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四十四時限目 チョコレートはとけない[前]


 琴美さんの創作意欲は衰えるところを見せず、私はなんども恥ずかしいポーズをさせらた。


 最初こそ具体的に、「腰をもっとくねらせて」「上目遣いで相手を見つめて」など、()(さい)な指示を出していた琴美さんだったけれど、次第に「(いん)()()()めいて」「(あで)やかな微笑みで」といった、抽象的な指示に変わっていき、困惑するばかりだった。


 琴美さんの指示を受けながらポージングをしているとき、照史さんはソファーに座って琴美さんの本──俗称を〝コトミックス本〟と呼ぶらしい──をペラペラ捲り、「内容はさて置き、線が細かいな」と呻いていた。





 悪夢のような時間は、夕べの防災放送『夕焼け小焼け』が外に鳴り響く頃に終わった。


「二人とも、おつかれさまー!」


 画用紙が散らばっていた食卓は綺麗に整頓され、照史さんが淹れた珈琲と、適当なお菓子が中央に置かれている。片付けをしたのは照史さんで、あたかも自分が片付けたと言わんばかりの振舞に頬を引攣らせながら「お疲れ様」の言葉を掛けた。


 琴美さんは空いている椅子に置かれた画用紙の束を手に取り、それを私に差し出す。『これが私の仕事よ』みたいな態度が鼻につくけど、それが佐竹琴美という女性の性格だ。今更「態度を改めろ」と注意しても変わらないだろう。苛立ちを顔に出さず、差し出された画用紙の束を受け取った。


「見ていいんですか?」


「ええ、どうぞ」


 それでは、遠慮なく。


 一枚、二枚、三枚……、画用紙に描かれている私は、いまにも動き出しそうな躍動感がある。絵に関する事情に疎い私でも、手元にある画用紙の束に釘付けになるほどだ。


 知識ある人がこのデッサンにどんな評価を下すかなんて、オープンザプライスする前から『予想金額を遥かに上回る』って顔をする鑑定団くらい、推し量るのが容易い。


 数ある模写の中でも一際に目を奪われたのが、照史さんとの絡みを写した絵だった。


 二人の間になにがあったのか、妄想が膨らむ。


 相手を慈しむような、照史さんの目。うっとり蕩けそうな、私。一億と二千年前から愛しているような、三千年過ぎた頃からもっと恋しくなったみたいな二人の関係性が(せい)()に表現されていた。


「よく描けているね。さすが、超売れっ子漫画家だ」


 私の隣で見ていた照史さんは(どう)(もく)しながら、惜しげもなく賛辞を贈った。


「当然よ。これでも、同人界隈じゃ名の知れた有名人なんだから」


「それを自分で言うんですか……」


 呆れて私がツッコミをいれると、手前に座っている琴美さんは自分を抱くように胸の前で腕を組んで、なよなよっと体を揺さぶってみせた。


「だってえ、優梨ちゃんが褒めてくれないんだもーん」


 甘えるような猫撫で声。


 ちょっとキツいです……。


「正直に言って、この絵を前にしたら帽子を脱ぐくらいですよ」


「あら、随分と破廉恥な感想だこと」


「脳内でピンクに変換するの、やめてもらっていいですかね……」


「未成年の前でそういう話は健全じゃあないな」


 散々あられもない姿を晒した後で言うのもどうかとは思うけど、と躊躇いがちに続ける。どこ吹く風然とした態度で珈琲を飲んでいる琴美さんに届いているのかは、どうも怪しい。


 琴美さんの絵は、自他共に認めるくらい洗練されていた。文句を付けようにも非の打ち所がない。だけどもいっかなこれまたどうして、これらの絵を見ていると、私の心が酷く騒めくのだ。私が知らない私、その姿が浮き彫りになったような感覚。望んでいたわけじゃないのに、これこそが正しい姿だと断言されている気がして、心中穏やかでいられない。


「もしかして……、怒ってる?」


「まあ、多少なりともですけど」


 御為倒しにそう言っただけで、怒りの感情はなかった。怒りというよりも、気分がくさくさする。茫洋していく憂鬱に歯止めが効かなくなったみたいな、始末の悪さ。意味もなく八つ当たりするのは幼さゆえかも知れないと、珈琲を飲んで心をとり静めた。


「でもさあ、結構ノリノリだったじゃーん?」


「反発しても、悪戯に時間を奪われるだけですから」


 なるほど、と手を叩く。


「だけど……、せめて〝なにをさせるか〟は、伝えて欲しかったです」


「それを伝えたら、優梨ちゃんは来ないでしょう?」


「はい、絶対にいきません」


 じゃあ、私は間違ってないわね! なんて、どの口が言うんだ? と睨むと、照史さんがその場を諌めるように、「まあまあ」って口と手振りをした。


「終わりよければ全てよし、という言葉もあることだし、ここは、この珈琲に免じて許してあげてくれないかな?」


「照史さんは、琴美さんに甘過ぎです」


「溜め込んだツケさえ払ってくれれば、ボクは文句ないからね」


 その言葉は、『金の切れ目は縁の切れ目』と言っているようにも訊こえた。


「あ! ……もしかして、呼び出しは義信のがよかった?」


「そういう問題じゃないです。斜め上から解決方法を提示しないで下さい」


「もー、意固地なんだからあ」


 私と琴美さんがああだこうだ言い合っている最中、照史さんが横から「ちょっと失礼」と、私の手から画用紙の束を取り上げて、繁々見始めた。


「それにしても、素晴らしい才能だね」


 肘ドン膝ドンシーンの絵を見つめて、青息吐息を漏らしている。


「ボクにも絵の才能があればな……」


「照史さんだって過去に描いてたでしょう? あの絵とか」


「あはは……」


「素質はあると思う。頑張って!」


「いや、ボクはもう筆を置いた身だから」


 筆を置いた……?


「照史さんも絵を描いていたんですか」


「店に飾ってある絵、あれは照史さんが描いた絵よ?」


 海外の街並みを写した、あの絵か……。


 以前、心の中でかなり酷いことを思った気がする。


「あまり触れないでくれると嬉しいなあ」


 ならばどうして、あんなに目立つ場所に飾っているんだろう? それとも、あの絵を飾らなければならない事情でもあるのだろうか? 喩えば、あの絵が飾られている壁に、なんらかの秘密があるとか? 若しくは、壁の汚れを隠すのに、あの絵のサイズが丁度よかった?


 古い建物ではあるので、老朽化している箇所を隠している、とすれば納得だ。薄暗い照明も、店内に飾られているアンティークな小物も、入口に置かれた振り子時計だって、見せたくないものを隠すには最適かも知れない。そう思うと、照史さんの涙ぐましい隠蔽工作に敬意の念すら感じた。


「さてと」


 照史さんは手に持っていた画用紙の束を琴美さんに渡して、「そろそろお(いとま)しようかな」と呟いた。


「あ、照史さん。琴美さんのツケ、回収し忘れてますよ?」


「優梨ちゃん、余計なことを言ってくれたわね……?」


 じと目で睨まれ、「ひえ」って声が出た。


「どうせ用意してないんだろう?」


「さっすが照史きゅん♪」


「きゅん……? 兎も角、今日の珈琲分だけでいいよ」


 ──え、これって好意じゃなかったの?


 ──そんなことは一言も言ってないよ?


「うそん……あ、たしかに〝珈琲持ってきて〟って言ったの、私だ」


「残っている豆も合わせて、三〇〇〇円にマケておくよ」


 もちろんツケは無しで、と念を押されて、琴美さんは嘆息を吐いた。


「今日のところは大人しく支払うわ……、いっつまいばでえで!」


 かもーん、みたいな手をしている琴美さんに対して、照史さんはにっこり微笑む。


「無給のアルバイトだったら、いつでも歓迎するよ」


 こればかりは、照史さんのほうが一枚上手だった。




 

【備考】

 読んで頂きまして、誠にありがとうございます。

 こちらの物語を読んで、もし、「続きが読みたい!」と思って頂けましたら、『ブックマーク』『感想』『評価』して頂けると、今後の活動の糧となりますので、応援して頂けるようでしたら、何卒、よろしくお願い申し上げます。

 また、誤字などを見つけて頂けた場合は『誤字報告』にて教えて頂けると助かります。確認次第、もし修正が必要な場合は感謝を込めて修正させて頂きます。


 今後も【女装男子のインビジブルな恋愛事情。】を、よろしくお願いします。



by 瀬野 或


【修正報告】

・2019年2月23日……読みやすく修正。

・2020年5月22日……加筆修正、改稿。

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