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五十五時限目 初デートは愁いを帯びて ②[前]


 冷静になって考えよう。


 本当に、()()をする必要があるのだろうか。握っている手を離せばいい、たったこれだけで全てが丸く収まるはずだ。レンちゃんを横目に入れる。期待しているような眼差しが返っていた。ほんの少しだけ右手の力を緩める。ぎゅっと強く握り返された。どうも、手を解くという選択肢は最初から無いらしい。


「ユウちゃん、手を出してくれる?」


 やっぱり、そうなるようだ。


「本気?」


「本気も本気。佐竹風に言うならガチ」


「わかった。今回だけだからね?」


 と言って、()(しょう)()(しょう)を装いながら左手を差し出す。内心穏やかではない。嫌な顔ひとつでもされようものなら、人生という名の舞台の幕を閉じたくなるほどのトラウマを抱えることになる。そして、お菓子売り場でポイフルの姿を見かける度に、今日という日を思い出して憂鬱な気分になるだろう。


「それじゃあ……、出すわよ」


 シャカシャカと容器を振る。水色の粒が二つ、黄色の粒が一つ、合計三つの粒が私の手の平の上に転がった。これを、レンちゃんの口元へ運ぶ。


 淫らな行為ではないはずなのに、()(ぎょう)(じょう)を働いている気分だ。


 これまで生きてきた時間全てを、()(ぎょう)(てん)()()じずとは言えないけれども、(せい)(れん)(けっ)(ぱく)なんて言うのも烏滸がましいけれども、前科も前歴も無し、オマケに肉体的なセッションも交えてない私にとって、異性の唇という部位は刺激が強過ぎる。


「ユウちゃん?」


 とは言えど、もしも仮に、私が知らないだけで、女子高生たちはこういった触れ合いを日常的に行なっている、とするならばどうだろう? 女子たちは、更衣室で、冗談まじりにお互いの胸を触り合う、とか訊いたことがある。これが本当だとしたら、ポイフルを食べさせるなんて些細な話じゃないか。


「ねえ、訊いてる?」


 なにも口移しするわけじゃないんだし、自意識過剰も程々にしておかなければ。


「ユウちゃん!」


「あ、はい!」


「さっきから呼んでるんだけど」


 そうだったのか。


 全くもって訊こえてなかった……。


「ご、ごめんね? 慣れないことをするから思考が追いつかなくて」


「ねえ、早く食べさせてよ」


「うん」


 ゆっくりと、手の平からこぼれ落ちないように、唇に近づける。私の手に、レンちゃんの息がかかる。擽ったいわけじゃない。でも、擽ったいと思った。レンちゃんは髪の毛を耳に掛けながら、私の手の平に唇を当てて……あれ? 髪の毛を耳に掛ける?


「あ」


 声が出た。


 今更ながら気がついたけれど、ポイフルの容器なんて片手でも閉じられるじゃないか。私の手の平を皿にして、空いた手を使って食べればいい。こんな簡単な答えだったのに、どうして辿り着かなかったんだろう。


 手の平には、もうポイフルはなかった。残ったのは、レンちゃんの息の感覚と、最後にペロッと舐められたような感触。空になった手の平を繁々と見ても、濡れている部分はない。レンちゃんの舌が触れたような気がしたのは、気のせいだったようだ。


「ありがと。やっぱ、ポイフルは美味しいわね」


「それは、なによりだよ」


 もぐもぐと噛んでいる。


 レンちゃんの表情は、とてもじゃないけど美味しそうには見えなかった。


 



 * * *





 海浜公園駅に到着してやや早足で駅を出ると、駅構内よりも磯の香りが濃くなった。数キロ先に防波堤が見える。電車の中から海を確認できたが、ここからではまだ砂浜も見えない。でも、嗅ぎ慣れない潮風の匂いと、浮き輪を片手に持つ家族連れや、クーラーボックスを襷掛けにしているサングラス姿の人々の群れに、『海にやってきた』と実感させられた。


「やっと着いたわねえ……」


 んんっ、と声にならない声を出しながら、レンちゃんは凝り固まった背中を伸ばした。


「久しぶり過ぎて、ちょっと怖いわ」


 はにかんで、苦笑いしている。


「砂浜に打ち上げられたビニール袋を拾うときは迂闊に触らず、絶対に注意してね?」


「え、どうして?」


「カツオノエボシの可能性があるから」


「あ、毒クラゲ」


 通称は〈電気クラゲ〉で、刺された場合はかなり酷い激痛と、人によってはアナフィラキシーショックを受ける可能性がある大変危険なクラゲだ。発生時期は五月の上旬から、カツオの到来と共に現れるので〈カツオの()()()〉と名付けられたとか。


 昨晩、上手く眠れずにいた私は、ベッドの上で『海の危険』をネットで調べた。いま思えばかなりネガティブな行動に思えるけれども、知らないよりは知っておいたほうがいい知識だ。


「もし見つけた場合は、パトロール隊員に連絡すればいいのかしら?」


「うん。間違っても自分で処理しようとか思わないでね」


「しないわよ、気持ち悪い」


 だが、見た目こそは綺麗なのがカツオノエボシである。


 透明なフォルムに青と紫を注した姿で、撮り方に工夫すればインスタ映えしそうなほどだ。しかも、このカツオノエボシというクラゲは食べられるらしい。あの見た目で食べたいとは思わないが、いい出汁が出るとあらば興味は唆られる。半透明なクラゲから、どんな出汁が出るのだろうか。体のどこに、そんな栄養素を隠し持っているんだろう。





 * * *





 取り留めのない会話を口にしながら、防波堤に沿って進む。コンクリートで隔てた壁は鬼瓦のようにザラついて、所々に蹴飛ばしたようなサンダルの足跡が付いていた。


 暫くすると、海岸入口の階段が見えた。


 階段は、防波堤を跨ぐように作られている。中央と左右にある手摺りに黄色のスズランテープが巻かれていて、『触れないで下さい』の注意書きが貼り付けられていた。赤黒い(さび)が浮いた手摺りは、見るからに危険とわかる。どうしてこうなるまで放置したのか。それには大人の事情があるのだろう。怪我してからでは遅いというのに、改善されるのはいつだって、だれかが犠牲になってからだ。



 

【備考】

 読んで頂きまして、誠にありがとうございます。

 こちらの物語を読んで、もし、「続きが読みたい!」と思って頂けましたら、『ブックマーク』『感想』『評価』して頂けると、今後の活動の糧となりますので、応援して頂けるようでしたら、何卒、よろしくお願い申し上げます。

 また、誤字などを見つけて頂けた場合は『誤字報告』にて教えて頂けると助かります。確認次第、もし修正が必要な場合は感謝を込めて修正させて頂きます。


 今後も【女装男子のインビジブルな恋愛事情。】を、よろしくお願いします。



by 瀬野 或


【修正報告】

・2019年2月23日……読みやすく修正。

・2020年6月16日……加筆修正、改稿。

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