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七十一時限目 彼と彼の宿題 6/16


 次の日も私は、同じ時間に佐竹家を訪ねた。


 二日連続で同じ家に向かっている道すがら、なんだか通い妻をしているみたいだなあ、と不思議な感覚に襲われた。やっていることは、単なる家庭教師に過ぎないけれど、昨日の今日だから、こんな感覚になっているのかもしれない。


 宿題の進捗は、思いの外順調に進んだ。私が愚痴程度に零した「私がいない間も課題を進めてほしい」を、佐竹君は嫌々ながらも実行してくれたようで、何ヶ所か間違いはあったけど、この進捗状況であれば、夏休み中に問題なく終わりそうだ。


 とはいえ、佐竹君の苦手意識が克服したわけじゃない。連日共に勉強しているせいか、今日はどうも集中力が欠如していた。疲労感が、表情と、シャーペンを走らせるスピードに出ている。一問解くのに三〇分も費やしていたら、時間はあっという間に過ぎてしまう。


 そろそろ休憩を挟むべきかな。


 そう思って、私がシャーペンを置いたとき、招かれてもいない客がノックもせず、佐竹君の部屋のドアを勢いよく開けた。


「トゥギャザーしてるかーい?」


 元気はつらつ〜? みたいなノリで登場したのは、佐竹琴美。美大生で、同人漫画家で、変人で、変態。私が初めて女装したとき、手取り足取り教えてくれた、女装の師匠のような存在でもある。が、トラブルメーカーな一面もあって、琴美さんと対峙するには、ちょっとした覚悟が必要だった。


 琴美さんは黒のノースリーブシャツに紺色のホットパンツという、肌の露出部分が広過ぎる格好をしていた。寝起きではなさそうだけど、髪の毛はぼさぼさ状態。自宅モードの琴美さんは、他人が家にいようが御構い無しで、豊かに実った胸部を、凶器のように振り回す。


 突如として乱入した姉に対して、佐竹君は厭悪を露わにしながら睨みつけた。


「毎回言ってるけど、ノックくらいしろよ。ガチで」


 呆れ半分、怒り半分の声音。


「ノックなんてしたら、現場を抑えられないじゃない」


 対する琴美さんは、さも当然かのように言った。


 現場を抑えるって、どんなの現場を抑えたいのか……あまり想像したくない。


「つか、朝帰りとか羽目外し過ぎんなよ」


 そういえば、昨日は琴美さんを見ていなかった。


 あの琴美さんのことだ。私が家に来るとわかれば、なにかしらちょっかいを出してくるはず。


 丁度、いまみたいに。


「大丈夫、ちゃんとハメたから!」


 と、鼻を鳴らした。


 琴美さんの口振りだと、みだらな行為を連想させる。


 性の話題に対しておおっぴらなのは、相変わらずだ。


「やめろ、気持ちわりい……」


 ああ言えばこう言うという具合に言葉を畳み掛けていく姉弟をぼんやりと眺めながら、これが佐竹家の日常なんだと思った。


「お邪魔してます」


 私が(じょ)(さい)なく挨拶をすると、琴美さんは珍しい動物でも目にしたような顔をした。そして、なにやら自得した感じで「ふむ」と呟き、小さく右手を振りながら「ゆっくりしてってねえ」と含蓄のある笑みを湛えた。


「それよりも、義信。昨日、二人きりにしてあげたこと、感謝しなさいよ? それで、もう一夏のアバンをチュールしたの? は? まだなの? アンタ、この状況で手も出さないとか、どんだけヘタレてるのよ。少しは男を見せなさい。いや、アンタの漢を見せなさい!」


 アバンをチュールってなに? と思った。そういう区切り方をされると、卑猥じゃない言葉なのに卑猥に訊こえてくる。それに、最後の『おとこ』って言葉は、絶対に隠語でしょ。


「勘弁してくれよ、ガチで……」


 佐竹君の食傷気味な表情を見て、私は苦笑いするのみだった。


 ついこの間、琴美さんと真面目? なやり取りをしていたから忘れていたけど、佐竹琴美という女性は、(ひょう)(ひょう)とした態度で他者を弄んだり、相手を困らせるのが大すきな、かなり性格に難がある人だってことを、私は思い出した。


 琴美さんと深く関わりがあるわけでもない私が、そう思うくらいだ。毎日のように顔を合わせる佐竹君は、毎度のように下ネタを披露されて辟易するのも頷ける。身内の下ネタほど訊くに耐えない……ご愁傷様。


「つか、なんの用だよ。こっちは勉強で忙しいんだ。姉貴の相手する暇はねえんだけど」


「せっかく優梨ちゃんがきてるのに、お預けとか酷くなーい? 私だって優梨ちゃんと、あんなことやそんなこと、したーい」


「あはは……」


 と、乾いた笑いしか出来ない私を不憫に思ったのか、佐竹君は意を決したように立ち上がり、琴美さんをぐいぐいと押しやりながら部屋の外へ追い出そうとした。


「いやーん、弟に押し倒されるー」


「気色悪い声出すなよ。俺らは、割とガチで勉強してんだから、マジで邪魔すんな」


 佐竹君が文句を言うと、琴美さんの動きがぴたりと止まった。佐竹が押してもびくともしないなんて、琴美さんの体幹は、力士くらい強いんじゃないか? と、私はその様子を窺いながら、心の中で思う。


「ふうん」


 所在なさげに、琴美さんは呟いた。


「アンタ、なにも見えてないのね」


 そう言われた佐竹君は、蛇に睨まれた蛙のように硬直した。


 多分、その言葉は、佐竹君だけに向けられているわけじゃない。


 なにも見えていないとは、どういう意味だろう。


 単なるはったりにも思える。けど、琴美さんの意味深な言葉に、どうしても裏があるんじゃないか? と勘繰りを入れてしまうのは、私の中に疑問がある証拠でもある。


 ──答えを出せない問題を先送りにして、目の前にあるオモチャに飛びつくのは、さぞ気楽で気持ちがいいでしょう?


 そう、問われたような気がした。



 

【備考】

 読んで頂きまして、誠にありがとうございます。もし面白いと思って頂けたらブックマーク・感想・評価して頂けると幸いです。


 by 瀬野 或


【修正報告】

・2019年2月28日……読みやすく修正。

・2020年10月21日……加筆修正、改稿。

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