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四十四時限目 チョコレートはとけない[後]


 ガアガアと蛙が鳴いていそうな田舎道には、泥や藁などがところどころに落ちている。トラクターが走ったようなタイヤの跡、アスファルトに入った亀裂、道端には謎の液体が入ったペットボトルと、片割れの軍手。「近道なんだ」と言って照史さんが選んだこの道には、人の生活があちらこちらにある。無人の野菜売り場は空っぽで、錆びた玉子の自販機が忘れられたように放置されていた。


「退屈?」


「いえ、そんなことは」


「親の顔より見た景色って感じだしなあ……、でも、この道は結構好きなんだよ。軽トラで走るにはもってこいな道さ」


 アスファルトの凹凸を諸に受けるシートで、それを言えるのは逞しい。


「照史さんは、これまでどんな人と付き合ってきたんですか?」


「そうだな……、あまり恋愛の経験はないんだけど、全員が全員、尊敬に値するとは言えないかな。でも、付き合ったことを後悔してはいないよ。そのときは、惹かれるものがあったんだ」


 惹かれる、もの。


 私は、まだその領域にまで達していないのかも知れない。


「優梨ちゃんは、まだ決め兼ねているみたいだね。恋愛は、突き詰めると、自分がどうしたいのか、自分をどうしたいのか、この二択になるとボクは思う」


「自分本位過ぎませんか?」


「そうかな。相手を好きになるのは自分だし、相手を大切にしたいと思う気持ちも自分のものだ。だれかに強制されるものじゃない」 


「それは、屁理屈ですよ」


 私が言うと、照史さんは両手でハンドルを強く握り締める。


「いつか、わかる日がくるさ」


 その日がいつ訪れるのか、その答えは神様にだってわからないだろう。





 いつの間にか寝てしまったようで、肩を揺さぶられるまで自分が夢の中にいると気がつかなかった。寝惚け眼のまま、ぼやけた思考で周囲を左見右見する。『東梅ノ原駅』を掲げた建造物を見て、どうしてこんな場所にいるんだろう? 夏休みだから学校はないし。隣には、運転席に座る照史さんの姿。……照史さん? その瞬間、佐竹宅での出来事が鮮明にフラッシュバックした。


「すみません、寝てました……」


「疲れてたようだね」


 琴美さんの指示に従って無理な姿勢を維持したのは、たしかに疲れたけれど。睡眠時間を気にせず、読書やゲームをしていたから、などと口が滑っても言えない。長期休みになると、どうも生活リズムが乱れてしまうのはいけないな、と猛省。


 カーステレオのデジタル時計を見ると、結構な時間が経過していた。


「え、もしかしてとっくに着いてましたか? どうして……」


「電車の待ち時間もあったし、頃合いの時間まで寝かせてあげようかって」


 照史さんの太腿の上には、時刻表を開いたままの状態で携帯端末が置いてある。乗り換え時間も調べて寝かせてくれていたんだと思うと、申し訳無さが込み上げてきた。


「送ってもらって眠りこけるなんて、最悪……」


「いやいや、久し振りに有意義な時間だったよ。ありがとう」


「感謝されることなんて……むしろ、私が感謝するべきなのに」


 穴があったら入りたい、そんな気分だ。


「心変わりしたのだって、ボクのためだったんだよね?」


「え?」


 そうだったっけ? 寝てしまったせいで記憶が曖昧だ。どうして私は照史さんに送ってもらったんだと、まだ覚めない脳をフル回転させる。(おぼろ)げな記憶を辿って、この状況をようやく把握した。


「思わせぶりな態度をしたから気にしてくれたんだよね? 気を遣わせてしまったせめてものお礼さ」


 それで居眠りしていたら、なんの意味もない。格好付けようにも形にならないのは、情けない限りだった。


「いいデートだったよ、ありがとう」


「そんな大袈裟な。ただのドライブじゃないですか」


 そして、後半は爆睡……。


 寝落ちっていう現象は本当はなくって、意識が途切れるのだから、それは失神と同じなんですよ。某メンタリストみたいな言い訳がドヤ顔とセットで浮かぶ。


 それにしても、読書好きの本棚自慢は異常。名刺代わりに選んだ一〇選のなかに、太宰治は入りがち。なにを読んできたではなく、どんな本が好きかで本を語れよ!


 ……とか思いながら、私も同じようなことをしているので、あまり強く言えないのがたまに傷である。


「こうしてだれかとゆっくり語らう時間も、あまりなかったものでね」


 ──だから、ありがとう。


 いつになく真剣な目を向けられて、やり場のない気恥ずかしさをどこに向けようかと目が泳ぐ。


「そんな可愛い仕草をされては、帰したくなくなるね」


「え、ええ?」


「……なんて、冗談さ」


「やめて下さいよ、心臓に悪いです」


 あははと笑う照史さんは、普段は言わないような冗談を飛ばした自分を嘲笑しているように見受けた。自暴自棄になってるみたいな、そんな雰囲気。あのときから、ちょっと様子が変だなって思う。けれど、これ以上踏み込んではいけない拒絶みたいな空気感もあって、私はただ呆然としながら照史さんの鼻頭辺りを見続けた。


「そろそろ行かないと、電車に間に合わなくなるよ?」


「あ、そうですね」


 それでは、と車から下りようとしたとき、「優梨ちゃん」と照史さんが呼んだ。


「はい?」


「寂しさに負けてはいけないよ。寂しさを埋めるためだけの存在は、恋人とは呼べない。求めて、求められる。そういう関係にこそ、愛があるんだとボクは思う」


 ──それじゃあね、優梨ちゃん。


 ──はい。また、お店に顔を出しますね。


「ご利用、お待ちしています」


 そこには、喫茶店〈ダンデライオン〉のマスターの顔をした照史さんがいた。





 * * *





 電車に乗って、最寄駅まで。


 今日という暇な日を、満員電車の中で思う。


 照史さんに感じた違和感の正体。それは、私に対しての対応だったのではないか? と振り返った。優志であるときと、私であるときの些細な違い。年上の男性から、言葉通り、『女の子扱い』されたのは初めての体験だった。ああ、だから……。『女の子』とされて、ある種の喜びみたいな感情を抱いたのかも知れない。強く抱き寄せられて、心が『求められている』と勘違いした結果、画用紙に描かれた私の表情は蕩けていたとすれば、「そうだったかも知れない」って結論に至れる。


 でも、私の中身は男子高校生で、女子高生じゃない。


 ハリボテみたいな容姿に、なんの価値があるというのか。


 陽が落ちて、真っ暗になった空。ガタンゴトン、電車が揺れる。鼻にかかった車掌さんの声が、次の駅を告げた。


 私はドアの近くの手摺りの間に肩をねじ込み、そのまま壁に寄りかかっている。この位置からだと、車内の様子が見渡せた。疲れきったサラリーマンがうつらうつらと船を漕ぎ、若者たちは無表情で携帯端末をしきり見る。中吊り広告の信憑性がなさそうな見出しは、毛ほども購買意欲を掻き立てられない。


 私がいるドアから離れた三人用の席に、カップルがイチャイチャしながら陣取っていた。最寄駅に近づく度に電車内の密度が減っていくもので、なんだかなあ、という感じだ。大学生風のカップルは二人の世界に埋没していて、他人の目なんて御構い無し。


 ──寂しさに負けてはいけないよ。寂しさを埋めるだけの存在は、恋人とは呼べない。


 別れ際に言われた、照史さんの言葉。


 あの二人は、どうなんだろう。訊いたところで、「は? キモ」って返されておしまいだから、目を背けた。


 世の中は『寂しい』で溢れているし、お一人様を好み、孤独を嫌う。一見すると矛盾しているようだけど、お互いに異なる苦味が存在する。カカオの比率が違うチョコレートみたいだ。どちらにも言えることは、脳が痺れるくらい甘ったるいってこと。一度味わった甘味に酔いしれて何度も手を出すのは、いけない薬の依存性に似ているな、と思った。


 つまり、寂しいって感情は、依存とも呼べるのではないか?


 冷めた電車の中、チョコレートは永遠にとけない。



 

【備考】


 読んで頂きまして、誠にありがとうございます。もし差し支えなければ、感想などもよろしくお願いします。


 これからも、当作品の応援をして頂けたら幸いです。(=ω=)ノ


 by 瀬野 或


【修正報告】

・報告無し。

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