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6話「鬼は少女と駆ける」

 スニーカーが砂利を踏み、ブーツがカツカツとコンクリートを鳴らす。風もない無音の中、いつもなら気にならない二人の足音がやけに耳につく。ひび割れた灰色のコンクリートを踏むたびにパラパラと砂が落ち、崩れるのではと何度も肝を冷やした。ところどころ崩れ落ちていて、そのたびにそれを飛び越えた。喰鬼奴隷から持ってきた懐中電灯の光が、俺の歩みに反応するように階段の表面を滑る。手すりに触れれば赤黒いざらざらした(さび)が手にまとわりついてくる。


「明人さーん……まだ着かないんですかー?」


 上へ上へと動かしていた足を止め、膝に手を置きながら琴奈は恨めしげに呟いた。呼吸は荒く、それに呼応して肩が上下する。俺は振り返り琴奈を見下ろしながらため息をついた。


「お前、ここに来た時と同じこと言ってるぞ?」

「しょうがないじゃないですか。高すぎなんですよ」

「高いとこに行きたいって言ったのはお前だろ」

「そうですけど……。建物なんですから何か役目があるんですよね? ならもっと簡単に上に上がれるなにかがあったんじゃないですか?」

「知らん」


 俺は再び琴奈に背を向け歩きだした。

 背後からため息が聞こえ、次いで小さな足音が追随する。

 確かに昔はエレベーターがあったが、電気も通っていない今では使えるわけがない。だから上に行きたいなら、淡々と階段を登るしかないのだ。今はまだ二三階。最上階の三三階までまだまだ距離、というか高さがある。


「はぁ……登りたいなんて言わなければよかった……」

「それを一番言いたいのは俺だよ」

「ていうかなんで明人さんは疲れてないんですか!」

「お前とは鍛え方が違うんだよ」

「私も体力には自信があるんだけどなぁ……」


 そうぼやきながら琴奈は肩を落とした。

 真面目に答えると、俺が鬼だからという一言に尽きる。これくらいの運動で疲れることはない。もちろん馬鹿正直に言うわけもないが。

 俺としてはこのままさっさと上に行って、目的を済ませたい。だが当の本人がここまで疲れているとなると、それも厳しそうだ。


「ここらで一度休憩するか?」

「……お願いします」


 不満そうに眼をそらしながら、琴奈は消え入りそうな声でそう言った。二三階まで登り、そこの階段に彼女は腰を下ろし重く息を吐く。俺も朽ちかけたコンクリートの壁にもたれかかった。

 このマンションは外廊下式になっていた。階段から廊下が伸び、片側は外に、もう片側には部屋が並んでいる。外に面しているだけあってか、遠慮なく冷たい風が入り込んでくる。俺も琴奈も思わず体を震わせた。


 音のない、静かな夜のような時間が過ぎる。俺はただ腕組をして壁にもたれかかり、琴奈は座りながら興味深いのかキョロキョロとあたりを見渡している。

 琴奈の乱れていた息も整い始めたころ、ふと彼女は立ち上がり廊下へと歩いていった。とても目的があるようには見えない。なんとなく、といったところだろうか。俺もそれに続いた。

 壁面のつたから延びる大きな葉をくぐり、崩れ落ちた床を飛び越えて琴奈は進み、俺は黙ってそれについていく。いくつものドアが等間隔に並んでいるのが珍しいのか、ほぅと彼女は息を漏らす。


「不思議なところですね」


 湿った風が吹き、琴奈のライトブラウンの髪を揺らす。

 俺に向けての言葉か、それともただの独り言か。ともかく琴奈はそうぽつりとつぶやいた。


「規則的に扉が並んでいて、なんだか昔いた刑務所を思い出します。管理されているくらいに規則的で、なんだか気持ち悪いです」

「これが昔は普通だったらしいな」

「……そうなんですか」


 興味なさげにそうつぶやき、廊下の真ん中あたりまで来たところでふと琴奈は扉に手をかけた。赤黒く変色したドアノブを回し、悲鳴のような音を立てながら古ぼけた扉が開かれる。

 俺は琴奈を体で隠すように彼女の前に立った。なにがあるかわからない。体が半ば勝手に動いていた。

 だが俺の右脇に手を置かれ、そのまま押しのけるようにして琴奈は俺の隣に並んだ。


 その部屋は廃墟のような見た目を除けば、よくあるマンションの一室と変わらない作りをしていた。

 ドアからまっすぐ廊下が伸び、その奥には広いスペース。リビングだろうか。そしてそこに至るまでの壁に点在するいくつかの扉。


「すごいボロいですね」

「まあ、ずっと放置されてるからな」


 琴奈は流されるように前に進み、俺はそれを慌てて追って隣に並んだ。

 かなり埃っぽく、口に布を巻いているから咳き込みこそしないが、目が痒い。それに歩くたびに軋む床が、言いようもない不安感を掻き立てる。頬に感じる風が異様に生温かく感じた。


 そのまま進み、廊下の突き当たりにたどり着く。そこにはもともとガラスがはめ込んであったらしいドアがあるが、そのガラスは全て割れてしまっている。

 そのドアのレバーハンドル式のドアノブを回そうとすると、パキと乾いた音を立てて折れた。

 少しそれを見つめ、ため息を吐く。

 まあ、錆びてるし、古くなっているからしょうがない。

 そのままドアを押して開け、リビングに入ったところで――


 ――そいつは、そこにいた。


 壁紙もほぼ全て剥がれ、ところどころ壁が崩れ鉄骨がむき出しになっている。ボロボロな家具、そして地震でも起きたのかと言った具合に散乱した物々。ガラスを全て失い、枠のペンキがはげ落ちて変色した窓。

 そしてそこから差し込む蒼い月明かりに照らされた――鬼。


「「――ッッ!!」」


 俺と琴奈は同時に息を飲んだ。叫びそうになるのを、なんとか堪える。となりでも体をはねさせた気配がした。


 大丈夫、大丈夫だ。


 明らかに早い鼓動を感じながら、そう自分に言い聞かせる。

 鬼はまだこちらに気づいていないようだった。窓の近くに立ち、呆然と外を眺めている。俺たちがいるのはそのちょうど真横。

 見た目はさわやかな成人男性で、風が吹くたびにゆらゆらと左右に体が揺れていた。

 視線だけ隣に向ける。琴奈は取り乱してはいないようだが、突然の鬼に冷静さは少し失っているようだった。目は見開かれ、呼吸に呼応して動く口を覆う布の動きが早い。琴奈の額から汗が一筋流れた。


「大丈夫だ」

「――ッ!」


 鬼に聞こえない程度の大きさで呟けば、琴奈は肩を跳ねさせて俺を見た。


「あいつはまだ気づいていない。ゆっくり、ゆっくり下がってここから出るぞ」

「……はい」


 琴奈は深呼吸をして、そう呟く。

 その声は落ち着いていた。これで冷静になるあたり、さすがと思う。

 互いに顔を見合わせ頷いて、一歩、もう一歩と鬼から視線を外さず後退する。

 だがその時。



 パキ。



 その瞬間、ぐるんっ! と鬼の顔がこちらに向いた。その血走って、白黒逆転した双眸が俺たちを捉える。そこからは一瞬だった。

 鬼が口を大きく開き、その大きな犬歯が月明かりで光る。そして鬼は俺たちに向かって走り出した。

 俺たちと鬼の距離は遠くない。おそらくすぐに俺たちの元にたどり着く。


「琴奈!」


 俺は琴奈の前に出て、刀の柄に手を添える。

 そして一瞬だけ待ち、鬼が目の前に来たところで刀を抜くと同時に振り抜いた。

 だが鬼はそれをかがんで避ける。


「なっ!」


 背後から琴奈の声が聞こえる。

 だがそれほど驚く事じゃない。鬼域の鬼はいつも攻めてくる鬼と違い、理性を失っていない。きちんと考える。といっても攻撃されたら防ごうとするなど普通の動物程度だ。それでも刀が迫って来たら避けるのは当たり前。


 鬼はそのまま跳ねるように俺の体に飛びかかる。俺の腰あたりに抱きつくように体当たりをして、そのまま脇に牙を突き立てる。


「ぐっ!」


 何か大きな岩でもぶつかったかのような思い衝撃。そして鬼だからこそ最低限しかない痛覚が、針に刺されたようなチクリとした痛みを脳に届ける。思わずうめき声を漏らした。

 背後には琴奈がいる。足に力を入れ、背後に吹っ飛びそうになるのを堪える。そして勢いが止まったところで飛び上がりながら、膝蹴り。


「ゴッ!?」


 それは鬼の腹に突き刺さり、鬼はうめき声をあげて一瞬宙に浮く。そこにすかさず回し蹴りを叩き込む。

 鬼は吹き飛んだ。ガシャン! と大きな音を立てながら朽ちかけていた机を壊す。そしてその破片を巻き込んで壁に打ち付けられた。その部分の壁が崩れ埃が舞い、それが月明かりに照らされてキラキラ光る。


「ふぅ……」


 グジュグジュと、脇腹の傷が蠢くような違和感。

 ちょっとした穴だ。幼鬼じゃない俺でもすぐに治るだろう。

 ちょうど怪我をしたところは琴奈の死角だったから、治すのにためらう必要もない。


 俺は鬼に向かって歩き出した。

 あの程度じゃ鬼は死なない。出血させるか核を壊し、黒化させないと死なない。

 案の定瓦礫を掻き分けながら鬼が顔を出した。鬼の顔に刺さった破片も自然と抜け落ちる。擦り傷程度の傷はもう消えていた。

 鬼が再び俺を視界に捉える時には、俺はもう鬼の目の前にいた。


 早く殺さないといけない。あまり時間をかけるわけにはいかないのだ。


 だが俺は忘れていた。鬼には知性がある。ちゃんと考えることができる。

 俺は失念していた。戦うなら、強いやつより弱い奴の方がいいなんて、バカでもわかるのに。


「ガアッ!」


 鬼は苛立ったようにそう吠えると、素早く横に跳ぶ。軽く三メートルほど跳ぶと、そのまま前に走り出した。

 考えるまでもない。鬼のターゲットは、琴奈だ。


「くそっ! 琴奈!」


 とっさに琴奈の名を叫んだ。ここから助けに行くのは不可能だ。焦燥感で胸を焦がす。俺が振り向いて動き出そうとした頃には、もう鬼は琴奈の目の前にいた。

 琴奈は右手に拳を作り、左から右へ振り抜こうとしていた。ただの振り払い。それにこの状況がなんとかなるような威力があるとも思えない。

 鬼もきちんとそれに反応し、その軌道上に右手を添える。そして左手はまっすぐ琴奈に伸ばされた。

 これでは鬼に防がれて琴奈は終わりだ。俺はそう思った。


 ――が。


 琴奈が腕を振り抜いても、何も起こらなかった。そう、なにも。

 琴奈の腕はなにもなかったかのように振り抜かれた。そして時間が止まったかのように鬼は動きを止める。振り抜いた琴奈の手元が光を反射して光った。

 数瞬して、ついに動き出す。

 ズル、グチャと不快な、湿った音を立てながら、鬼の右腕と首が(・・・・・)ずり落ちた。

 傷口から吹き出る血液が灰色を赤黒く染めていく。むせ返るような、吐き気すら覚える臭いが一瞬であたりに充満した。


 ゴトンと重い音を立てて落ち、次いで力つきるように体も崩れ落ちる。だがまだ鬼は死んでいない。黒化していないのだから、まだ終わっていない。

 鬼は倒れ込んだまま、傷口から血を撒き散らしながら何かを探すように左手を動かしていた。

 幼鬼ならともかく、普通の鬼はこれほどの傷はすぐに治らない。直すとしても、切断された部分をくっつける程度だ。だから鬼はなくなった首と腕を探している。


 琴奈はなにも言わない。何も言わず、ただ冷たく鬼を見下ろしていた。

 そこにはもういつもの琴奈はいない。あそこでの戦闘の時と同じ、感情を殺したような、氷のような表情を貼り付けた殺し屋(アサシン)がそこにいた。

 彼女は地面でのたうち回る鬼の足を掴むと、そのままズルズルと引きずって窓へと持って行く。そしてなんのためらいもなくそこから鬼を投げ捨てた。


「……琴奈、大丈夫か?」


 鬼が落ちていったところをずっと眺めている琴奈が心配で、俺はついそう口にしていた。


「ええ、大丈夫です」

「そうは見えないが?」

「そんなことないですよ。ただ……」

「ただ?」


 彼女は顔をこちらに向けた。

 返り血でその幼さの残る顔を真っ赤に染め、月明かりに照らされながら弱々しく笑みを浮かべる。


「鬼は人間じゃない化け物。それはわかってます。でもちゃんと考えている分より人間らしく見えてしまって。それで少しやりずらかったんです。精神的に」

「…………」

「技術的には、むしろやりやすくなったんですけどね……」


 自虐的に笑いながら琴奈は自分の右手を見つめ、手首を外側に曲げた。するとシャコッと音を立て、二〇センチ程度のナイフが手首から飛び出した。琴奈はため息をつきながら、持ってきたらしいハンカチを取り出しナイフについた血を拭う。


 そういえば琴奈は暗器を使うんだったなと、今更ながら思い出した。

 暗器は基本騙しの武器だ。騙すには相手を勘違いさせる必要がある。だから考える鬼域の鬼の方が戦いやすい――騙しやすいと、彼女は言うのだ。


 だというのに琴奈の瞳は悲しそうに揺れていて。

 何か言わないと。何か言ったほうがいい。

 なぜかそう思い口を開いて――



 バタンッ!!



 突然大きな音が背後で響いた。俺も琴奈も背後――この部屋の玄関に視線を向ける。

 そしてバババババ!! と連続で似たような音が空気を揺らす。


「なんだ? 今の音」

「さあ……扉が勢いよく開いたみたいな音でしたけど」

「扉……? ッ! まさか……!」


 嫌な予感がゾワリと全身を舐め回す。とっさに俺は部屋を飛び出し、廊下を走り、玄関から顔を出した。琴奈も俺に続いて顔を出す。

 そこから左右を見渡して、俺たちは言葉を失った。


「おいおい……嘘だろ……?」

「そんな……」


 なんとかそれだけ口にする。

 さっきまでしまっていたマンションの扉がほとんど開かれていた。さっきの音も、この扉が勢いよく開かれた音だ。俺たちが呆然としている中で、いくつかの扉がその勢いに耐えられなかったのか倒れ、また大きく音を鳴らす。

 そして、なぜそうなっているのか、それを示すのはひとつだけ。


「……おい、琴奈」

「……はい、わかってます」


 俺たちの小さな会話。それに呼び起こされたかのようにそれは現れた。

 ヌッと部屋の中から顔を出す鬼。開いている扉全てから出てきている。だから数は多く、この階だけでもおよそ――二〇。

 さっき殺した鬼と同じく、血走った目が俺たちを捉えた。その瞬間、俺は叫んでいた。


「――逃げろ!!」


 俺と琴奈は脱兎のごとく駆け出した。

 その叫びが号砲になったのか、鬼たちも同時に動き出す。

 隣の部屋の鬼を、彼らの力が入っていない間に押しのけ、駆ける。そこから数部屋は空部屋。その少し向こうに数体の鬼がいた。


「琴奈!」

「はい!」


 どこからともなく琴奈はナイフを取り出し、投擲。見事目に刺さり、視界を奪ったところですれ違いざまに俺が足を切断する。


 幸いだったのは階段と逆側に鬼が集中していて、階段側にはもう鬼はいないことか。だが安心もできない。鬼の身体能力は、人のそれを軽く凌駕する。この程度の差くらい軽く埋められるだろうし、事実地響きのような数多の足音はかなりの速さで大きくなる。

 階段なんてもってのほか。一段一段降りる必要がある俺たちと違い、彼らはなんなら落ちても構わない。すぐに追いつかれる。


 それだけ思考するのに、約一秒。


「……あれだな」


 目の前のあるものに意識を向ける。

 階段横にある、上下に伸びた穴。そして上から垂れる錆びて赤黒く、太いワイヤー。そこに通じる両開きの扉は大きく開かれている。

 つまるところ、エレベーター。


「琴奈、こっちだ」

「え、ちょ、明人さん!?」


 階段の方へ走る琴奈を引き寄せ、左の小脇に抱える。琴奈は意外と体も小さく、思ったよりも軽いおかげで特に問題なく抱えることができた。

 そのまま向きを変え、エレベーターへ足を進める。行き先を見た途端、琴奈の顔つきが明らかに変わった。

 琴奈はエレベーターという存在は知らないだろう。だが下の見えない穴に飛び込もうとしているのは見ればわかる。


「明人さん、嘘ですよね」

「大丈夫だ。死にはしないし、死なせない」

「いやそんなかっこいいこと言ったって無茶なものは無茶で――きゃぁぁあああ!!」


 申し訳ないが背後から鬼が迫っている今そんなことを聞いている余裕はない。背後で鳴り響く叫び声、そして地鳴りのような足音に背中を押されるように。

 琴奈の言葉を無視して俺は穴に飛び込んだ。そのままワイヤーを右手で掴む。

 一瞬の浮遊感の後、重力のままに落下。スピードを少しでも緩めようと、ワイヤーを握る手に力を込める。

 右の手のひらに感じる熱と痛みは、俺が鬼だからこそ顔をしかめる程度に済んでいた。だがそれでも肉が削れるような感覚が気持ち悪い。


 二三階という高さもあるし夜ということもあるが、とにかく暗い。空気を切る音が耳を撫でる。登るのに時間はかかっても、落ちるときはあっという間だ。

 落下スピードは速く、一番下も暗闇に隠されていた。今この瞬間にも地面に叩きつけられるのではと、いかに冷静でいようとしても心は乱れてしまう。


「琴奈! ナイフ!」

「は、はい!」


 とっさに琴奈はそう叫んだ。

 ここですぐ反応できるあたり琴奈も流石だ。

 琴奈が素早く、小さく手を振ると袖からナイフが飛び出し彼女がそれ掴む。そしてそれを壁に突き立てた。俺はナイフとしか言っていないが、琴奈はそれ以上を察していた。

 突き刺さりはしないものの、ギャリギャリギャリギャリ!と嫌な音を立てる。火花が散り、それが俺と琴奈の顔をほのかに照らした。

 付け焼き刃とはいえ、これで少しはスピードが落ちた。

 だが落下は止まらない。

 と、ふと下に明かりが見えた。


「琴奈、しっかり掴まってろ」


 ぎゅうと琴奈が俺の服を掴む。

 俺はワイヤーを握る手に力をさらに込め、ナイフをより押し込み、自分の足の裏も壁に擦り付ける。


「ちゃんと受け身も取れよ」

「はい!」


 スピードを緩めながら、だがそれでも確かな速さで光に近づいていく。

 足を曲げ、力を込めた。そしてその光が真横に来るといったとき――


「今!」


 琴奈を抱えたまま、跳躍。

 下方向への加速と、横への勢いを受け、俺の体は斜め下に飛んだ。地面に叩きつけられ、そのまま受け身をとりつつ体勢を立て直す。一瞬だけ視線を向けた先で、琴奈も同じようにしていた。

 少し遅れて鬼の叫び声がした。かなりの勢いでそれは大きくなり、エレベーターの扉が一瞬だけ数体の鬼を映す。その直後、グチャと何かがつぶれたような音がした。

 俺たちを追ってきたのか、それとも勢いを殺せずそのまま落ちたのか。

 どちらにせようまく逃げ切れたようだ。


「「はぁぁぁ……」」


 それはまるで張り詰めた糸が切れたかのように。俺と琴奈は何とも情けなく息を吐いた。



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