表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
135/677

五十三時限目 月ノ宮照史は結末に影を落として濁す[後]


「これ、よかったら飲んで」


 そう言って差し出されたアイスココアは、琴美さんが汁だくで頼もうとしていたやつだ。


「ありがとうございます」


 照史さんの正面に座り、アイスココアを両手で受け取った。


 容器ごと冷やしていたのだろうかと思うくらいキンキンに冷えているアイスココアを一口飲むめば、まろやかな甘みが脳に染み入るようで……精神的疲労が限界を迎えていたのだろう。


「ふう」


 溜息のような声が漏れる。


「なにやら大変そうだね」


 バーカウンター越しにいる照史さんは、「お疲れ様」と言って自分のアイスコーヒーを手に持ち、乾杯するかのように僕のグラスの縁に当てた。


「店はもういいんですか?」


「ある程度は終わっているし、気にすることはない」


 外は夕間暮れ。街灯の明かりが点り、路地を照らしている。この時間になるとカーテンを閉めているのに、今日はまだのようだ。たまに犬の散歩をしている人が通るくらいの寂しい路地裏だが、閉店した店内から見るのもまた一興である。


「いろいろと話し込んでいたけれど、なにか掴めたかい?」


「どうでしょう。よくわかりません……」


 自分の中に答えがある、と琴美さんは言っていたが、漠然としていて輪郭が掴めないままでいる。それでも、話した内容には納得できる部分もあったし、有意義な話し合いとは言えないが、意味はあったと思うことにした。


「そうか」


 それ以上追及するでもなく、照史さんは黙ってアイスコーヒーを口に運んだ。


「お騒がせしてすみませんでした」


 改めて、琴美さんの分も一緒に謝罪した。


「利口だな、キミは」


 照史さんらしくない物言いに、はてと首を傾げた。利口という言葉はよい意味で使われる場合と悪い意味で使われる言葉だ。照史さんの表情さら察するに、後者の意味で使われたような気がする。


「優志君」


 いつになく、真剣な声音だった。


「はい?」


 なにを言われるのだろうかと、つい身構える。鯱張った僕を見て、照史さんは頬を少しだけ弛緩させた。それでも、鋭い目付きは変わらない。


「キミは、()()()()()()、という自覚はあるかい?」


 青春、か。


 この言葉は僕が高校生であり続ける限り、ずっと付きまとってくるだろう。まるで、呪いのように。


 身勝手な理想を押し付けられるのは、はた迷惑だ。でも、照史さんが訊きたいのはそういうことではない気がした。


 利口、そう言われた。


 ならば、子どものように、我儘に、僕は僕だけを傷つける。厭世的に、シド・ビシャスよろしくなアナーキーを決めてやろうと意気込んで口を開いた。


「そもそも、青春とはなんでしょうね。大人たちは僕らを青春真っ只中と呼ぶけれど、当事者からすれば毎日が苦痛の連続ですよ。それを青春だと呼ぶのなら、青春を謳歌している、と言えます」


 青春を謳歌する、という言葉の意味は、身体共に充実した日々を過ごしている、と胸を張って言えるってことだ。毎日がハッピーデーとか、サラダ記念日とか、ラララサムバディトゥナイ! している人だけが与えられる特権のようなものであり、僕みたいに地べたを這いずり回っているような陰湿なナメクジ人間が気軽に使っていい言葉じゃない。


「あまり自分を卑下するのはよくないな」


「照史さんはどうだったんですか。青春、してたんですか?」


「どうだったかな。随分昔の話だからね、忘れてしまったよ」


「ずるいです」


 不満を言うと、照史さんは殊勝顔をして言った。


「ほら、ボクは大人だからね」





 宵の口にダンデライオンを後にして、まもなく電車が最寄駅に到着する。空気を吐き出して開いたドアからホームに降りると、電車と外の寒暖差に嫌気がさした。(ぬめ)るような風が吹くと、下り電車が汽笛を鳴らして発進した。


 サラリーマン風の男性がホームのベンチに腰を下ろして、肴も無しにビールを飲んでいた。ネクタイを緩めて、胸元までボタンを外し、背広は隣のベンチに掛けてある。晩酌するなら自宅ですればいいのにと思うけれど、彼は彼で思うところがあるのだろう。帰宅したくない理由があって、一人の時間を作っているのかも知れない。


 駅から出ると牛丼屋が目に留まった。ぐうと腹が鳴る。夕飯は牛丼にしようかと考えたがバスが来る時間ということもあり、牛丼はスルーして列に並んだ。


 駅でビールを煽っていたサラリーマンも、牛丼屋で働いている人たちにも青春時代があったに違いない。彼らは他人に自慢できるほどの青春時代を過ごしたのだろうか。思い返せば薔薇色だった、と感傷に浸れる高校生活だっただろうか。……そんなこと、知りたくもない。


 どうして照史さんは、僕にあんな質問をしたんだろうと一考しているうちにバスが停留所に停まった。ステップを踏んで、忘れないようにICカードをタッチする。


 混み合うバスの中は独特の臭いがした。駅には駅の臭いがあるように、バスにもまたバスの臭いがある。


『発車します。お掴まり下さい』


 というアナウンスに促されて、吊革ではなくポールを掴んだ。


 照史さんは、僕になにを伝えたかったんだろう。()()(しゅん)(じゅん)したって答えは出ないだろうに、どうにもいっかなこれまたどうして、堂々巡りを繰り返す。


 大人たちの中に青春は当たり前のように存在している。だから青春は特別ではないと言いたかったのかも知れないし、違うかも知れない。


 もしも……、もしもを語ってもどうしようもないけれども、あのとき僕が照史さんの質問にイエスと答えていたら、続く言葉はなんだったのかが気になる。でも、だとしても、僕はノーと頭を振るしかできなかった。それは、照史さんの表情に優しさを微塵も感じなかったからだ。


 どうしてそう思ったのかはわからない。本当は慈愛に満ちた表情だったのかもしれないけど、諦観していたようにも思える。僕の答えがどうであれ、照史さんはそれ以上語らなかっただろう。釈然としないまま、僕は自宅に着いた。



 

【備考】


 読んで頂きまして、誠にありがとうございます。もし差し支えなければ、感想などもよろしくお願いします。


 これからも、当作品の応援をして頂けたら幸いです。(=ω=)ノ


 by 瀬野 或


【修正報告】

・2021年7月26日……本文の微調整。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ