六十五時限目 佐竹義信はどうしても締まらない ③
俺は常に、クラス全体を見るよう心がけていた。問題を未然に防ごうとしていたのは、険悪な空気になるのが嫌だった。だから、だれとでも会話して繋がりを作った。クラスの中にはちょっと相手するのが苦手なヤツもいるけど、ソイツだって根っからの悪党というわけじゃない。
そうした地味な努力を積み重ねて、ある程度の考え方というか、性格というか、衝突を回避する方法を見つけて実行していたけど、もしかすると、俺が行なっていたことで、個人の意見を封じてしまっていたのかもしれない。
喩えば、の話。俺に反抗するとクラス全体から顰蹙を買ってしまう、と思うヤツがいてもかしくはない。俺自身がそんなこと考えていなくても、俺を敵に回せばクラス全員が敵になるって考えに至るのも頷ける。
「つまり、楓は俺のやり方が間違っているって、そう指摘したいのか」
「そうですね。佐竹さんのやり方は間違っています」
でも、と沈黙を挟む。
「概ね正しい行いでもあります。唯一無二、だれにも真似ができない方法と言えますね」
褒めるんだか貶すんだか、どちらかにしてほしいもんだ。
「佐竹さんの行いは、問題の模範解答みたいなものです。模範であるがゆえに、模範し続けなければならなくなっている……そんな佐竹さんが集を敵に回せるはずがない。違いますか?」
その通りだ、と思った。大きな流れに逆らうことは困難で、その流れを生み出している俺自身が翻れば、熾烈を極める大戦争になる可能性だって大いにあり得るわけだ。
「覚悟を決めるとは即ち、ときに大軍を敵に回してでも大切な人を守り抜くことです」
「そこまで大袈裟な話か……?」
「だれかを愛する意思に、大袈裟もヘチマもありませんよ」
俺は、優志一人のためにクラス全員を敵に回すことができる……自信がない。心では、そうしたい、とは思う。でも、こればかりは、リアルに考えても、即答できる問題じゃなかった。
俺に向けられた信頼や友情とか、計り知れるものでもないのに、知ったように、悟ったように、青春ドラマの主人公かのように振る舞うなんて、俺にできるはずがない。
「覚悟ってのは重たい言葉だな。マジで」
「ええ、その通りです」
楓は静かに首肯する。
恋愛について、楓みたいに本気で考えたことは一度もなかった。もっとこう、ノリでなんとかなるとさえ思っていた節がある。
他人を好きになる、ということ──。
それだけでも充分気が重くなるのに、意中の相手が同性だったら、重さは倍々ゲームのように膨れあがる。重石を乗せられた漬物になった気分だ。じわじわと押し潰されて、気が滅入る。
「楓はそこまでして恋莉と恋人関係になりたいのか?」
「はい」
即答だった。
「私の中での恋人関係は通過点でしかありません。そこから更に発展させて、恋莉さんと家庭を築きたいと考えています。私にとって恋莉さんは、掛け替えのない存在ですから」
すげえな、と思った。同時に、やべえ、とも思った。俺とタメの女子が将来を見据えて恋愛論を語っているこの状況が、兎にも角にも普通にやばい。
「だれよりも恋莉さんを幸せにする自信がありますし、愛情はご家族より勝ると思っています」
愛情が重てえよ……。
「と、ここまで申し上げましたが、佐竹さんに私と同等の覚悟をしろと言っているのではありません」
「そ、そうか……」
ほっと胸を撫で下ろした。
「佐竹さんは先ず、嫌われる覚悟からしてみては如何でしょうか?」
「嫌われる覚悟……?」
堪らずおうむ返しした俺に、楓は微苦笑を浮かべた。
「はい。それより先はご自身でお考え下さい」
好きな相手に嫌われたら、おしまいな気がする。が、楓の口振りからだとそうでもないようだ。益々わけがわからない。恋愛は相手のことを好きか嫌いかってだけじゃないのか? 好きなら告白してカップルになり、リア充街道一直線って感じだと思っていたのに。
楓は額に薄っすら汗をかいている。喋り過ぎて熱くなったんだろうその汗を、ぽんぽんって感じに花柄のハンカチで軽く押さえるように拭き取り、丁寧に畳んでバッグの中にしまった。
なんとなくだけど、楓はいい奥さんになるだろうな、不意にそんなことを思った。
他人のためにここまで親身に熱く語れるヤツは、そういない。
少なくとも俺の周囲にいるヤツらは、ノリと勢いに任せるようなヤツばかりだからなあ。勿論、ソイツらが悪いなんて微塵にも思わない。芸人ノリがたまに傷だけど、楽しいヤツらだ。
恋愛は漠然とし過ぎている、そう思った。
ハウツー本を探せばいくらでもあるだろうけれど、それらの本を読んだところで無駄、とまでは言わないが、結局、行動するのは自分であってハウツー本の著者じゃない。ノウハウを学ぶためにはいいだろうとも思うが、本に書いてある内容なんて高が知れている。ネットで検索したほうがよっぽど頭に入りそうだ。
そういえば、嫌われる勇気ってタイトルの本を近所の書店で見かけた覚えがあった。今回の件とどう関わるかは未知数だが、なにかしらのヒントは得られるかもしれない。帰り際に探してみるか? 財布と相談して決めよう。
「私のいいたいことは、理解できましたか?」
俺は腕を組んで考える。わかったような、わからないような。どうもふわふわして、落ち着かない。着地点が見つからず空中を漂っているような感覚に近しいものがある。朧げに、とでも言うべきか。
「なんとなく……?」
でしょうね、と苦笑いする楓。
「全てを理解しろ、なんて傲慢なことは言いません。ですが、触り程度には記憶して下さい」
要は相手の気を引けってこと? ああそうか、なるほどな。
人には〈印象〉というものが絶対に存在する。根暗なヤツ。ふざけたヤツ。面白いヤツ。嫌味なヤツ。そういう印象を操作して、相手を自分に惹きつけろってわけか。多分、知らんけど。意図せずに緒を掴んだ気がした。
「ブロウイン・イン・ザ・ウインド」
「は?」
突然、楓が思い出したかように、洋画のタイトルみたいなのを口走った。
「いま店内に流れている曲です。ボブ・ディランの代表曲のひとつで、邦題を〝風に吹かれて〟といいます」
「へえ」
アコースティックギターがズンジャンジャカジャカと鳴り、ハーモニカがプワーパーッパ、パーパッパと響く。どこかで聴き覚えのある曲だと思ったけど、風に吹かれてって曲名だったのか。
「詳しいんだな」
「私の音楽知識は、それほど明るくありませんよ。ボブ・ディランは、お兄様がまだ月ノ宮家にいた頃、お部屋で聴いてらしたので覚えています。でも、その程度の知識に過ぎません」
「この曲はね、自由について歌っているんだよ」
俺と楓しか客と呼べる客がいないこともあって、照史さんは暇になったのか俺たちのテーブルへとやってきた。
【備考】
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by 瀬野 或
【修正報告】
・2020年9月25日……誤字修正。
報告ありがとうございました!