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六十五時限目 佐竹義信はどうしても締まらない ①


 俺の手元にある空いた二つのグラスを交互に見て、楓が「なにか飲みますか?」と訊ねてきた。そうだなあ……と暫し考えてみても、飲みたい物がぱっと出てこなかった。


 強いて言うなら、強炭酸のジュースが飲みたいけど……。


 ダンデライオンで提供されるドリンクは、珈琲の他に〈季節限定ドリンク〉とオレンジジュース、そして紅茶類。大人向けに二種類のビールとワインがある。


 ビールは炭酸飲料だ。でも、未成年は注文できない。飲めもしない物を注文しようとは思わないが……そういえば、昔、姉貴に無理矢理一口飲まされたことがあった。口の中に広がる強烈な苦味は、ピーマンやゴーヤとも似つかない味。思い出すと、口の中が苦くなった気がする。うげえ。


 あんな苦い飲み物を有り難そうに飲む姉貴に対して「味覚が狂っているんじゃないか?」と疑いの目で睨んでやったが、そんな俺を嘲笑い、(とろ)けた表情で「アンタは子どもだからよ」。わかってんなら飲ませるなよ。


 大人と子どもの味覚の差ってなんだ? 二〇歳になった瞬間に大人舌へと生え変わるわけではない。経験の差? 場数の違い? 仮にそうだとすると、未成年のときから酒を飲んでたってことじゃねえか。


 ──新卒はビールを飲めなければ印象が悪くなる。


 まことしやかに囁かれている、社会の噂。『付き合いが悪いヤツ』というレッテルを貼られるのが嫌で、ビールを飲む練習をする人も多分いる。『どこぞから出た悪趣味なマナー講座に過ぎない』と一蹴できないくらい追い詰められる現状がビールを飲める舌に作り変える、といっても過言じゃない。つか、酒を強要するような職場が『いい会社』とは思えないけどな。


「佐竹さん、どうかしましたか? 回答に困る質問をした覚えはありませんが」


 と、楓は首を捻る。


「ああすまん。ぼうっとしてたわ」


「ぼうっとするのは顔だけにしてくださいね?」


 笑顔で嫌味を言う楓に「ほっとけ」と返し、水を貰うことにした。


 注文を受けた照史さんは、輪切りにしたレモンをひとつ水差しの中に入れて持ってきてくれた。軽く絞って入れてあるレモンの実は、ちょっと崩れていた。


 俺の右手よりも先に、楓の左手が水差しの窪んだ部分を掴んだ。危うく、楓の手に触れてしまうところだった。もしそんなことがあれば、セクハラで訴えられかねない。同級生の女子に訴えられるなんて嫌だぞ、俺は。


「どうぞ」


 ガラス製の水差しはラッパみたいな口をしていて、ぎっしり入った氷が注ぎ口を塞いで、氷とレモンは出てこない。一つくらい出てきてくれてもいいんだけどって期待したが、楓の慣れた水差し捌きによって俺の魂胆は打ち砕かれてしまった。


「ああ、さんきゅ」


 一口飲む。冷えた氷水は、微かなレモンの香り。水にレモンが入っていると、なんだか得した気分になるのは俺だけだろうか? コンビニに売ってる一リットル紙パックのレモン水も好きだけど、甘みがないレモン水は、ちょっとしたレストランを想像させる。


 そういえば──。


 水差しにレモンを入れて提供する理由は、水道のカルキ臭さを紛らわすためだって姉貴から訊いたことがあった。なんでも、昔はいまよりも水道の整備がされていなかったらしい。


 この話を訊くまで、レモン入りの水はサービスだ、くらいにしか思っていなかった俺だったが……まあでも、酔っ払った姉貴の証言だし真相は定かではない。水差しだけに、水を差すような話だな。水に流しておこう。


「ダンデライオンで使うレモンは、シチリアから取り寄せた高級レモンなのですよ」


 楓は自分のコップに注いだレモン水を飲んで、(うん)(ちく)を傾けるように語った。この場合は〈ダンデライオンあるある〉というべきか。あるあるよりも〈豆知識〉っぽいけど。


「へえ、どーりで香りがいいわけだ」


 さすがはシチリア産の高級レモン。言われてみれば、香りも上品な気がしないでもない。シチリア産レモンもポッカレモンも、目隠しして出されたら区別つかなそうな俺の舌では、格付けチェックする必要もないくらいの凡人に違いない。だけど、肉だけは自信がある。普段、スーパーで売っている外国産肉を食いまくっている俺だ。味の違いは明白だろう。


 シチリアってイタリアだっけか? なんて考えながら水差しに沈んだレモンを見つめていると、


「鵜呑みにしないでください、嘘ですから」


 くすっと笑う、楓。


「嘘かよ!?」


 家柄だけに、楓の冗談はそれっぽく訊こえるもので、質が悪いったらねえな。


「おそらく、あの百貨店で購入したものですね」


 楓は視線だけを外に向けた。


 優志が着替えに使っていた、あの百貨店か。


 この時間になると近隣に住む主婦たちが買い物を終えて、自宅に帰る姿をよく目にする。犬の散歩をする人、塾帰りの小学生、定時上がりの公務員などが駅に集中していることだろう。もうそんな時間になっていたのか、早いな。


 ふと『どうして俺は楓とお茶しているんだろう』と思った。目の前にいるのは、クラスで一番人気の美少女だ。こんなところを楓ファンに見られでもすれば、割と普通に半殺し確定。


 俺と楓の繋がりは、奇妙と言えなくもない。


 好意を持った相手を振り向かせるべく繋がった同盟、といえば訊こえはいい。でも実状は、如何にして競争相手から意中の相手を奪うか、という一点に集結された議題に絞られている。これはもう、『強豪企業にどう抵抗するか』という妨害工作会議のそれだと言ってもいいんじゃないか?


 今回、その会議で決定されたのが〈佐竹義信を辞める〉。


 こんなことになれなければ、俺と楓は単なるクラスメイトって関係に留まっていただろう。そもそも俺が恋莉の告白に嘘を吐いて断らなければ、放課後、ダンデライオンに集まることもなかった……やっぱり、俺の蒔いた種感が半端ねえな。



 


【備考】

 読んで頂きまして誠に有り難う御座います。もし面白いと感じて頂けたら、ブックマーク・評価・感想、宜しくお願い致します。誤字などがありましたら、お気軽に『誤字報告』にて教えて頂けると助かります。

 これからも当作品を宜しくお願い申し上げます。


 by 瀬野 或


【修正報告】

・2019年2月28日……読みやすく修正。

・2020年9月24日……加筆修正、改稿。

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