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七〇時限目 彼と彼の宿題 2/16


 勝手を知らない他人の部屋に一人きり、という状況は、初めての経験だった。エアコンの稼働音だけが、八畳ほどの部屋に響く。


 部屋の隅にある本棚には、漫画の単行本がずらりと並び、申し訳程度の参考書が端っこに追いやられている。


 テレビラックの下にはゲームのハードがすぐ取り出せる位置にあり、タイトルが見えるように並べられたソフトのほとんどは、RPGが占めていた。


 大枠の窓の外に、ちょっとしたバアルコニーのような空間がある。でも、ほとんど使用された形跡がない。


 デッドスペースにするには勿体ないなあ、なんて思いながらぼんやり窓の外を眺めていると、部屋のドアが開いた。


 佐竹君は木製のお盆──田舎のおじいちゃん家にありそうなやつ──に、大盛りタイプのカップ麺とアイスコーヒーが入ったコップを乗せて持ってきた。


「ほらよ」


「ありがと」


 受け取って一口……どこかで飲んだことのある味だ。多分、スーパーで298円くらいの、アイスコーヒー専用に挽いたやつ。


 どういうわけだか、ちょっと薄い。


 佐竹君はコーヒーを淹れるのが下手らしい。


 四、五杯分をまとめて作るより一杯だけ淹れるほうが難しいけど、それにしたって粉をケチり過ぎでは?


 淹れてもらった手前、文句は言わないけど。


「不味かったらすまん」


「ううん。飲めなくはないよ」


「いやその感想、不味いって本音がだだ漏れだからな?」


 ドリンクバーにあるアイスコーヒーよりは飲める、と評したほうがよかったかな……どっちもどっちな気がする。


 佐竹君がカップ麺の蓋を剥がすと、とんこつの匂いが一斉に部屋を支配した。


 大盛りカップのとんこつ味は、安いからと言って油断できない匂いがする。が、それは食べている本人にしかわからない。見た目とは裏腹に緻密な計算の元で作られたカップ麺なのかも。


 ただ、昆布はもう少し多くてもいいかな。





 私たちは各々の昼食を終えて、食後の休憩に入っていた。


 満腹とまではいかないけれど、満足はした。


 薄いアイスコーヒーの味にも慣れて、むしろ薄いほうがごくごく飲めていいかも? とか思い始めた頃、眠たそうな目を擦っている佐竹君が「なあ」と私を呼んだ。


「今日はどうして優梨できたんだ?」


「そのほうがいいなって」


 家を出る際、自宅にだれもいなかったことが一つ。初手から女装に慣れておきたかったことが二つ。三つめは、優志の姿で訪ねるよりも優梨のほうが望まれている、と思ったからだった。


 勉強を教えるという立場であるならば、優志で教えるよりも優梨で教えたほうが佐竹君も嬉しいだろうし。


 それらの理由があって、私は優梨(わたし)の姿を選んだけれども、馬鹿正直に理由を伝える必要はない。


「まあ、嬉しいっちゃ嬉しいんだけど、無理してねえかちょっと心配になるわ。普通に、ガチで」


「心配してくれてありがと。でも、無理してないから大丈夫」からの優梨スマイル。相手は死ぬ。死なないけど。


 ……殺してどうするんだ。


「なら、いいんだ」


 よっこいしょ、と佐竹君は腰を持ち上げて居住まいを正し、胡座(あぐら)をかいている両膝に、どかっ、と手を置いた。


「この前から気になってたんだけど」


「この前って?」


 訊ねる。


 佐竹君は「茶化すな」と言わんばかりに眉を顰めた。


「ダンデライオンに呼び出した日だ……続けていいか?」


 私は首肯した。


「お前は、優梨……つまり、そっちのほうが楽なのか?」


 そっちのほう、とは、女装した私を示唆しているんだろう。


「どうして?」


「元々お前に女装趣味はないだろ。だから、無理に合わせてんじゃねえのかなって。もし、無理してその格好をしているのであれば、そんなことしなくていいぞ?」


 嘘だ、と思った。


 佐竹君が好きなのは、優志じゃない。レンちゃんが好きなのも、優志じゃない。


 優梨だからこそ求められるし、存在価値があるのを、私は知っている。


「つうかさ」


 手に持っていたグラスをテーブルの上に置き、


「お前、いまは優梨なんだよな?」


 見た目通りのことを、口にした。


「そうだよ?」


 私が答えると、どん! とテーブルに両手をついた。


「だったらもっと、なんか……あるだろ!?」


 佐竹君は興奮し過ぎて、語彙力が更に低下してしまったようだった。


「なんかって?」


「なんかは……なんかだよ!」


 ──南に下りること?


 ──それは南下だ!


 ──柔らかくなること。


 ──それは軟化だ!


 ──カボチャの異名?


「なんか……って言うのか?」


 自信なさそうに、佐竹君は眉根を寄せた。


(みなみ)(うり)で、(なん)()


 南瓜と書いて、かぼちゃ、とも読む。


「初めて知ったわ……って、俺は漫才したいわけじゃない!」


 ()()()は激怒した。


 怒ってはいなそうだけど。


「男と女……女でいいんだよな?」


 どう捉えるべきなのか、私にも判断が難しい。


「私に訊かれても困るんだけど」


「まあいいか」


 と佐竹君は続けて、


「男女が同じ部屋で二人きりなのに、真面目に勉強とかあるか!?」


「あるでしょ?」


「あるのかよ! いやあるか……」


 男女が同じ部屋にいるとしても、その関係性で大きく違いがある。


 恋人同士であるなら、佐竹君の主張にも一理あるかもしれない。


 だけど私たちは、知り合い以上友だち未満の関係で、きちんと一線は引くべきだし、目的を履き違えてはいけない。


 ただ、佐竹君が言いたいこともわかる。


 意中の相手を自分の部屋に招き入れたのであれば、チャンスがあるかもしれない、と淡い期待をしてしまうのも男の性……だとしても、それを容認することはできなかった。


 私は手元にあるアイスコーヒーを一口飲んで、苦味を元手に思考を巡らせる。


 佐竹君の欲求を別の方法で解消するには──


「気分転換に散歩しよっか」


 気分転換の言葉に佐竹君は、そっぽを向いていた目を私に向けた。名前を呼ばれて反応する犬みたいだった。リードを外した瞬間に、脱兎の如く走り去るような、そんな感じの駄犬っぽい。


「マジか?」


「散歩くらいなら」


 犬だけに。


「でも一〇分程度だよ? それ以上はだめ」


 長い間外にいると、別の物に気を取られてしまいがちになる。


 佐竹君の家付近には、魅力的な店が沢山あるのだ。コンビニは勿論のこと、本屋、レンタルショップ、スーパーマーケット、ゲームセンターなんかもあるし、小腹を満たせるカフェもある。佐竹家の立地条件が最高過ぎて、ちょっと嫉妬するくらい。



 

【備考】


 読んで頂きまして誠にありがとうございます。差し支えなければ【ブックマーク】などして頂けると、活動の励みになりますので、どうかよろしくお願いします。


 by 瀬野 或


【修正報告】

・2021年3月29日……誤字報告箇所の修正。

 報告ありがとうございます!

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