七十五時限目 彼と彼の宿題 13/16
「どうした?」
佐竹は、とんとん、と右手の人差し指で二回テーブルを軽く叩いた。
「さっきから、心ここに在らず、みたいだぞ。ガチで」
「そうかな、考え過ぎだよ。それよりも手が止まってる」
僕に指摘された佐竹は、なにか言いたそうに口をもごもご動かした。
「言いたいことがありそうだね」
「まあ、いろいろとな」
「なに?」
「言っても仕方がないことだ」
「ふうん」
と、僕は然して興味がないという体裁をみせたが、佐竹の言いたいことは、多少なりとも理解しているつもりだ。
要するに、気が散るんだろう。
勉強を教える側の僕が、佐竹の集中力を削いでどうする。
さすがに、申し訳ない。
「さ、気を取り直して課題に集中しようか。今日中に英語を終わらせておきたいからね」
「それをお前が言うのかよ……まあいいけど」
佐竹はシャーペンをくるりと回して握り直し、プリントの続きを始めた。
このまま集中力が続けば、午前中には終わるかもしれない。
もし終わらなくても、午後がある。
僕は、佐竹の邪魔をしないように、読書でもしながら過ごすことになりそうだ。
丁度、読みかけになっている本の続きも気になっているし、御誂え向きな音楽も流れていることだしな。
* * *
昼を跨いだ午後の下り。
疲労が蓄積して凝り固まった肩をほぐしながら、なんとか勉強をする体を保とうとしている佐竹の姿を見て、そろそろ限界かもしれない、と思い始めてきた。
本日のノルマは達成したことだし──。
集中力が切れたまま続けても、いい結果にはならない。
そう判断した僕は、「今日はここまでにしようか」と提案した。
途端に、持っていたシャーペンをテーブルに転がして、佐竹は大きな溜息を吐く。
やはり、限界だったらしい。
「ああー……もう無理だ、死ぬ。割と普通に、ガチで!」
「割と普通にガチで死なれたら困るんだ。ほら、死体の処理とか」
「そこまでガチるなよ……物の譬えだっつの」
呆れた声で、佐竹は言う。
「予習と復習は、欠かさずにね」
「俺の心が折れなければ、な」
と、内情を吐露する佐竹ではあったが、言われたことはやってくる素直さと従順さは、高く評価している。
今日だって、どうせ全く進めてこないんだろうな、と高を括っていたのに、佐竹はちゃんと課題を進めてきた。
やらなければ困るのは、本人ではあるけれど──。
僕が片付けを始めると、佐竹も僕に倣って自分の勉強道具をテーブルの隅に。
──え?
「なんでリュックにしまわないの?」
「だって、明日も使うだろ?」
つまり、佐竹は僕の部屋に『置き勉』する魂胆らしい。
おいおい、そこまで許すつもりはないぞ?
百歩譲ってやむを得ない事由とか、のっぴきならない事情とかがあるのなら承知出来るかも知れないけど、それ程に急を要する事柄も無いはず。
「明日も使うけど、〝だからと置いていく〟っていうのは違うんじゃない?」
「だって〝泊まり〟だろ?」
「はい?」
トマリだって? いつ、どこで、だれが、なにを、どうしてそれを許したのか。僕の部屋で課題をするのは致し方無いし、今更どうこういっても詮無いけど、合宿を許した覚えはない。
「佐竹、プリーズアフタミー?」
「だから、泊まりで終わらせるんだろ?」
「僕はそんな話、一言もしてないと思うんだけど、佐竹の頭の中ではどうしてそうなってるのかな、かな?」
カナカナカナと、ひぐらしの鳴き声が聞こえたような気がした。
「だって、俺の家だと勉強出来ねえじゃん。姉貴は〝マリンブルー〟で俺にウザ絡みしてくるし」
それを言うなら〝マリッジブルー〟なんだけど……。
「優志の家で課題をするって話になったとき、俺は泊まりで終わらせるつもりだと思って……だから、着替えとかも全部持ってきたんだ」
そう、僕はずっと気になっていたことがあった。けれども、それを口にしてしまうと現実に起こりそうだから、と見て見ぬ振りをしてきたのだ。
だが、こうなってしまっては、ソレを無視できない。
まるで登山でもするような……大袈裟なほどに膨れあがったリュックサックには、数日分の着替え、歯ブラシ、それらが詰め込まれているのだろう。さすがは、佐竹義信。思考回路が常軌を逸している、といっても過言ではない。
僕の家に泊まる気満々で、ちょっとした遠足気分で、気心知れた友人の家を軽い足取りで訪ねるような感覚でいたに違いない。
もうマリンブルーでも、ターコイズブルーでも、コードブルーでもいいか……。
疲弊した頭では、佐竹の意を介するのは不可能だ。
割とガチで──。
「わかったよ。でも、変なことしたら追い出すからね。ガチで」
「おう……つか、俺の真似が板についてきてねえか? マジで」
「そりゃどうも」
佐竹の真似が上手くなっても、得することは一つもない。
「じゃあ、これからどうするの? 寝る?」
「仮眠取ったら起きれないぞ。普通に」
たしかに、四時間くらいぐっすり寝てしまいそうだ。
どっかのだれかさんが、眠気覚しに用意したチョコレートを全て食べ尽くしたから糖分が不足しているし、気を抜けば欠伸を連発しそうなくらにには眠たい。
睡眠欲を堪えるのは、至難の技ではあるけれど……。
「まだ外も明るいし、町を案内してくれよ」
「それは構わないけど、なにもないよ?」
「兎に角、少し体を動かしたいんだ」
少し、か……こんな田舎で『少し』とか、舐めプにも程がある。
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by 瀬野 或
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