五十七時限目 初デートは愁いを帯びて ③[中]
「ユウちゃんお待たせ。……どう?」
レンちゃんは視線を後ろにして、身体を左右に捻った。
情熱的な紅のワンピース水着は、百貨店の水着コーナーで私が選んだ代物だ。メーカーは、中高生女子に絶大な人気を誇るファンシーキャット。私が着ているのと同じで、メーカーロゴは首後ろのタグにある。
ファンシー? と首を傾げてしまいそうな大人っぽいデザインではあるが、一般的な女子高生よりもやや背が高く、大人顔負けの胸を持つレンちゃんは、スパイスの効いたこの水着を見事に着こなしている。……というか、いつもよりも胸が大きく見えた。
レンちゃんの普段着は、ここまで派手じゃない。
派手と地味の中間をいくのは、大きな胸部が悪目立ちしてしまうからで、注目されないように無難な服を選んで着ているのかも知れない。いま着ている水着は、レンちゃんにしてはかなりの冒険だっただろう。冒険して、正解だと思う。水着姿のレンちゃんは、いつもよりも大人びて見えた。
「すっごく素敵だよ!」
言うと、レンちゃんはホッとしたように胸を撫で下ろした。
「面と向かってそう言われると、なんだか照れ臭いわね」
「じゃあ、格好いい!」
「興奮し過ぎじゃない?」
レンちゃんの水着姿を見れば、だれだって羨望の眼差しを向けてしまうはずだ。これでまだ一十五、六の女子高生だと言うのだから恐れ入る。この歳になってまで小学生と見間違えられる私とは、極めて対照的だ。
月とスッポンならぬ、立方体と平面。
出るところは出て、引っ込むべきところは引っ込んでいる。なにより、腰から下にかけてのラインが綺麗だ。
私の性別が女性だったら、嫉妬心に火がつくどころか意気消沈していたに違いない。それだけ、格が違う。
「ユウちゃん、ちょっと見過ぎ……」
「あ! そ、それは違くて! その……、ごめんなさい」
「まあいいわ。慣れてるし」
いやらしい目を向けていたつもりは毛頭無いけれど、レンちゃんからすれば、羨望の眼差しも、下卑た目も、さして変わらないのだろう。
早急に話題を変えなければ、と思い、周囲を窺う。
テーブルの上に置いていた荷物が目に留まった。
「着替えたのはいいけど、荷物どうしよう?」
預けられる場所を探さなければ、海に入れない。まさか、海岸に財布と着替えを放置していくわけにもいかないだろう。泥棒に「盗ってください」と言っているようなものだ。
「途中にコインロッカーがあったけど、全部使用中だったわね」
「ロッカーなんてあった?」
あっただろうか? と一考する。
「あったわよ? 海難救助隊のテント横に」
波打つ海と熱した砂浜が物珍しくて散漫だった私と違い、レンちゃんはしっかりしていた。
「ロッカーを用意してる海の家もあったけど、数が少なかったから期待できそうにないわね」
ロッカーが用意されていても、夏の暑さを凌ごうと訪れる海水浴客全員分のロッカーを用意するのは不可能だ。当然、数少ないロッカーの争奪戦が繰り広げられる。ロッカーを使いたいならば、もっと早く到着しなければならなかった。
ああもう!
ロッカーロッカーってシェケナベイベーじゃないんだから! つべこべ言わずにラモーンズを聴きなさい。……とか思いつつ、いつまでも妙案が浮かばない自分に腹を立てて、温くなった麦茶に八つ当たりするかの如く一気飲みした。
「荷物なら預かってやってもいいぞ」
すっかり手詰まり状態だった私たちを見かねたのか、店長さんが声をかけてくれた。
「いいんですか?」
レンちゃんが言う。
「ああ。二階で預かっておいてやるぞ」
嬉しい提案ではあるし、他に選択肢はないだろう。でも、本当に信用していい相手なのか測りかねる。悪人ではないようだが、善人とも言い切れない。それに、私たちの荷物を預かる義理が店長さんには無い。
「その代わりと言っちゃあ難だがな」
やはり、そうなるだろう。交渉は、お互いが同等の立ち位置でなければ成立しない。荷物を預かる代わりになにか要求してくるのは、火を見るより明らかだった。
「交換条件、ですか」
疑いの眼を向けると、
「そんなおっかねえ顔すんなって」
可愛い顔が台無しだぞ? と茶化すように付け加えた。
「海の家ってのはボランティアじゃあない。それなりに金が動くんだ」
「つまり?」
「昼飯を食ってってくれ。そうしたら、お嬢ちゃんたちの荷物はこの熊田健吾が責任を持って預かろう」
店長さんの名前は熊田健吾というらしい。名は体を表すというが、さすがに似合い過ぎている。熊のような筋肉質の体は、健康そのものだ。出された条件だって、海の家の本分から逸脱していない。よくも悪くも熊田さんは、裏表がない人物のようだ。
「沢山食って、売上に貢献してくれや」
がはは、と大声で愉快そうに笑う。
なんだかなあ、毒気を抜かれてしまった。
「売上に貢献できるほど食べられませんけど、それでよければ。ユウちゃんはどう?」
「うん、異議なしかな」
「よし、決まりだな。腕によりをかけて作るぜ。……ええと」
自己紹介がまだだったと思うが先に、レンちゃんが開口した。
「私は天野恋莉です。この子は」
「鶴賀優梨です」
咄嗟に鶴賀姓を名乗ったけれど、どうもしっくりこなかった。
レンちゃんは〈油うどん〉という料理を、私は無難に焼きそばを注文した。出てきた焼きそばは広島風で、屋台の焼きそばを想像していただけに圧倒されてしまった。ケーキを切るように箸を入れて、玉子と一緒に、ネギ、紅生姜、麺、キャベツ、青のりを頬張る。ほほう、隠れていてわからなかったが揚げ玉も入っているようだ。これは美味しいぞ、と舌鼓を打つ。断面図からはみ出ている豚バラを目で捉えた。次はそこを攻めようと決めた。
熊田という名字から受ける印象に、広島はない。顔こそ記憶にないが、小学校に熊田君はいたし、中学校にも熊田さんがいた。埼玉では割とポピュラーな名字だと思う。にも拘らず、焼きそばは広島風。
妙だな……。
千円札で煙草一つ購入するくらい妙だし、これから死のうって人間が紅茶の味を整えるために砂糖を入れるくらい妙だ。そして、これらの疑いは『そんなこともあるんじゃないか』で論破されるくらい薄い動機だろう。だから、熊田さんが広島風焼きそばを作るのだって、そんなこともあるんじゃないか。
なんてくだらないことを考えながら、麺を啜らずに食べているレンちゃんの様子を窺う。
丼に入っているのは、汁がないうどんだった。汁がない、とはいえど、真っ赤なソースのような液体が麺に絡んでいる。パリパリのフライドオニオンにガーリック。崩した卵黄が辛みの角をまろやかにして、辛いけど辛くない、ちょっと辛いうどんに変化させているだろう。レンちゃんは悠然とした様子で、油うどんを口に運んでいった。
食事を終えた頃には、午後の時間が始まっていた。
早めの昼食にしたけど、あまりの量の多さに二人とも苦しくなり、食休みをしていたらこの様だ。のんびりし過ぎたねって、二人して苦笑い。
器を下げにきた熊田さんに、
「ご馳走様でした。とても美味しかったです」
と告げたら、
「そうだろう? こう見えて調理師免許も持ってるからなあ!」
殊更に得意げな顔をする。
「あとは料理を食わせる客が来るのみなんだけどなあ? ……なんつってな!」
そうして、熊田さんは一人でがはがは笑いながら食器を下げていった。
笑っていいのかわからない冗談を言うものだから、私とレンちゃんは巧まずして顔を見合わせてしまうばかりだった。
【備考】
読んで頂きまして、誠にありがとうございます。もし差し支えなければ、感想などもよろしくお願いします。
これからも、当作品の応援をして頂けたら幸いです。(=ω=)ノ
by 瀬野 或
【修正報告】
・報告無し。