九時限目 天野恋莉は心を決める 2/2
もう見飽きてしまった駅前ロータリー。
駅へ続く道の途中にある一件のファミレスであの子と出会った。
運命だとか大袈裟に言うつもりは無いけど、私の中に起きた衝撃は計り知れず、頭上に落雷でも落ちたのかってくらい動揺した。
この道を通る都度、無意識にあの席を横目で確認してしまうのは、もしかしたらユウちゃんがいるのでは? と期待してしまうからに他ならず、いないと確認できたらほっとするけれど残念にも思う。
私の求めていた『恋愛』の正体はこれ? その答えを出すには早過ぎるけれども、心が締め付けられるように苦しいのは、多分、そういうことなんだろう。
ユウちゃんは佐竹の恋人で、二人の会話から察するに距離は相当近い。仲がよくて羨ましいな。見せつけるように手を繋いで歩いていたのは、私に対しての嫌がらせ? ──もう、キスはしたのかしら。
「な、なに考えてるのよ、私……」
自分が想像してしまったモノを振り払うように、早歩きでその場を離れた。
駅の隣にあるコンビニに立ち寄った。
喉が乾いたので水でも買おうと思ったけど、レジには行列ができている。これなら、駅のホームに設置されてる自販機で買ったほうが早そうね。
そう思って引き返そうとしたら、誰かと肩がぶつかってしまった。咄嗟に「ごめんなさい」と謝罪する。
「こちらこそ……って、あれ? 恋莉?」
「その声は……もしかして凛花?」
春原凛花は中学時代の友人で、三年間同じクラス、三年間同じ部活を共にした。
私が心を許せる数少ない親友とも呼べる存在。
当時は真面目な性格で、少し頼りない雰囲気の子だったのに、いまはトレードマークでもあった眼鏡を外して、髪も狐色に染まっている。化粧も濃くなった。あの頃は化粧なんてほとんどしてなかったのに……。
「誰だかわからなかったよ。イメチェンしたの?」
イメチェンというか、ほぼ別人だけど。
「いつまでも引っ込み思案な自分じゃいけないって高校デビューしたの。やっぱり恋したいし!」
そう言って笑う彼女の笑顔は、もう、私の知る凛花ではなかった。
「凄いね凛花は。私は相変わらずだよ」
変わりたい、と望むだけ。
変われない、と嘆くだけ。
「中学時代は恋莉のことを凄いって思ってたよ?」
過去系か、堪えるなあ。
「そうだ!」
なにを思いついたのか、凛花は頬に靨を作りながら手を叩く。
「なに?」
「時間あるならさ、久しぶりにどこかで話さない? 積もる話もあるだろうし」
積もる話、か。
積もり過ぎて雪崩が起こりそうだよ。
「うん。わかった」
私たちは近場にある店を探した。
「ファミレスでいい?」
「いいよ」
立ち止まった駅近くのファミレス、そこはユウちゃんと初めて会った店。中に入るとやっぱりあの席が空いているか確認してしまう。
この時間にあの席が空いているはずもなく、私たちはドリンクバー近くにある席へと通されて、そこへ腰を下ろした。
「ドリンクバーだけでいい? なにか食べる?」
「ううん。喉乾いてたからドリンクバーだけでいいかな」
なんだか落ち着かない。
ソワソワする気持ちを抑えながら店内をボーッと眺めていると、凛花が心配そうに「どしたの?」と顔を覗き込んだ。
「うん……ちょっと、ね」
「ふぅん。ま、取り敢えず飲み物取りに行こうよ」
私はオレンジジュースを、凛花はコーラをコップに注いで席に戻る。
「あれ?」
些細な違和感を感じた。
「凛花って炭酸飲めたっけ?」
その違和感の正体を指差しながら訊ねる。
凛花が炭酸飲料を飲む姿は、これまで見たことがなかった。苦手だって言ってたのに、どういう風の吹き回しだろう。
「飲めないよ? でも、飲めるようにならないといけないからさ」
どうしてそんな無意味なことを。
「無理に飲まなくてもいいじゃない?」
「まあ、色々あるのよ」
囁くように零した『色々』という言葉の中に、どれだけの努力が隠れているのか私には想像もつかない。ただ、一つだけ言えることは、目の前にいる凛花は以前までの凛花とは違う。それが嬉しいような、それでいて寂しいと思ってしまうのは我儘かな。
「私のことよりも恋莉だよ」
なにがあったの?
「多分、吃驚するかも……。引かないで訊いてくれる?」
凛花は静かに頷く。
「いいから、早く話しちゃいなよ」
私は自分に起きた心境の変化を、なるべく鮮明に説明した。驚いてたけど、それでも茶化すことなく最後まで静かに訊いてくれた。
「まさか、そんなことがあったなんてねえ」
「ごめん。やっぱり迷惑だった……?」
そんなことないよって否定してから、凛花は手元にあるコップを持ち上げた。
「まさか恋莉がレ──女の子が好きだったとは」
レズビアンと言おうとして、直接的な言葉を避けた。凛花なりの配慮が嬉しい。私はまだ、自分を『レズビアン』とは思ってないし、その確認作業中でもある。
「自分でも戸惑ってて、それが本当に恋なのかどうかもまだわからないんだよね」
凛花はコーラを一口。
「うげ、酸っぱ」
涙目になりながら飲み下して「へくち」と小さなくしゃみをした。
「炭酸飲むとくしゃみ出ない?」
同意を求められても……あ、ミント味のタブレット菓子を食べるとくしゃみが出る体質の子もいたっけ。
「私は出ないけどね」
ま、それはどうでもいいとして──と、凛花は椅子に深く座り直した。
「変なこと訊くけどいい?」
変なこと?
「私のことは、どう思ってたの?」
そうね──。
私の事情を知ったいま、どう思ってたのか気になるのはよくわかる。私が凛花の立場でも、その答えを訊かずにはいられない。答えを知るのが怖い反面、興味を唆られる話でもあるから。だけどもし『実は好きだった』って答えられたらどうすればいいんだろう? とも思う。
凛花は、どう答えるのかしら。
そっちのほうが興味あるけれど、嘘や冗談でも言っちゃ駄目よね。
「ずっと一緒だったし、気兼ねなくなんでも話せる友だよ」
そう、凛花は友だちだ。
勉強の相談も、何気無い雑談も、そこに『特別』を感じたことは無い。特別な友だちであっても、特別のベクトルが違う。
「じゃあ、こういうことされたら?」
「へ?」
凛花は徐に立ち上がると私の左隣に座って、私の肩に抱き着くように身を寄せた。
髪の毛が私の耳を擽ってこそばゆい。
柔らかな胸の膨らみの感触が左腕に伝わる。
人間の体温はどうしてかな、安らぎさえ感じてしまう。
嫌味じゃない、センスのいい香水の匂いが鼻を抜けて頭をふわっとさせた。
でも、違う。
心は平常を保ち続けて、あの日味わった高揚感は無かった。
「なんだか平気っぽいね? ……それはそれで、ちょっとショックなんだけどー」
「ご、ごめん! でも、凛花は友だちだし、スキンシップみたいな感じかなって、思っちゃった」
凛花は再び向かいの席に戻ってから「うそうそ、冗談」と笑った。
「つまり、誰でもいいってわけじゃないってことだね」
えっと──ユウちゃんさん、だっけ? と、凛花は首を傾げた。
「〝その子が好き〟ってことが証明されたじゃん」
あ、そっか。
「私は、ユウちゃんが好きなんだ」
「応援してるから、頑張りなよ? 難しい恋だと思うけどさ?」
それから暫くたわいもない雑談をして、そろそろ暗くなってしまうからと私たちは別れた。
大した話はしてないけど『ユウちゃんのことが好き』という事実は確認出来た。
自分が同性と付き合いたいと本気で思っているかどうかの確証も取れた。
そして。
この気持ちを生かすも殺すも自分次第であり、いつかは佐竹と折り合いも付けなきゃならないだろう。
ユウちゃんは佐竹の彼女であり、私の付け入る隙はないかもしれない。それでも、簡単に引き下がるわけにはいかない。
私はもう、彼女が好きなのだから。
明日、もう一度佐竹に交渉してみよう。
大丈夫。
私はちゃんと、恋ができるはずだ──。
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・報告無し。