六十二時限目 精根尽き果て候へば[後]
口の中に広がった甘みが喉に膜を張って、うげえと嘔吐きながら、もう一口飲んで隣に置く。
そういえば、この公園にやって来たのは何年振りだろうか。
昔はよくこの公園で遊んでいたが、年月を重ねるうちに公園で遊ぶこともしなくなった。遊び相手がいなければ虚しいだけ。その頃から比べると、随分と草臥れてしまっている。砂場には雑草が生い茂り、鉄棒は錆びたままだ。ブランコ、滑り台、スプリング遊具の塗装も剥げてしまって、いつ取り壊されても不思議ではない。
そうなってしまうと、これはいよいよ公園としての存在意義がなくなってしまう。ボール遊びくらい、許してやればいいのに。
何年振りかの公園とカレーの匂いのマッチングは、どうしても昔を思い出してしまう。
過去の記憶を思い出そうとすると、映画のワンシーンを切り取ったような場面が浮かぶ。右上にチェンジャー・ポイント──パンチとも呼ばれている──が付いていたら嫌な記憶の印でもあり、記憶の殆どにその印は付いていた。
頑是無い子どもだった僕は、頑張って努力すれば夢は叶うと信じていた。それが如何程に無知であったか、いまでは身に染みて痛感している。
無知というのは罪ではない、知ろうとしない無頓着さこそ罪である。
まるでどこぞの大企業の社訓みたいな言葉だが、本当に『知ろうとしないこと』が罪に値するのだろうか。
世の中には知らないほうが幸せだってことも多いし、好奇心が人を殺すともいう。知らぬが仏ってことわざもあるくらいだし、知りたくない情報に頭を下げるくらいならば、能天気に構えていたほうが長生きできそうだ。特に、自分が他者よりも劣るなんて、だれが喜んで知りたいと思う? 若いときの苦労は買ってでもしろとか。どうせ買うのなら、成功を買ったほうがいいに決まっている。
少なからず、僕は知りたくもなかったが、知ってしまったからには無知を片手に振り回すような真似はできない。
ターニングポイントになったのは中学校一年のとき。
名前も知らない将来有望な同年代が他方から集まる中学校では、自分が如何に井の中の蛙だったかを思い知らされた。
徐々に才能を発揮していく彼らと自分を比較して、劣等感を抱くのも無理はない。体だってどんどん成長していくし、一年ながらレギュラー入りを果たした運動部のやつもいた。
それなのに自分はどうだ? 身長も、体力も劣っていて、恵まれた才能も無い。
トドメを刺したのは秋頃に起きた事件だったが、いずれにしても〈空気のような存在〉を徹していただろう。そうすることでしか、自分という存在を肯定でっきなかったのだ。
三年も前の出来事をこうして度々思い出しては、現実主義者の真似事をして自己嫌悪の堂々巡り。
それも、そろそろ終わりにしなければならない。
簡単に割り切ることは出来ないだろう。無様な姿を晒すことだってあるに違いない。卑怯になって、卑屈になって、嫉妬して……それでも。
キョロキョロと周りを気にして窺うのは、今日で終わりにしよう。そういう気概でいたほうが、諦めもつく。
決して前向きとは言えないこの決断が、この先どういう経路を辿っていくのかは不明だ。だから、わからないことを延々に悩んでもわからないままで、わからないなりの答えを用意する他に手段はない。
案ずるより産むが易し、ということわざもあるくらいだしな。
缶の底に残るカフェオレをずずいと啜り、口の中で暴れるような甘味に眉を曇らせたのは、嫌味なくらい主張する糖分に対してか、先が見えない不安に対してか……多分、そのどちらも正解。空になった空き缶を左手に握り締めようとして、スチール缶だったことに気がついた。
なにがとは言明しないが、凹んだ。
「ヨッコラショウイチ、と」
親父臭く立ち上がる。
そう言えば、いまは優梨の格好をしていたんだと思い出して、女子が使う言葉じゃないなと失笑してしまった。
夜はまだ明けないが、明けない夜もまた無し。
今日の出来事も時間が経って大人になれば、いい思い出と成り下がるのだろうか? そんな風に歳を取りたくはないけれど、それもまた止む無しなのだろう。止む無しと山梨は語感が似てるな、なんて下らない駄洒落を思いつくくらいには平常心も取り戻せた。
なんだかさっきから親父臭くない? ……それはおそらく、この公園を包み込んでいる、カレー臭のせいでございます。
噺を終えた落語家のように、そそくさと公園から退散した。
【備考】
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これからも、当作品の応援をして頂けたら幸いです。(=ω=)ノ
by 瀬野 或
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