手駒はもう、歩と、ここだけは譲れない、という意地だけだ。
僕は、虚に乗ずる事にした。
形勢は優勢、だが、油断すれば、例え相手の駒が歩だけでも、玉を落としかねない。だから、この優位な状況を覆されないように、機先を制して駒を動かした。
「ですが、高津さんは言いましたよね? 〝一番酷いのは喉の痛みだ〟って」
「それは……」
虚を衝かれたかのように、高津さんは眉根を顰めると、苦し紛れに、
「単に鼻風邪の影響では?」
と、答えたが、そう答えるのは予想出来た。いや、その答えを出させたのは、他でもなく、この僕だ。……全ては、この真実を突きつける為に。
「楓さんは昔から、風邪を引くと〝熱が酷くなる〟らしいんです。これは、お兄さんである照史さんから言質が取れてます」
「……」
僕は、正鵠を射るように言い添える。
「それを知らないのは当然ですよね。高津さんは昔から、……照史さんがまだここで生活している頃から、楓さんの看病をしていなかった」
高津さんの表情に影が差した。
何か思案を巡らせているように、顎に手を当てている。
「だからと言って、私が看病をしていない理由にはならないと思いますが」
苦し紛れに出た言葉は、これまでで一番平仄が合わない。
「もしそうなら、月ノ宮製薬代表取締役と、その奥方様の付き添いは誰がしているんですか? それこそ、高津さんにしか務まらない役だと、僕は思います」
高津さんは自分で『看病は使用人がしている。私は旦那様と奥様の付き添いをしなければならないから』と言っていた。その点において、僕は矛盾していると衝いたのだ。
この家で執事をしている以上は、大なり小なり、看病らしい事はしているんだろう。
そこは否定しない。
それに、ここまでのやり取りで、高津さんがどれだけ月ノ宮さんを大切にしているのかもわかった。
どうして高津さんは嘘を吐いたのか、その理由はわからない。だけど、それは、照史さんと似たような事情だろう。
そこまでして、僕らを月ノ宮さんから遠ざける理由は、風邪なんて単純な理由ではなく、もっと複雑な事情があるからだろうと推測は出来る、だからこそ、この対局は、相手の王を取らなければ終われない。……高津さんは、降参出来ないからだ。後ろに、守るべき者がいるから。
こんな若造にここまで言われたら、当然、憤懣遣る方無いだろうに、高津さんは極めて冷静に、僕の指摘を受けている。それとも、こんな若造の言葉なんて、これっぽっちも気にしていないだけかもしれない。戯論だと、跳ね飛ばしてしまえばいい。──そうだとしても、僕は終わらせなければならない。……この、酷く曖昧な話を。
「楓さんは、風邪なんて引いてない。僕らをここに通したのは、おそらく、楓さんの指示か、高津さんの意思ですね? 高津さん、僕らは楓さんの部屋へ向かいます。……止めますか」
高津さんは顔を伏せたまま、首を左右に振って、小さく、「……いえ」と答えた。
それは、投了を示す。板状に王将はない。
「ここまで言われてしまったら、私に止める資格は御座いません」
それじゃあ──と、僕らは立ち上がり、月ノ宮さんの部屋へ向かおうとしたが、
「お待ち下さい」
と、高津さんに呼び止められた。
「どうして私が嘘を吐いていると、……そう思ったのですか?」
不思議そうに首を傾げながら、僕に小さな疑問をぶつけた。
「僕は、最初から、〝楓さんは風邪じゃないのでは?〟と、疑っていたんです」
「ふむ」
「けど、それは建前で、本当はもっと単純な理由です」
「その理由とは?」
僕は、テーブルの上に置かれたフルーツバスケットをちらりと視る。
こうして改めて視ると、あまりに滑稽で格好がつかない。
「バナナは皆さんで食べて下さい」
「バナナ?」
高津さんは、まじまじと、間抜けな二房のバナナを凝視して、思わず失笑を浮かべる。
「いやはや……なるほど。バナナだけに、一本取られました」
* * *
客間から出ると、佐竹に、並々ならぬ迫力で迫られた。
「おい優志! さっきのは一体何だ!? ガチか!」
両肩を掴まれて、ぐらんぐらんと視界が揺れる。
何がガチなんだ? ガチって言葉はそうやって使う言葉だったか? 後、今、そんなに揺らされたら吐く。そうじゃなくても、頭を酷使し過ぎて痛いのに。
僕は佐竹の両手の内側に腕を通して払い退けた。
「偶然の産物だよ。運が良かっただけで、ガチもへったくれも無い」
ついでに言うと、佐竹の語彙力も無いまである。
「前から頭いいとは思ってたけどよ。……船越さんみたいだったぞ!」
サスペンスの帝王と肩を並べられると、さすがに肩身が狭い。クライマックスが崖だったら、少しは箔も付いただろうけど、そんなの願い下げだ。
「驚いたわ……。優志君にあんな才能があったなんて。佐竹と同じ意見なのは遺憾だけど、あまりの緊張感で、口を挟めなかったもの」
「本当に、偶々だって」
確かに、僕が高津さんと問答している最中、ふたりは固唾を飲んで見守っているようだった。その方が、僕には都合がよかったけど、ふたりも何か言いたかったのではないか? と、今更になって後悔する。然りとて、未だ閉幕とはいかない。──問題はここからなのだ。
階段を上り、右の突き当たりにある部屋で、籠城し続けている彼女の真意を、僕らは掴めていない。眼前にある扉は、僕らの訪問を拒んでいるかのように、固く閉ざされている。
ここまで来るのに、偉く遠回りした気がしないでもない。皮肉だ何だと言いながら、益体もない日々を重ね過ぎた。もっと他に、幾らでもやりようがあったのではないだろうか? それこそ、高校生らしいやり方で。
それが出来なかったのは、僕も、佐竹も、天野さんも、そして、件の月ノ宮さんも、余りに言葉を知らな過ぎたからだろう。
僕らは総じて、コミュニケーションが下手なのだ。最も、僕が一番劣っている。
その結果、急がば回れも回り過ぎて、余計に出費をして、余計に気を揉んだ。……有り体に言えば、そんな感じだろう。
扉をノックする役目は、僕に一任されたらしい。ふたりが後ろで先行きを案じながら、僕の一挙手一投足を、まだかまだか、つか、早くしろよ、普通にガチで、と見守っている。佐竹だけは許さない。絶対にだ。
今日だけで何度、冷や汗をかいただろうか。
大きな溜め息を吐く。そして──
コツンコツン、と扉をノックした。
【備考】
読んで頂きまして、誠にありがとうございます。
こちらの物語を読んで、もし、「続きが読みたい!」と思って頂けましたら、『ブックマーク』『感想』『評価』して頂けると、今後の活動の糧となりますので、応援して頂けるようでしたら、何卒、よろしくお願い申し上げます。
また、誤字などを見つけて頂けた場合は『誤字報告』にて教えて頂けると助かります。確認次第、もし修正が必要な場合は感謝を込めて修正させて頂きます。
今後も【女装男子のインビジブルな恋愛事情。】を、よろしくお願いします。
by 瀬野 或
【修正報告】
・2019年3月8日……読みやすく修正。