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六十九時限目 夜の帳が下りる頃[前]


 店内で流れていたビートルズは、いつの間にかピアノジャズに変わっていた。小洒落たBARのような、大人びた雰囲気。ポロロン、と鳴ったピアノに、プワーン、とサックスが重なる、しっとりとしたジャズナンバー。哀愁を漂わせているのは、風のような音を出すドラムと、余韻を促すウッドベースの効果だ。


 そんな曲を訊かされては、どうもセンチメンタルな気分になる。


 優梨が退店した後に残された向かいの席に、一抹の寂しさを感じてならなかった。ついさっきまで俺に微笑みかけてくれていた笑顔がそこにないというだけで、こんなにも心が枯れてしまいそうになるのか。放置されたままのグラスたちや、クッキーが並べられていた皿も、役目を終えた感を醸し出している。なんだかなあ、と溜息が零れた。


 ダンデライオンには、アンティークな小物が、ところかしこに散りばめられている。初見で訪れたときは「これが喫茶店かよ」と、驚いたもんだ。だってここは喫茶店のはずなのに、小規模な骨董品屋がついでにカフェを営んでいる、みたいな風貌だ。店主が照史さんじゃなくて、ローブを羽織った婆さんだったら、魔女の家そのもの。


 もう見慣れてしまったアンティークな品々を一周見渡して、照史さんへと目を向けた。さっきまではドライカレーの仕込みをしていたのに、いまはマフィンの準備を始めていた。


 冷蔵庫から取り出したのは、バター、ヨーグルト、たまご、牛乳、バナナなど。バナナを使用するのはチョコバナナマフィンだ。メープルとナッツのマフィンも好きだけど、俺が推すのはチョコバナナ。


 曜日毎に異なる味が用意されるマフィンは、レジの横にある籠の中にもお土産用として個包装された物が積んである。冷めてずっしりとしたマフィンも悪くないんだけど、熱々ふわふわを味わってしまったら店内一択だろう。


「あ、そうだ。アイツらに連絡しねえと……」


 カーゴパンツの右ポケットから携帯端末を取り出し、メッセージアプリのグループチャットを開いた。BBQの待ち合わせ時刻に了承するコメントが並び、最後の返信は俺の仲間の一人、宇治原が打った『遅れるなよ』で止まったままになっている。


「いきたかったけど、仕方ねえか……」


 宇治原のチャットの下に俺が打ったチャットが、ぽん! と間抜けな感じで表示され、直ぐに既読が付いた。暇してるヤツがいるな、と顔がにやけたが、直ぐに表情を戻した。


 返信を待ってもよかったか、と思ったけど、これ以上グループチャットを開いていたら決心が揺らぎそうだった。返信を待たずにアプリをタスクキルして、携帯端末をポケットにしまった。その直後、ブルッと携帯端末が震えた。既読を付けた暇なヤツが返信したようだ。


 確認したいと思って再びポケットに手を突っ込みかけた俺だったが、いまはやめておこうと手を引っ込めた。


 いままでの俺だったら、アイツらとの予定を優先していただろう。そして、楽しい時間に思いを馳せつつ、近所にあるレンタルショップで海外ドラマを借りて見ているに違いない。が、いままで通りじゃ駄目だと気がついた俺は、『佐竹義信を辞める』と自分に誓ったばかりだ。楓の前でそう啖呵を切った手前、有言実行しないと楓に笑われてしまう。


 ──なにより、自分のために『変わる』と誓ったわけだしな。


 マフィンを焼く工程に入ったようだ。ふわりとした甘い香りが、店内に広がっていく。その香りに釣られて目を向けると、照史さんが俺をちらり見た。


「お菓子作りに興味があるのかな?」


 照史さんは、同志を見つけた、とばかりに、楽しげな声を弾ませた。 


「あ、いえ。俺は作るより食うほうが好きっス。普通に」


 家庭科の実習以外でお菓子を作った記憶がない。


 料理はどうも、な。


「お菓子が作れる男子はモテると訊くよ?」


 最近ではスイーツ男子なるものが流行っているそうじゃないか、と続ける照史さん。その流行りはもう数年前に終わった気がするけど、存在をアピールするという意味では、そういう方法もあるのかもしれない。


 ──優志はたしか、チョコレートが好きだったか。


 そもそも、チョコレートってどうやって作るんだ?


 カカオが原料だってのは知ってるけど、カカオってどう処理すりゃいいのかわからん。煮て出汁を取る? 蒸して磨り潰す? 油で揚げるってのは絶対違う……つか、日本でカカオ豆の栽培しているなんて訊いたことがない。


 カカオの原産国はガーナ共和国だってのは覚えてる。けど、そこまで行く旅費がねえし、パスポートだっても持ってねえ。


 生まれてこの方日本から出たことがない俺にとって、パスポートはセレブっぽいイメージがあった。


「作ってみたくなったらいつでも訊いてね」


「あ、あざっス」


 そんな日がくるとは思えないが、好意は受け取っておこう。


「ところで」


 洗い物をしながら、なにかを思い出したように訊ねる。


「今日のプランを考えたのは、楓だよね?」


「そうっスね」


 隠す必要はないと思い、正直に答えた。





 当初の予定だと、夏休みの課題を手伝ってくれる相手は楓だった。然し、回数を重ねる毎に、楓の表情を険しくなっていった。俺の呑み込みが悪いって理由も、多少はあったと思う。


 ある日……この日もいつも通りに、夏休みの課題を終わらせるべく楓を訪ねた。だが、楓の表情は更に険しく、俺が冗談を言っても表情を全く変えない。これはいよいよ見放されるのか、と腹を括って楓の自室に向かうと、楓は俺を定位置に座らせた。


 ──このままではいけないと思いませんか?


 そう楓に問われ、最終目的が〈夏休みの課題を終わらせる〉になっていたことに気づいた。


 ──そもそも、私が手伝うところからおかしかったのです。


 たしかに、と俺は頷いた。元はと言えば、夏休みを利用してアイツとの仲を深める、という手筈だった……それがどうだ。蓋を開けば、楓と一緒に過ごす時間が増えている。



 

【備考】

 読んで頂きまして、誠にありがとうございます。もし差し支えなければ【ブックマーク・感想】などもよろしくお願いします。

 

 by 瀬野 或


【修正報告】

・2019年2月28日……読みやすく修正。

・2020年10月13日……加筆修正、改稿。

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