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女装男子のインビジブルな恋愛事情。  作者: 瀬野 或
一章 Change My Mind,
21/677

一〇時限目 彩る風景の中に見えたモノ 2/2


「またここで女装する羽目になるのか……」


 鏡の前でぼやく。


 今日の芳香剤はラベンダーの香り。


 ラベンダーと言えば、北海道の富良野に広大なラベンダー畑がある。


 花畑で採れた蜂蜜や石鹸なんかが人気だけど、イチオシはラベンダーホワイトチョコレートソフトクリームらしい。つまり、このトイレはラベンダーの香りが漂っているので実質富良野──さすがにその理論は無理があるな。


 どうしていきなり北海道にまで話が飛躍したかと言うと、一階の食品コーナーで『北海道物産コーナー』が設けられていたからだ。


 海産物は勿論のこと、インスタントラーメンや有名な白い恋人、とうきびチョコ、ロイズのポテトチップスチョコなんかも並んでいて、その中でも僕は肉厚な干物類から目を外せなかった。


 今晩の夕飯にどうだろう?


 なんて一瞬頭を(よぎ)ったけど、さすがに魚の干物を持って向かうわけにもいかない。


 後ろ髪を引かれる思いで二階の多目的トイレへと馳せ参じて現在に至る。


 百貨店二階にある多目的トイレの鏡の前に立って、月ノ宮さんから受け取った服を着ている僕は、なかなかサマになっていた。てか、似合い過ぎて気持ち悪い。


 残る最後の仕上げは化粧だけだ。


 メイク道具は月ノ宮さんから借りたけど……。


「口紅は使っていいのかな?」


 これって間接キスになるのでは? と躊躇(ためら)ったけど、そんなことを言っている暇は無いことに気づいて、もう慣れてしまった手つきて唇を染めていく。


 メイクは、琴美さんから教わった手順で進める。


 教わったというか、琴美さんが納得するまでやらされたんだけど、そのおかげも相俟って『見せられる程度』には施せるようになった。


 メイクを終えれば〈優梨(わたし)〉を演じなければならない。


 天野さんを騙していることに気が引けてしまうけど、これは僕自身を守ることでもあるんだし、完璧に優梨を演じないといけない。


「あー、あー……」


 うん、大丈夫。


 軽く発声練習をしてから納得したように頷き、私は再び優梨として、この世界に足を踏み入れる。


 頭の中で〈優梨の記憶〉を辿るように思い起こして、自分が……いや、私がどんな人生を送って、どういう考えで行動して、どういう性格をしていたのか事細かく呼び起こした。


 その作業はまるで、走馬灯をダイジェストで捲っていくような感覚だ。〈優志〉として存在していた自分を〈優梨〉として、これまでの人生を塗り替えていく作業を行っていく。


『優志という人物は、偉く偏った感覚の持ち主だ』


 と、苦笑いさえ浮かんできた。


「私は優梨だ」


 私は鏡の前で、自分自身に催眠をかけるように往々と呟く。自分で自分の存在を上書きして、どんどん優梨に染まっていくのを感じた。


 よし、大丈夫──私は優梨だ。





  * * *


 



 面会相手を待つことは度々あったけれど、多目的トイレの前で人様を待つなんて経験はこれまでそうなかった。


 相手が天野さんでしたら、待っている間も楽しめるのですが……と、本音がぽろり。


「いや、相手が天野さんでしたら、待つよりも同じ空間を共有したほうがいいのでは……」


 これはとても難しい問題ですね──。


 トイレの前で待つというシチュエーションは、まるで恋人のようでもあり、同じ空間を共有するというシチュエーションは、同じ女子としての特権でもあるわけでして──どちらが一番利益をもたらすのか、帰宅したらシュミレーションしてみましょう。


 今夜は眠れそうにありませんね、うふふ……。


 ユウさんの女装した姿は、遠巻きにしか確認していない。


 あの日は天野さんに目が向いていたから詳しくは見ていないけれど、天野さんがユウさんを女性と見紛うくらいにはクオリティが高いのでしょう。


 然し、解せないですね。


 殿方でありながら、服のサイズが私と同じというのは納得できません。女性としての魅力なら劣るつもりは無いけれど……もう少し胸があったらとも思ってしまう。天野さんほどでなくとも、せめてDカップくらいにまでは成長して欲しい。


「いいえ」


 高校三年間で成長する可能性も大いにあり得るわけですし、まだ諦めるような時期でもないはず──少なくとも、ユウさんよりは大きいですし! って、比べる相手が殿方だったら当然なのですが。

 

 女性であることの自信が揺らぎ始めた頃、多目的トイレから()()()()()()()()()が、恥ずかしそうに頬を赤らめて出てきた。


 目を奪われてしまった──。


 天野さんには敵わないとしても、ここまでの可愛らしさはクラスでも類を見ないほど。もし……いいえ、それは万が一にもあり得ないことではあるけれども、最初に出会ったのが天野さんではなくて()()だったら、状況は変わっていたかもしれない……。それでも! 私は天野さんを選ぶのですが、彼女の反則級な容姿は目を見張るものがあり、またしても女性としても自信が少し揺らいだ。


「待たせちゃってごめんなさい」


 最敬礼、ですか。


 さすがユウさん──いいえ、優梨さんと言うべきでしょう。謝罪の仕方は弁えているってことですね。


「まだ時間に余裕もありますから、大丈夫ですよ」


 よかったあ……と胸を撫で下ろす仕草がとてもあざとい。


「ここまで完璧に女装されると、ユウさんが本当に女の子だと勘違いしてしまいそうです」


 私の選んだ服がいい──とか、そういう理を超越している。


 お世辞ではなく、素直に〈可愛い女の子〉と認めるには充分過ぎるスタイル。そして、殿方には無縁に思えた〈メイク〉ですら『慣れ親しんだもの』と思わせるくらいに上手で、実は笑ってしまうかもしれない──と思っていた自分が恥ずかしい。逆に、私が笑われてしまいそうなほど、ユウさんの女装は板についていた。


「改めて──お待たせ。楓ちゃん」


「か、楓ちゃん!?」


 前触れもなく『楓ちゃん』と呼ばれた困惑を隠せず、ついつい狼狽えてしまった。


「うん。楓ちゃんでしょ?」


「は、はい。そうですね。楓ちゃんです」


 な、なんなんでしょう……?


 目の前にいるのは本当に『ユウさん』なんでしょうか? と疑ってしまいたくなるくらいに、性格も、言葉の強弱も、全てが違っている。


 ユウさんに、一体なにが起きたの……?


 多目的トイレの中には性別や性格を変化させる機械なんてないのに、……もしかしたら私が知らないだけで、トイレにはそういう装置があるのではないか? と疑問を抱いてしまうくらいには〈ユウさん〉の面影は無い。考えられる要因としては『二重人格』という精神疾患ですが……ここまで豹変すると、それを疑わざるを得ないですね。


「もしかして、二重人格ではないですよね?」


 一応、確認を取ってみる。


「そんなわけないよー」


 彼女は可笑しそうに手を振った。


優志(わたし)優梨(わたし)を上書きしただけだけで、そういうのじゃないから」


 破顔したユウさんの表情は、いまのいままで見たことがないほどに朗らかで、見ている私が眩しいとすら思えるほどの屈託の無い笑顔だった。


 それにしても、です。


 ユウさんは『上書き』と言っていた。


 自分本来の性格を新しく上書きするなんて、常人が容易くできることじゃない。それができるのはドラマや映画などで活躍する演者であり、相当な訓練が必要になる。素人の演技が見るに耐えないのはそれが理由。何度も何度も反復して培った技術が演技になる。


 ユウさんはそれを、訓練も無しにやってのけたと言うの……?


「それじゃ、レンちゃんと約束があるから、終わったら連絡するね?」


「あ、はい。行ってらっしゃ……い、ませ」


 迷いすら見せない立ち振る舞い。


 話し相手を魅了する飾り気のない笑顔。


 振り返ることなく進んでゆく〈彼女〉の後ろ姿を追いながら、不意に私の口から零れた言葉は後悔だった。


「もしかしたら、私は判断を誤ったかもしれません。アナタがここまでとは思いませんでした」


 ユウさんは『恋敵』にはなれど『味方』にはならない。


 アレは、私と似た『何か』を内に秘めているような気がする。

 

「私の計画が破綻する前に、もう一度練り直す必要がありますね……」


 嫌な胸騒ぎを覚えながら、私は百貨店を後にした──。





  * * *





 上手く振る舞えたかな。


 百貨店を出た私は、楓ちゃんとの会話を思い出しながら待ち合わせのファミレスへ続く道を歩いていた。


 楓ちゃんの反応を見る限りでは、危惧していた問題は解消できたと思う。


 つまりそれは、私がちゃんと〈優梨(わたし)〉になれているかってこと。


 私が私になるには、それまで一緒にいた相手が動揺するくらいじゃないと駄目なんだ。


 それが出来て、初めて私は優梨(わたし)になれる。


 佐竹君に優梨として接したときもそう。


 佐竹君に『私は優梨という女の子』と錯覚させるくらいじゃないと意味がない。


 だって、バレたら全てが崩壊してしまうから。


 私の人生も、佐竹君の人生も、月ノ宮さんの想いも、全てが言葉通りの終わり。


 そんな最期は望んでいない。


 願うならば、全員の思惑が望む鞘に収まること。


 優梨は──。


 私は、友だちを大切にする優しい女の子であり続けなければならない。


 優志(かれ)にはない感情が私の中にはある。


 景色が(いろど)りを取り戻してゆく──。


 私の住む世界はこんなにも美しいんだと、優志では気づくことがなかった風の匂いや町の鼓動、それらを胸いっぱいに感じながら目的地であるファミレス前へとやってきた。


 大丈夫、ちゃんと私を演じられる。


 踏みいれた店の中に店員の挨拶が響いた。



 

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