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1話 鬼との闘い


「――さん! 呉嶋さん! 呉嶋(ごしま) 明人(あきと)さん!」


 誰かの俺を呼ぶ声。それが夢の中にいるようなフワフワとした心地から俺を引っ張り上げる。

 まず耳に入るのは笛のような風の音。それを追いかけるように壊れた世界が顔を出す。

 視界いっぱいに広がる瓦礫のじゅうたん。それに這うように草木が絡まる。大きなクレーターに水が溜まり池ができて。そこから何かの残骸が天に手を伸ばすようにそびえたつ。この場所で何があったのか、想像するのも恐ろしい。

 そのさらに向こうにはかつての大都会。今にも崩れ去りそうなビルが、まるで鉄の森のように乱立している。

 視線を上げれば昔では考えられないような星々が闇夜を覆いつくしていた。

 こうなる前の姿を知っている俺としては、この壊れた世界に奇妙な美しさすら感じていた。


「呉嶋さん、どうしたんですか? そんなにぼーっとして。話の途中ですよ?」

「あ、ああ、すまん」

「これから闘いが始まるんですよね。そりゃ今回が初の僕より呉嶋さんは慣れてて余裕もあるんでしょうけど……」

「悪かった。すこし、昔のことを思い出していた」

「昔のこと、ですか」


 大丈夫なのか、といった表情がいかにも真面目そうな顔に浮かび、松明の炎に照らされ揺れる。俺より身長が低いこともあり、見上げるような形になっていた。


「ま、そこまで昔のことじゃない。たかだか五年前だ。ああ、そうそう。話の途中だったな」


 仕切りなおすようにそう口にして、あたりを見渡す。そこに広がるのは、いつもの風景だ。


 俺と隣の新人を含む一〇数人の男女が横線を引くように立ち並び、手には大剣、大槌、ナイフ、鉈とおおよそ平穏とは言えないものを手にしていた。俺の手にも一振りの刀に、腰にはいつもの銃が一丁。新人もナイフを一振り携える。そして全員に共通するのが、マスクのように口に巻かれた布だ。その姿はまるで一つの盗賊のように柄が悪い。

 彼らこそが、対鬼組織――喰鬼奴隷(がきどれい)。彼らも俺同様この闘いは何度も経験しているだけあり、新人よりも余裕はある。緊張感が霧散しない程度に気を緩め、談笑に花を咲かせていた。


「これから俺たちはここに攻めてくる大量の鬼と戦うわけだが、もちろん殺し方は聞いてるよな」

「はい。出血死……ですよね」


 いまいち浮かない表情を浮かべながら、新入りは答えた。俺も「正解」と無機質に返す。

 出血死と言えども、鬼に関しては難しくなる。なんせ傷を負ってもすぐに血が止まってしまう。しかも出血死を防ぐためにウイルスが血を作るものだから、さらに難しい。


「あとは核を壊しても鬼は死滅する」

「核、ですか」

「といってもほとんど不可能に近いけどな」


 鬼の体のどこかにある核を壊せば、出血量も関係なく瞬時に死に至る。これだけ聞けば簡単そうではある。だがその核自体がピンポン玉くらいの大きさしかなく、しかも外から見ることはできない。しかも個体ごとに位置が違うし、なんなら個数もそれぞれだ。基本は一つだが、ごくまれに複数個もつ鬼もいる。


「核を壊せても運がよかった程度のことだ。基本は出血死。余計なことは考えるな。ただ切り刻めばいい」

「余計なことは考えず……」


 思うところがあるのか、神妙に彼はつぶやいた。


「あの、呉嶋さん」


 恐る恐るといった様子で彼は俺に声をかけた。それに俺は、やはり無機質に「なんだ」と返す。


「なんで呉嶋さんはここにいるんですか?」

「なんで……?」

「呉嶋さんはなんとなく、彼らとは違う気がして」


 新入りは盗み見るように他の奴らに視線を向けた。それを見て俺はああなるほどと納得する。

 ここにいる人間は二つに分けられる。犯罪者か、異常者かだ。

 鬼は姿かたちだけなら人間だ。しかもその性質上、銃は効き目が薄く、接近戦を強いられる。嬉々として人間の姿をしたものを殺せる奴なんてそうはいない。

 そこで白羽の矢が立ったのが犯罪者たち。事実、ここにいるやつらは俺と新入りを除き、全員犯罪者だ。


「僕は金のためです。病気の姉のために、薬を買うだけの大金が必要なんです」

「それでこんなクソみたいな仕事を?」

「はい」


 こちらを見つめる視線は力強い。確かな意思を感じた。

 なるほど確かにここの給料は高い。一日で今の時代の平均的な月給を稼げる程度には。

 だが、そんなにおいしい話でもない。

 今まで何人か犯罪者でもない人間が彼と同じ目的でここに来ていた。だがみんな死んでいった。

 まあ、わざわざそんなこと口にしないが。せっかくの覚悟だ。折ってしまうのも忍びない。


「……俺も、似たようなものだな」


 彼の質問にはとりあえずこう返しておいた。もちろん嘘。自分が鬼でなんとなくここに流れ着いただけなんて、口が裂けても言えない。

 だがそんなこと新人にわかるはずもなく。同類を見つけたことの安堵感からか、それとも俺が生き残れているから自分も生き残れるなんて根拠もない自信からか。彼の雰囲気は少し柔らかくなっていた。


『みなさん』


 ザザとノイズを孕んだ声が、インカム越しに届いた。その声がやけに無機質に感じるのは、機械越しだからじゃない。いつも通りの、ただの業務連絡。


『鬼が来ました。いつも通り、殲滅してください』

「了解」


 極めて簡潔に返し、正面を見据える。他の奴らの空気も切り替わるのを感じた。

 緊張に顔を引き締める者。楽しそうに笑みを浮かべる者。けだるげな表情を浮かべる者。各々が武器を構え、戦闘態勢に入る。

 皆が皆正面を睨みつけ――そしてついにそれらはやってきた。



 まず初めに、向こうの地面の輪郭が歪み始めた。そして凹凸を持ち始め、そしてその姿を現す。

 地響きを伴いながらこちらに押し寄せるその姿は、まるで津波のようだ。

 理性を失い感情に身を任せ、ただ我武者羅に走る姿だけなら人間の大人だ。唯一の違いは、異常に伸びた二本の犬歯。白黒を逆転させたような目をぎらつかせ、そこに宿るのは紛れもない殺気であり、狂気。俺たちを喰らわんと押し寄せる。


 「ひっ」と、隣で小さな悲鳴が上がった。俺はそれにため息を禁じ得ない。この程度で恐怖していてはここではやっていけないというのに。


「よっしゃいくぞぁあ!!」

 

 誰かが待ちきれないといった様子で飛び出した。筋骨隆々とし身長以上もある大剣を担ぐその男は、金色の短髪を揺らし気色の悪い笑みを顔に張り付けながら、鬼の群れに飛び込んでいく。

 それに続くように他の奴らも動き出す。別に俺たちは軍隊でもなく、訓練だって受けていない。俺たちに求められるのは、殺戮ただ一つ。規律も作戦もない。各々がただ鬼を殺すだけ。


「じゃ、俺たちも行くか」


 戦場が乱戦になり、俺がそうつぶやいた時。ちょうど鬼の一匹がこちらに突っ込んできた。


 白黒逆転した目が俺の普通の目と交差する。俺は鬼だが、目は普通だ。あの目になっているか否か。それが自我持ちとそれ以外の差になっている。


 戦術なんてものはない。ただ喰らうために、何も考えずに飛びついてくる。俺はそれを一歩横にずれるだけで躱し、刀を下から上へと切り上げる。

 その一閃は鬼の右腕を切り落とした。鬼は体勢を崩し、断面からはとめどなく血が流れ出る。それに伴うように、鬼の体の一部が黒く変色した。

 これも鬼の特徴だ。血が足りない鬼はだんだんと黒く変色し、全身が黒く染まる――『黒化(こくか)』したとき、死亡する。

 しかしまだ止まらない。バランスを崩しながらも我武者羅に突っ込んでくるころにはもう血が止まっている。


「があっ!!」

 

 右に新たな鬼。飛び上がり手を頭上で組み、俺に叩きつけんとする。

 前方の鬼の頭をつかみ、回転するようにして位置を入れ替える。そのまま俺は後ろに跳躍。

 少し遅れて鬼の拳が叩きつけられる。俺と位置を入れ替えた鬼を巻き込んで、爆音とともに小さなクレーターがそこにできた。地面の破片が飛び散り、俺は腕で顔を隠す。


「まったく、相変わらず力だけは強いな」


 あれを喰らっていたらと思うとぞっとする。鬼は痛覚が最低限しかないし再生もするが、人間なら瞬殺だろう。実際に巻き込まれた鬼の傷はもう癒え始め、よろめきながらも立ち上がっている。しかしそいつはもう体の八割も黒化していた。

 わざわざ待つつもりもない。よろめく鬼の懐に瞬時に入り込み、横に一閃。首を飛ばされたそいつは血をまき散らしながら完全に黒化する。

 隣から遅いかかかる鬼にそのままの勢いで回し蹴り。鬼はよろめき、そのすきに足を切り落とす。


「おっ」


 パキと、肉を断つものとは違う、少し硬めの手ごたえ。核を壊せるとは運がいい。

 その鬼の体は一瞬にして黒く染まった。


「これだから鬼を殺すのは面倒なんだ」


 刀を振り、血を落としながらため息をつく。

 こんな戦闘、戦闘とすら呼べない。子供のように突っ込んでくる鬼をただ作業的に処理する。なかなか死なないから手間だけはかかる。


 大人の鬼で死ぬ奴なんていない。

 だが本当に危険なのはこれからだ。


「こんなものなんですか……?」


 近くにいた新入りが呟いた。覚悟ができているといってもやはりつらいのか、そう言いつつも表情は明るくない。


「ここは生き抜くのも大変と聞いてたのに……」


 彼は戦闘のプロというわけでもないのだろう。だが我武者羅に突っ込んでくる相手を避けるなんて、素人でもできる。数も多いが、冷静さを失わなければきちんと対処できるレベルだ。


「確かに楽だな――今はまだ」

「今は?」

「おしゃべりできる今のうちに教えておこうか。この戦闘を生き抜くためのコツみたいなものだ」


 別にこいつに情が湧いたとかそういうわけではない。ただの気まぐれ。また一匹の鬼を切り刻みながら、彼に視線を向けることなく、口を動かした。あくまで淡々と。


「死にたくないなら、感情を捨てろ。死にたくないなら、常識を捨てろ。死にたくないなら、容赦を捨てろ。死にたくないなら――同情を捨てろ」

「感情……常識……容赦……同情……」

「ま、軽く考えればいい。たかがコツ。気をつけても死ぬ奴は死ぬ」

「……そうですか」


 なんだったんだ、なんて言いたげな目つきを彼はしていた。

 そうだ。別に思い詰める必要はない。言った通り、気をつけても死ぬ時は死ぬ。

 だが気をつけないと確実に死ぬ。


『みなさん』


 またインカムから声が響く。先ほどとまったくトーンが変わらない、機械的な声。

 皆動き続けながら、殺し続けながら、意識を半分だけそれに向けた。


「来たか……」


 俺は小さく声を漏らした。

 今ここにいるのは大人の鬼だけ。そしてそこに入った通信。それが示すのは一つだけだ。



『来ました。幼鬼(ようき)です』



 あくまで淡々と、機械的な声。だがそこに隠しきれない緊張感が孕まれ、そして皆に伝染する。どこかまだ気の緩みがあった他の奴らも、目つきが変わった。


「幼鬼……?」


 ただ一人、新人だけは首をかしげる。


「呉嶋さん。なんですか? 幼鬼って」

「地獄だよ」

「地獄?」


 あまりに抽象的な返答だと自分でも思う。だがこれ以上適切な表現が見つからない。


 幼鬼とは読んで字のごとく、幼い鬼――ようするに子供の鬼だ。

 これがまた、とてつもなく強い。


 鬼は若い血を好む。それは若い血こそが、ウイルスを働かせるのに適しているからだ。

 なら元からそれを持っている鬼は?

 当然ながら、強大な力を得る。

 身体能力は大人の鬼よりも高く、再生能力も比にならない。


「生き残りたいなら、さっき言ったことを忘れるな。少しでも躊躇してみろ。一瞬にして狩られるぞ」


 ゴクリと新入りの喉が動く。その目に映るのは強い覚悟と、ほんの少しの恐怖。

 なんとも立派なことだ。だが残念ながら俺の見立てではこいつは――


「幼鬼が来たぞ!」


 この戦場で誰かが叫ぶ。

 誰もがそちらを向いた。もちろん新入りも。


「な……な……何ですか……あれ……」


 皆幼鬼に向かって走り出す。

 普通の鬼なら簡単に対処できる。今この場の最大の脅威は幼鬼だ。誰もが一刻も早く排除しようと躍起になる。


「なんだって、幼鬼だが?」

「あれが、幼鬼……!? あんなの、あんなの――」


 彼はワナワナと体を震わせた。我慢できないといったように、喚きだす。


「あんなの――ただの子供じゃないですか!!」


 目の前に広がるのはやはり地獄だ。

 悪そうな大人たちがひたすらに子供たちに剣を突き立てる。その傷はほぼ一瞬で消え、傷など気にもせずに幼鬼は彼らにとびかかる。

 子供と幼鬼の違いが瞳の色や犬歯なんて小さなものだけに、この光景はどちらが悪か分かったものじゃない。

 喰鬼奴隷の奴らを含め、ほとんどの人間は鬼が元人間と知らない。だが幼鬼知っているか否かに関わらずその姿はほとんど人間の子供で。そう考えれば悪はこちらなのだろう。

 だが、あえて言おう。


「俺は言ったはずだぞ。同情を捨てろと」


 事実この場所で生き残れるかは、幼鬼をためらいなく殺せるかで左右する。

 自覚はしている。俺たちは異常だと。だから、無理にこちらに来る必要もない。


 そこに一匹の幼鬼が俺たちにとびかかってくる。

 ただまっすぐに。だがそれはこの場の何よりも速い。

 速い――が、だからこそ安直だ。


 俺は刀を突き出す。幼鬼が来る軌道に沿えるように。速いからこそ、飛び出した後に調整はできない。俺の刀は狙い通りに幼鬼の胸を貫いた。ズシリと刀を持つ手に、軽い、だが確かな重さがのしかかる。


「あぁ! あああ!!!」


 幼鬼は幼い咆哮を放つ。貫かれたまま手足をばたつかせ、届くはずもないのに必死に俺へと手を伸ばす。

 血はほとんど出ない。大人の鬼と違い、傷を負ってから治るまでのラグがほぼゼロに等しいのだ。

 そのまま全力で刀を振り、幼鬼を向こうへ飛ばした。軽い幼鬼は吹っ飛ぶ。向こうにいる俺の仲間に狩られるのも時間の問題だ。

 

「別に嫌ならいい」


 俺はにらみつける。完全に腰を抜かし、戦意を失った常人を。愚かな新入りを。


「だから、勝手に殺されてろ」


 俺は確かに言った。ここは地獄だと。

 完全に委縮した新人に俺は向き直る。


 ――ようこそ、地獄へ。


 そう言おうとしてやめる。

 それはきっと適切じゃない。

 大変異以降、しばらく世界のどこもこんな様子だった。今までこいつはそこから離れた内地にいたのだ。だからあえて言うなら――



「ここが地獄だ。おかえり、新入り」

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