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四十六時限目 佐竹義信は戸惑いを隠せない[前]


 屋敷の中へと招かれて、恐る恐る足を踏み入れた。


 眼前に広がる、現実味のない光景。和洋折衷のエントランスホールの隅に飾ってある花瓶は、木製の台の上に置かれている。花瓶は鈍器製の焦げ茶色で、花瓶の口から伸びた青と白の花が際立っていた。


 あの花の名前は、ええっと、なんだかな……。


 花を嗜むような生活を送ってこなかったこともあって、知ってる花と言えば、パンジー、チューリップ、薔薇など、小学生が答えられそうな花ばかり。桜は好きだけど、花見はそこまで好きじゃなかった。その理由だって、俺の興味が、花よりも遊びに向いていたからだ。


 真正面にあるのは、緩やかな弧を描く二つの階段。その先を目で辿ると、シンメトリーに廊下が広がっていた。


 カタカナの『コ』を連想させる廊下の壁に、分厚くて重そうな茶褐色のドアが均等な距離で並ぶ。その中の一つが楓の部屋だろう、と予想した。他の部屋は、親父さんの書斎とか、お袋さんの寝室だとしても、これだけ部屋の数があれば余りに余る。住み込みで働いている執事や、その他のメイドの部屋もあるんだろうか。


 見上げた天井は俺の住む家よりもずっと高くて、気持ちいいくらい開放感があった。吊るされているシャンデリアがスパンコールのように光を乱反射させて、ちょっと眩しい。


 まるで、自分が映画の世界に入り込んだような感覚に息を呑む。これが月ノ宮楓の日常風景で、月ノ宮楓が生きる世界なのだと痛感した。住む世界というか、もう、次元が違うように思える。


「すげえ家だな……、マジで」


 感想を零すと、楓は涼しい顔をしながら「ありがとうございます」って返した。


「こちらです」


 用意してあったスリッパに穿き替えて、ふわふわした唐紅の絨毯を歩く。ちらほら見える装飾品の数々は、かなり貴重な代物だろう。下手したら百万も下らない値打ち物だ。


 迂闊に触れねえなと思いながら、階段の手摺りに手を掛ける。触れただけでもわかる高級感に、はっと思わず手を離してしまった。職人の技が冴えた手摺りはさらさらしていて、毎日丁寧に磨かれているのが窺えた。


「あまりじろじろ見ないで下さい。初めて都会に出向いたお上りさんみたいですよ?」


 言い得て妙な比喩に、つい笑ってしまった。


「だってお前、これを見てテンション上がらないほうがおかしいだろ。普通に、ガチで」


 俺の興奮を理解できないという素振りを見せながら、楓は後ろ向きで階段を上がっていく。毎日上り下りする階段でも、油断してたらすっ転ぶぞって注意。


「転んだ先には殿方がいるので、きっと大丈夫です」


「そりゃまあ……、なんとか踏ん張るけどよ」


 コイツって、こんなに優しく微笑むようなヤツだったか?


 玄関で会ったときから感じていたけど、楓の雰囲気が普段よりも柔らかい気がする。自宅だから気が緩んでいるとも思えないし、なにを企んでいるんだ? と疑ってしまうくらいには、年相応の女子って感じだ。


 つか、よくよく考えると、楓が毒舌を吐く相手って俺と優志だけじゃね? 軽口を叩ける間柄になれたって思えば、まあ、悪くもない。





 二階に上がり、廊下を右に進んだ突き当たりの部屋の前で、楓が足を止めた。


 ドアに貼り付けてあるプレートは、艶のある黒い石を板状に加工した物で、これだけでもなかなかいいお値段がしそうだ。金字の筆記体で『Kaede‘s Room』と文字が彫られている。お洒落さんなのか、それとも自己顕示欲が高いのか。初見でもわかる親切設計には、新人メイドが部屋を間違えないようにする意味もあるんだろう。多分、知らんけど。


「ここが私の部屋なのですが」


「ですが?」


 意味ありげに区切られては、気になってしょうがない。


「少しでも変なことをしたら摘み出すので、お忘れなく」


 振り返り、じろりと睨まれた。


 さっきまでのゆるふわ感は、どこへいった……?


「信用ねえなあ。……だったら別に、ファミレスでもよかっただろ」


「なるべく、人の目を避けたかったんです。だれが訊き耳を立てているかわかりませんから」


 とはいえ、クラスで人気の女子の部屋で二人きりってシチュエーションは、大なり小なり思うところが無きにしも非ず。これがもし想い人の部屋だったらって妄想も捗ってしまうが、相手はあの月ノ宮楓だ。


 一時の感情に流されて間違いを犯そうものなら、死すら生温いと感じる拷問が待ち受けているに違いない。こいつもこいつで、優志に勝るとも劣らない陰湿な思考の持ち主だしな。


「佐竹さん、またしても失礼な想像をしていませんか?」


「お前ってサイコメトラーなの? 左手で触れると物の記憶とか読み解けちゃうタイプの超人(エスパー)?」


 軽く冗談を飛ばしたつもりだったが、楓の眉間に皺が寄っている。


「あー、はいはい。悪かったからそう怒るなよ。……つうかさ、なんでそこまで俺の思考が読めるんだ?」


「わかり易い顔をしているからですよ」


 このままだと、今朝に食べたB()L()T()()()()の中身まで的中させられそうだ。なにか考えごとをするときは、視線を合わせないように心掛けようと、胸中で固く誓いを立てた。





「では、どうぞ」


 そう言って通された部屋は、お嬢様らしからぬ風貌だった。


 お嬢様の部屋というからには、大きな窓に天蓋付きのグランドベッドが置いてあったり、やたらふわふわしたカーテンが風ではためいているような部屋を想像する。だが、楓の部屋は悪い意味で、俺の予想を遥かに上回っていた。


 どこをどう見ても、おっさんの書斎じゃねえか──ッ!


「なあ、ここって本当に楓の部屋なのか? 実は親父さんの書斎だったりとかしねえ?」


「ここが私の部屋で、書斎ですが」


 たしかめるように中へ入ると、やはり、俺の疑問を拭い去ることは出来ない物ばかりが目に飛びつく。ベッドは木製の黒塗りだし、壁には本棚がぎっしり。しかも、その棚に並べられているのが、主に経済学や大手企業の経営理念を記した本ばかりで、本棚の片隅に申し訳程度に並べられている少女漫画が唯一残された女の子らしさ、と言ってもいいだろう。


 せめて、もっとあるだろ……!


 ファンシーな雑貨とか……!


 ゆるふわで、乙女チックな家具……!


 俺の心が賭博黙示録ばりに騒ついても楓は素知らぬ振りで、ベッドの近くにある壁に接した小さな冷蔵庫の前まで歩いていく。自分の部屋に冷蔵庫まで完備しているとは、益々可愛げのない部屋だ。……いいなあ、俺もあれくらいの冷蔵庫が部屋に欲しい。


「お茶はこれで我慢していただけますか?」


 冷蔵庫の中からお茶のペットボトルを取り出して、それを俺に差し出す。ひんやりとしたペットボトルを有り難く頂戴して、慣れた手つきで蓋を外し、ゴクリゴクリと喉を鳴らした。


「喉渇いてたから助かったわ。サンキュ」


「三六〇円です」


「金取るのかよ!? しかも値段が山小屋レベルじゃねえか!?」


「お金で解決できる問題なら、それに越したことはないでしょう? まあ、冗談です」


 座ってくださいと言われて、部屋の中央に置かれた膝丈のソファーに腰を下ろした。皮の匂いを僅かに感じる。きっと、このソファーだってイタリアかどこかから取り寄せた一級品に違いない。


 楓は勉強卓にある椅子のキャスターをゴロゴロ転がして、誕生日席の場所にちょんと座った。


「佐竹さんにきて頂いたのは他でもなく、例の件について、静かで、落ち着ける場所でお話しをしたく思いまして、身勝手ではありますが、こうしてお招きした次第です」


「堅苦しい(もん)(ごん)は無しだ。それで、例の件ってのは〝俺たちの恋愛事情〟についてって認識でいいか?」


「その通りです」


 途端、楓の雰囲気が、研ぎ澄まされた(いっ)(ぽん)(がたな)のように精錬されていく。とても、女子高生が纏っていい雰囲気じゃない。ひりつくような緊張感。両腕と背中がぞわりと粟立つのがわかった。喩えるならば、魔王を目の前にした村人の気持ち。いや、村人って。そこはせめて勇者とか、賢者とか、強そうな職業があっただろうに。


 いとも容易く俺の眉を読む瞳は黒目が大きくて、宝石のようだった。



 

【備考】

 読んで頂きまして、誠にありがとうございます。

 こちらの物語を読んで、もし、「続きが読みたい!」と思って頂けましたら、『ブックマーク』『感想』『評価』して頂けると、今後の活動の糧となりますので、応援して頂けるようでしたら、何卒、よろしくお願い申し上げます。

 また、誤字などを見つけて頂けた場合は『誤字報告』にて教えて頂けると助かります。確認次第、もし修正が必要な場合は感謝を込めて修正させて頂きます。


 今後も【女装男子のインビジブルな恋愛事情。】を、よろしくお願いします。



by 瀬野 或


【修正報告】

・2019年2月23日……読みやすく修正。

・2019年3月20日……誤字報告を受けて修正。

 報告ありがとうございます!

・2020年5月25日……加筆修正、改稿。

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