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五十四時限目 初デートは愁いを帯びて ①[後]


 言わずもがなのことではあるが、埼玉県に海は存在しない。


 山登りはできてもスキューバができないのが埼玉県であり、海水浴がしたいなら県外へと足を運ぶしかない。海にいくにも電車を二つ乗り継いで、片道約一時間半の道のりだ。


 そこまでして海にいきたいのか、と訊ねられたら、私は頭を振るだろう。一時間半電車に揺られて、昼前から夕方まで波に揺られて、また一時間半電車に揺られる。……丸一日揺られっぱなしでは、私の体力が保つはずがない。


 それでも約束してしまったのだから断るわけにもいかないし、忘れてた、なんて言い訳が通用しないのも目に見えている。


 今日という日を楽しみにしていたレンちゃんの期待に応えてあげなきゃいけない、という強迫観念にも似た思念が今日まで私を衝き動かしていたわけだが、いざ当日を迎えて、手を握りながら電車のシートに座っていると、目的地に近付くにつれてテンションも上がってくるものだ。


 夏休みということもあり、電車内はかなり混雑している。座れたのは幸運だった、という他にない。しかも、三人掛けのフラットシート。


 レンちゃんが隅で、私が中央。ドア側に座っているのは大学生風の女性で、先程からずっとだれかとやり取りをしていた。


 乗車率八〇パーセントくらいある電車内では、視界を遮られて風景を楽しむこともできない。


 目の前にはサラリーマン風の男性の他に、バンドティーシャツを着た男子とパンクメイクをした女子がいる。この二人はカップルなのか、同じスタッツベルトを付けていたり、黒いマニキュアをしていたりと、意識して合わせているように見えた。


 おそらく歳もそう変わらない二人と私たちを比較してみると、生活環境が違うだけでこうも違うものか、と一考したくもなる。もし私が吊革を掴む二人と同じ学校に通っていたら、あるいは同じクラスに所属していたら、パンクロック最高! って日々を満喫していたかも知れない。……いいや、それは絶対にないな。だって、私の中にラブアンドピースは存在していても、反骨精神はないのだから。


 音楽だけを言うなら嫌いではないけれど、ガチガチのロックファッションに身を包んで中指を立てるのは私の柄ではない。


 電車に乗り込んでからというもの、レンんちゃんも私も口を開かずにいた。


 口を開けば余計なことを口走るのではないかと危惧しているわけではなくて、勿論、私がついぼろを出してしまう可能性も否定できないけれども、それ以前に、沈黙が心地よかった。


 よく『人肌に安心感を覚える』って表現を目にしたり、実際に訊いたりする。なるほど。たしかに、その通りだ。私の掌と、地肌で触れている腕から伝わる熱は、『柔らかい』と表現するのが正しいだろう。


 緊張しているせいで最初は冷たかったレンちゃんの手も、ずっと繋いだままにしていたこともあって温もりが戻っていた。


「もうすぐ乗り換えね」


 明後日の方向を向いて、レンちゃんが言う。


「そうだね」


 あと二駅過ぎたら乗り換えて、更に三〇分。


「遠いなあ、海」


 ぼやいた私を見て、レンちゃんがクスリと笑った。


「そりゃそうよ。だって、海だもの。海と遊園地は遠いって、幼稚園で習わなかった?」


 レンちゃんにしては珍しい冗談だ。浮かれ気分だから口も軽くなったのかも知れない。楽しい、と感じてくれているのかな。


「子どもの頃は、スーパーの食玩売り場さえ果てしなく感じたよ」


「あー、わかる。着色料が多用されてそうなお菓子とか欲しかった」


 そう言われて真っ先に思い浮かんだのが、練れば練るほど美味くなるというキャッチフレーズで有名な知育菓子だった。


 最近知った情報によると、件の知育菓子に使われているのは全て植物性由来のもので、科学的な着色料は使用されていないらしい。『体に悪いから駄目よ!』と買ってくれなかった頃にこの情報を知っていれば、知識マウントを取って買ってもらえただろうか? どうだろう。小賢しいと思われて煙たがれるのがオチだな。


「ユウちゃんは、子どもの頃、どんなお菓子が好きだった?」


 ちょっとだけ考えて、


「チョコベビーかな?」


 と答えた。


「一粒ずつ大切に食べてたら、父さんに『貸してみろ』って。『こうやって食べるんだ』と半分くらい一気に食べられて泣いたのは、いまでも忘れずに覚えてる」


「想像の斜め上をいく思い出話だったわ……」


 翌日、父さんが仕事帰りに『チョコべビージャンボ』を買ってきてくれたけど、母さんが『こんなに沢山食べさせるわけにはいかない』って、結局、そのチョコベビージャンボも三分の一くらいしかもらえなかったんだよなあ……。


 そう思うと、私のチョコ好きは物心つく前からだったようだ。


「レンちゃんは?」


「私はこれ」


 そう言って、膝の上に置いていた(たすき)掛けの鞄から取り出したのはポイフルだった。


「いろんな色があって、子どもながらに〝宝石みたいだな〟って思いながら食べてたわ」


 どうぞ、と差し出されたポイフルを、左手の平を皿にして受けた。右手はいまも繋いだままだ。


「うん。久しぶりに食べると美味しいね」


 水色の粒はサイダー味で、黄色のレモンサイダー味と口の中で混ざり合う。ほどよい酸味と甘さ。噛んだ際に表面のコーティングが割れる感触を舌で楽しむのがいい。


「でしょう?」


 得意げな顔をして、すぐに俯く。


「ねえ、ユウちゃん」


 思い詰めたような声音だった。


「え、どうしたの? もしかして、体調悪くなった?」


 満員電車の人混みに酔ったなら、次の駅で降りて休憩するのも視野に入れた。時間通りに到着するより、体調が最優先である。体調不良で海に入るのはなによりも危険だし、容態によっては引き返すことも辞さないと覚悟した。


 けれど、


「ううん、そうじゃなくて。……私も食べたいなって」


「うん?」


 なんだ、そんなこと。


 ……そう思った瞬間に、稲妻が頭上に落ちたような衝撃を受けた。


 レンちゃんは、どうやってポイフルを食べるの? 片手は繋いだままだし、もう片方の手にはポイフルの容器を持っている。まさか、電車の中でラッパ飲みするかの如く豪快に口を開けるなんて真似はしないだろう。優志(わたし)だったらそうするけれど、プライドの高いレンちゃんは絶対にしない。そうなると、方法はひとつだ。


 私の手にポイフルを出して、それをレンちゃんの口に運ぶ──。


 公共の場でそんなことが許されるの!? ……いやいや、別にキスをしようってわけじゃないんだから。感覚的には〈間接キス〉に近しいものを感じるけど、それだって淫らな行為じゃない。ただただ、私の掌にレンちゃんの唇が数秒触れる、それだけのこと。


 かっと頬が熱くなった。多分、耳まで真っ赤だ。手汗とか大丈夫かな。汚れてないかな。鶴賀菌とかついてないかな。……鶴賀菌ってなに?


 そもそも、私が口をつけた掌に、レンちゃんが口をつけるって事実に耐えられそうにない。私の汚い手にレンちゃんが唇を付けるなんて、そんな。


 子どもの頃の話をしたのは、この流れまで持っていくための布石だとするなら、天野恋莉、なんて恐ろしい子なの……。



 

【備考】


 読んで頂きまして、誠にありがとうございます。もし差し支えなければ、感想などもよろしくお願いします。


 これからも、当作品の応援をして頂けたら幸いです。(=ω=)ノ


 by 瀬野 或


【修正報告】

・報告無し。

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