四十七時限目 佐竹義信はその名を出したことを激しく後悔する[後]
数時間前に楓が言っていた『夏休みを利用する』って意見には概ね賛成だが、そこに重きを置いて考えると、普通に遊びで終わってしまうだろう。〈恋愛イベント〉として、夏休みをどう昇華させるか、ではないだろうか。自由な時間が多く取れるこの時期に、どれだけ接近できるかはわからないが、計画を練るならそれしかない。
でも、優志を狙っているのは恋莉だって同じだ。俺たちが思いつくことは恋莉だって思いつくはず。ただ黙って、なんの行動も起こさずに夏休みを浪費するほど馬鹿じゃない。楓が恐れているのは、優志と恋莉がこの夏に急接近することだ。『こう』と決めたら猪突猛進なところがある恋莉を乗りこなすのは、ガチで難しい。それでも手綱を引こうと奮起している楓には頭が下がる。本当に、よくやろうと思うよな。
暫く二人で沈黙していると、コツコツと小さくドアを叩く音が飛び込んできた。
『お嬢様、ただいま戻りました』
扉越しから訊こえた声は渋い男性の声で、察するに、この屋敷の執事だろう。執事がいるならメイドもいるはずだが、この家でメイド服姿の給仕を見ていない。丁度、夏休みだったり? いや、だとしても一人や二人は滞在しているはずだ。広い家だから、どこかにいる。どこって断定できないのは、この家が広過ぎて検討もつかないからだ。
「おかえりなさい、高津さん」
高津って名前に訊き覚えがあった。……ああ、星座時計の送り主か。若い頃はぶいぶい言わせていたって勝手に想像した執事が、ドアの向こう側で待機している。
『ご来客とのことで、紅茶をお持ち致しました』
「そうですか、わざわざありがとうございます。どうぞ」
『では、失礼致します』
高津と呼ばれた執事がゆっくり扉を開くと、燕尾服を身に纏った白毛の男性が現れた。爺さんキャラは強キャラってのがお決まり展開だが、ここは異世界じゃねえし、アンデッドの主君万歳も、空を泳ぐ巨大な鯨に妻の命を奪われた剣聖って設定もない。ただ、すらっとした体躯とは不釣り合いな鋭い眼光を持っていて、気軽に声をかけていいような存在ではなさそうだ。……やっぱり強キャラじゃねえか。
執事の高津さんは片手に銀のトレーを持ち、ひっくり返す心配などしていないような足で進む。運び慣れてるってレベルじゃねえぞ。俺たちの前にあるテーブルに紅茶のポットとカップを置くと、カップに紅茶を注いで俺たちに振舞った。湯気の中に、レモンの爽やかな香りが混じっている。ホットのレモンティーはあまり飲まないが、匂いからして高級な茶葉を使っているのはわかった。
俺が知っている紅茶は午後ティーかリプトンくらいなもので、どっちも数百円出せば買える学生の味方みたいなブランドだ。でも、月ノ宮邸で振舞われる紅茶の匂いは、なんというか、気品に満ち溢れていた。俺からすれば『飲めればどれも変わらない』ってスタンスだったが、こいつはどうにも違う。堪らず、ごくりと喉が鳴った。
「砂糖はお好みでどうぞ」
お洒落な蓋つきの器を高津さんが開くと、そこにはころころした固形の砂糖が数十個入っていた。角砂糖、久し振りに見たな。ダンデライオンで出される砂糖はスーパーで売ってそうなスティックタイプだ。角砂糖を使ったのはいつが最後だっただろうかと記憶を遡ってみたが、かなり昔のようで、とうとう思い出せなかった。
「お茶請けもお持ちしようと思ったのですが、時間も時間なので」
「もうそんな時間ですか?」
時計に目をやると、針はおひつじ座に迫っている。腹の虫が騒がしいわけだ。いつもより朝食が早かったからな。いや、学校がある日よりかは遅い朝食だったが、夏休みはもっと遅い。乱れた生活ができるのも、夏休みの醍醐味だ。お袋と目が合う度に『課題は終わったのか?』って口煩く言われなければ、もっと快適な日々のに。
「一度休憩を挟んでから再開しましょうか。議論も頓挫している状態ですし」
議論らしい議論はしていないけどな、なんてツッコミは野暮だろう。
「だな。……飯どうする?」
楓に訊ねたつもりだったが、返事をしたのは高津さんだった。
「私がご用意しても構いませんが。……お嬢様、どうされますか?」
この執事、料理もできるのかよ。つか、そこはメイドさんの料理が食いてえ……って言ったら滅茶苦茶睨まれそうな雰囲気だ。余計なことは言わないでおくに越したことはないと、お口にチャックをする。
「高津さんの料理も捨て難いですが、気分転換に外で食べようと思います」
それでいですか? みたいな目を向けられて、俺は頷いた。
「ああ、そうすっか」
月ノ宮家の昼飯がどんなもんかも気になるけど、ずっとこの部屋にいたら気が滅入る。折角の申し出だし、有り難く誘いに乗ることにした。
「かしこまりました。それでは、何か御座いましたらお申し付けください」
高津さんは「失礼致します」と一礼した後、スマートな身のこなしでその場を立ち去った。
カチャリと扉が閉まったのを確認してから、楓は背凭れに背中を押し付けた。第三者が介入したことで集中力が霧散したのか、一気に脱力感が押し寄せたようだ。
「疲れました。……佐竹さんに」
「俺にかよ!?」
「半分冗談ですよ」
半分は本気ってことじゃねえか。
たしかに、休み無しで考えごとをしていれば、脳にも疲労が溜まっていく。その疲労に、レモンティーと角砂糖の甘みが染みるようだ。夏に熱いものってのも悪くない。夏に熱いものって言えば、やっぱりラーメンかなあ。でも、楓に『ラーメン食いにいこうぜ』って提案するのは勇気がいる。無難にファミレスか。それともマックか。いくらお嬢様でもマックのハンバーガーくらいは食べたことあるだろう。……あるよな?
ふと些細な疑問が脳裏を掠めて、「楓はどうして恋莉を好きになったんだ?」って何気無く訊ねた。それが大失敗だったと気がついたのは、楓の目の色が変わった瞬間だった。
「佐竹さんにしては、いい質問ですね。では、私がなぜ、恋莉さんに心を奪われたのかをお教えします」
「い、いや、昼食ってからでいいぞ。ガチで」
「いえいえ、ご遠慮なく」
遠慮したいのは俺のほうなんだが。
「では、始めましょうか……。この世界で最も凛々しくて美しい、私の尊い恋莉さんとの愛の物語を!」
興味がないと言えば、嘘になる。女が女を好きになる感覚ってのは、どういうタイミングなのか。姉貴にそれを訊ねても、どうせ碌な答えは返ってこないだろう。臆面もなく『フィーリングよ』とか、絶対に言うに一万掛けてもいい。
とはいえ、それをいま知りたいかは別だ。ぐうぐうと鳴り続ける腹にレモンティーを入れたのが間違いだったようだ。それまですっからかんだった腹が糖分を吸収したせいで、もっとカロリーを寄越せと暴れまくっている。……腹減った、割とガチで。
【備考】
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by 瀬野 或
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