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女装男子のインビジブルな恋愛事情。  作者: 瀬野 或
三章 Unhappy Umbrella,
103/677

四〇時限目 二つの心は相反する[後]


 婦人服売り場の一角に設けられた水着売り場には、流行りを取り入れた品が多く展示されていた。さすがは百貨店。片田舎でも若い客層に合わせて仕入れをしている。いや、片田舎だからこそ、中高生を逃さないようにしているのかも知れない。


 ──買うなら都内かショッピングモールに行くわ。


 そう豪語していたレンちゃんも、派手でカラフルな水着たちを見て目を丸くしていた。


「ごめんなさい。さっきの言葉は取り消すわ」


 贔屓にしているブランドの商品だったようで、私をそっちのけで水着に手を伸ばした。


 天井から『フェアリーキャット』というブランドのロゴが吊るされていた。虹色の毛並みをした猫の背中に妖精の羽が生えている奇抜なデザインのキャラクターが特徴的で、人気アイドルグループから脱退したメンバーの一人が立ち上げたブランドだ。たしか、本店が渋谷か原宿にあった気がする。コンセプトは『おとなかわいい』だ。レンちゃんにぴったりなコンセプトだと思うけど、この状況はマズい。チラシかなにかで知ったのか、同年代くらいの女子たちがあちらこちらで水着を吟味している。ひと夏の思い出をこんな田舎の百貨店で販売している水着に託していいのかい? と言えば、その水着にご執心のレンちゃんを否定することにもなる。複雑な心境にどうすればいいのかわからず、レンちゃんから離れないようにしようと隣に移動した。


「これ、似合うかしら……」 


 右手に水色と黄色の生地が重なるセパレートタイプの水着、左手に(えん)()のワンピースタイプの水着を握っていた。


「ユウちゃんはどっちが似合うと思う?」


 二つの水着を胸元に当てながら「どうかな?」と訊ねられても、どう反応すればよいのやら。どちらも似合ってるし、捨てがたいとする気持ちもわかる。大人っぽい印象を受けるレンちゃんだからこそ、〈かわいい〉を選ぶか〈おとなっぽい〉を選ぶか悩むのだ。でも、こういう場合ってどちらにするか心の中で決まってたりするんだよねえ……。まるで、私のセンスを試されているような気分だ。シマムラーにはちと厳しい問題に頭を抱えながら、「どっちも似合うと思うよ?」なんて、不甲斐ない結論に至るのもシマムラーの宿命である。


「さすがに両方は買えないわね……」


 軍資金が足りていたら両方買っていた、という意味すら垣間見える言葉に、私は自分の出した結論を悔いた。


「試着するから、どっちがいいか意見をくれるかしら?」


「参考になるかわからないけど、それでもいいなら……」


 ファッションセンター島村で培ったセンスが試されるとき!


 大丈夫、我らが島村を信じろ!


 元祖・コストパフォーマンス最強の意地を見せつけるのだ!


 アベイラーとパシオシストに負けるわけにはいかない!


 アベイルとパシオスは同系列ですけどね!


「ええ、構わないわ。素直な意見が訊きたいだけだもの」


 私が「どちらも似合う」と言っていなければ、レンちゃんも〈試着する〉という決断に至らなかったはずだ。いまでも目のやり場に困っているのに、殊更に事態を深刻化させてどうするの!?


 ここまできたら、腹を括るしかない。





 水着の試着室はこのフロアの隅にあった。試着室全体を黄緑色のカーテンが覆い、通行人の目が届かないように配慮されている。『こちらからお入り下さい』と書かれたスタンド看板の指示に従って中に入ると、そこには更にカーテンで仕切られた個室が三つ用意してあった。どうやらこのコラボ企画に合わせて臨時に作った試着室のようだ。本来、この場所には商品が並んでいるのだろう。白タイルの床にはキャスターで引き摺ったような細かい傷が所々に黒く変色して残っている。こういう傷汚れは激落ち君を使ってもなかなか落とせないんだよねえ。カーテンとカーテンの隙間には数センチの隙間があり、この風貌を一言で喩えるならば病室だ。カーテンの色といい、見た目からして病室である。幸いにも現在はだれも使用しておらず、個室のカーテンは開け放たれていた。中には(すのこ)が敷かれ、荷物置き用の洗濯カゴが簀の端に置かれている。鏡は簡素な作りのスタンドタイプで、一般家庭にあるような前後に倒れるやつだった。この日のためにリーズナブルな家具屋で購入したのだろう。鏡のフォルムには見覚えがあった。


 レンちゃんは一番隅っこの試着室へと入り、緊張した声音で「試着するわね」と言ってカーテンを閉めた。眼前を隔てるカーテンの奥で、服を脱ぐ物音が訊こえてくる。まるで生きた心地がしない。もしもだれかが入ってきたら、どんな顔をして迎えればいいのか。BGMは知らない音楽に変わっていた。握りしめた手は薄っすら汗ばんでいる。目のやり場を探して天井を見上げていると、隅っこに蜘蛛の巣が張っているのを見つけた。清掃が行き届いていない証拠だ。田舎は虫が多いからって言い訳は通用しないよ? って、なに目線で採点しているのか自分でもわからなくなるくらいには動揺を禁じ得ない状況だった。


「はあ……」


 兎にも角にも、こうなってしまったのだ。


 腹を括ると決めたからには堂々としていよう、心頭滅却すれば火もまた涼しである。


「無我の境地、無我の境地……」


 絶対にいやらしい目で見ないこと。これは絶対条件だ。心を〈女子〉にして煩悩を押し殺さなければならない。大丈夫、私ならできる。これまでも優梨を上手く演じることができたんだし余裕でしょ? 割と普通にガチで余裕。……佐竹ってる時点で全く動揺を隠せていないのは明らかだった。


 意識を集中して、神経を研ぎ澄ます。


 いち、に、さん……。


 頭の中で数を数えながら深呼吸をする。


 さん、し、ご……。


 脳に酸素が行き渡り、アルファ波の流れに身を任せた。


 ろく、しち、はち……。


 完璧な女子になることが目的だっただろうか? と思う。


 完璧な女子になるのは物理的にも不可能だ。だとしても、求められるのは〈優梨〉であって〈優志〉じゃない。優志が不要な存在であるならば、私に残される選択肢は()()姿()のみである。だからこそ完璧に近い女子を演じるのは当然の理で、理想に近い女子になれるように自分でも努力した。それでもまだ、私の中の〈優志〉を消すことはできない。


 佐竹君もレンちゃんも、私の答えをずっと待ってくれている。私の対応は不誠実としか言えない。それでもなお、二人は首を長くして待っていてくれるから思考を放棄したりしないのだ。それすらも放棄してしまえば、どんな顔をして二人に会えばいいのかわからない。……なんて、これも全て言い訳に過ぎないだろう。天井の隅にある蜘蛛の巣を片付けるのが億劫で、見なかったことにした百貨店の従業員と変わらない。


 私は、失うことを恐れているのだろうか。温かく迎え入れてくれた彼らを失えば、鬱々した穴の中に戻らなければならなくなる。穴の底は寒い。凍えてしまいそうなほどに。一度でも『温もり』を知ってしまったら、灰色の世界に戻りたいなんて思えない。『ぬるま湯だっていいじゃないか。寒いよりはマシだろう?』と、彼が私に語りかけてくる。ホント、嫌になるくらいその通りで返す言葉もなかった。 


 きゅう……。


「……じゅう」


 目を開くと、眩しい世界に立っていた。



 

【備考】


 読んで頂きまして誠にありがとうございます。差し支えなければ、感想やブックマークもよろしくお願いします。


 これからも当作品の応援をよろしくお願いします。(=ω=)ノ


 by 瀬野 或


【修正報告】

・現在無し。

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