六〇時限目 初デートは愁いを帯びて ⑥[後]
「熊田さん。いま、彼は女の子になってるんです。だから、女性として扱うのがマナーというものでしょう? それとも、熊田さんはそういう方々に対して後ろ指を指すような人なんですか?」
私の代わりに、レンちゃんがピシャリと言い放った。そこまで言うほど不快に思っていなかったが、レンちゃんは面白くなかったらしい。ただ、八つ当たりしているような気がしなくもなかった。
「お、おお。これはすまん。冗談のつもりだったんだが。面目無い。以後気をつけよう。悪かったな、優梨ちゃん」
「い、いえ。ご迷惑をかけたのはむしろ私たちなので」
「すみません。私も言い過ぎました」
頭を下げようとするレンちゃんに対して、熊田さんは頭を振る。
「構わん構わん。言いたいことがあるならはっきり言ったほうが本人のためにもなるんだ。無礼講ってことで手を打とうぜ? 酒の席じゃあねえけどな」
そう言って、熊田さんは朗らかに笑った。
* * *
「ごめんなさい」
帰宅途中の電車の中。隣に座っているレンちゃんは、思い出したかのように呟いた。私との間には、拳二つ分くらいの隙間が開いている。その隙間が、やたらと寒く感じた。
「ううん」
強く頭を振る。
「レンちゃんはなにも悪くないよ。悪いのは、私」
「そんなことない。ユウちゃんが悪いなら、私はもっと悪い」
どちらが悪いか議論の応酬をしても無意味だ。とはいえ、私も、レンちゃんも、自分を許せるはずもなかった。
罪の意識を自分に向けたほうが、多少なりとも気持ちが楽になるかも知れない。自分のせいにしてしまえれば、相手を責めずに済むのだから。……そんな狡い考え方をしているのは、私だけだろうな。
満員だった電車内に、空席がぼつぼつ見え始める。外の風景は、都会の町並みから田畑が多くなってきた。外はもう真っ暗で、星は無い。駅と駅の間隔が長いのは、田舎である証拠だ。遠くの方に、パチンコ店の明かりが見えた。駐車場には、何台も車が停まっている。大人たちは、まだ夜を遊んでいるようだ。
窓の外を静観していると、レンちゃんが小さな溜息を吐いた。
悔やんでも悔やみ切れない、といった様子で、
「折角のデートだったのに」
もう一度、殊更に深い溜息を吐いた。
言われて、今日はレンちゃんとの初デートだったんだ、と思い出した。内容が内容だけに、デートであることを忘れてしまっていた自分が腹立たしい。
どうにかしてこの状況を挽回できないものだろうか。それには先ず、私が切り替えなければならないだろう。二人して憂鬱に気を揉んでいたら、それこそ折角のデートが台無しだ。
レンちゃんの後悔は、巫山戯た拍子に足が攣って、離岸流に流されてしまったことに他ならない。その後、気を失って救護室で寝てしまったことも原因にあると予想する。これに追い討ちを掛けたのは、堂島さんの気遣いだ。いや、堂島さんはなにも悪くないけれど、結果としては、そうなのだろう。
ここまでの流れで、レンちゃんに過失があるかどうか一考する。海に入る前の準備運動が、おざなりになっていた。……これは、よくある話だ。砂浜でラジオ体操する人を、私は訊いたことがないし、プールに飛び込んで入る勢いで、海に入水する人々を何人も見た。他人の行為を免罪符にするつもりはないが、海を目の前にしてはしゃぐな、というほうが難しいだろう。
熊田さんの注意を真剣に訊いていなかった? ……それもない。レンちゃんは真剣な表情で訊いていたし、質問もしていた。これをもし馬の耳に風としていても、離岸流は発生していたはずだ。
状況を思い出しながら、一つ一つ記憶を精査してみても、非があるとするなら、私に他ならない。それにも拘らず、憂鬱な気分を切り替えようだなんて、無神経にも程があるのではないだろうか。然し、私がやらなければずっと重々しい空気のままだ。
意を決して口を開いた。
「気にしなくていいんだよ。本当に」
「気にするよ。……好きな人に失態を晒してしまったんだから」
プライドの高いレンちゃんだからこそ、自分の失態をどうしても許せないのだろう。だから最悪な結果のままでいい、なんてことは絶対にない。楽しかったし、ワクワクもした。久しぶりの海にテンションが上がって、我を忘れるくらいだったのだ。日焼けしてちくちく痛む肌も、しょぼしょぼする目も、楽しかった思い出にしたい。
そもそも、だ。
私は優梨であって、優志じゃない。
うじうじしていじけるのは、優梨にあるまじき姿だ。ここで尻込みしていたら、優志に鼻で笑われる。私はいま、優梨なのだから、優梨らしく振舞うのが正しい選択だろう。
「いろいろあったけど、レンちゃんとこうして海に来れてよかったって思うよ」
「そうかな」
「そうだよ。それに、いい出会いもあったし、私は満足してる。だから、今日の日を後悔だけ残して終わらせて欲しくないな」
私の言葉をどう解釈したかはわからない。黙って、じっと耳を傾けていた。
次の駅を知らせるアナウンスが流れた。それが終わると同時に、俯いていた顔を上げて、私の目を見た。
「それは、どっちの言葉……?」
「どっち?」
優志としてか、或いは優梨としてか。そういう意味で『どっち』と訊いたのか。質問の意図がどうであれ、私は私であり、私以外私じゃないの。当たり前だけどね。
「どっちも、だよ。私は二重人格じゃない。優志も私だし、優梨も私だから、私の意思はどっちも同じ」
なるべく誤謬のないように伝える。
「そっか……うん、そうだね」
やっぱり優しいね、とレンちゃんは微苦笑した。
「そんなこと、ないよ」
そう、そんなことはない。
間違い続けている私が優しいというのなら、それは優しさなんかではい。私がやっていることは、御為倒しにレンちゃんの後悔に寄り添って、じくじくする傷を誤魔化しているだけだ。自己嫌悪で頭が痛い。
どうして私はいつもこうなんだろう?
もっと優しい人間になれたらいいのに。
悩んで、苦しんで、葛藤して、これが大人たち言う『青春素晴らしい』なのだとするなら、こんな青春、私には必要ない。
「ねえ、ユウちゃん」
「うん?」
「まだ、私は友だち、よね……?」
「もちろん」
「そうよね……うん、わかってる」
レンちゃんは〈友だち〉という単語に、深い意味を込めたに違いない。それを知った上で、私は気づかない振りをした。罪悪感なんて抱かない。抱くのは自己嫌悪。それ以外の何物でもない。
変わりたい自分と、変われない自分。それが見事なまでに不協和音を奏でているのは、この違和感をどうにも出来ないからだろうか。
「そろそろ駅に着く頃ね」
レンちゃんが言うと、待ってましたとばかりにアナウンスが流れる。
こうして、私の初デートは愁いを帯びて終わった──。
【備考】
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by 瀬野 或
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