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14話「鬼と殺し屋」



 気がつけば、俺は自分の家にいた。

 思うがままに歩きたどり着いたのは、結局自分の家だった。


「…………」


 莉乃の家から出た時はあれほどまでに荒れていた心も、いつのまにか静まり返っていて。というよりも鎮火したというべきか、それとも疲れ果てたというべきか。なんにしろ、やけにぼーっとした心地だった。

 まだ昼間だというのに締め切っているせいで暗いこの部屋も、この心理状態からかやけに落ち着いて感じる。世界から隔離されたような静寂も容赦なく体に突き刺さってきた。


 そのまま歩く。虚空を見つめながらベッドまで行き、腰を下ろした。


 そこで一息。動きを止めると、思考が動き始める。


「ああ……くそ」


 膝の上で拳を強く握った。拳は震えているくせに、力だけは入らない。やけに沈んだ声も、ここまで静かだとよく自分の耳に入ってくる。その声が情けなくて、またイラついて。さらに体を大きく震わせた。


「もう、なんだっていうんだ……」


 正直――もう限界だった。薄暗い部屋で一人、ベッドに腰掛け俯きつつそんなことを口にする程度には、限界だった。暴れだそうにもそんな気力すらわかない程度には、精神的に参ってしまっていた。


 血に飢えて。久しぶりに鬼域を訪れて。トラウマを刺激されて。莉乃を拾って。飢えが限界にきて。血を飲むのも失敗して。祥吾に正体がバレて。――莉乃に脅されて。


 もう散々だ。だがやけくそに暴れる気力もなく、自殺しようにもそんな勇気がない。そんな何もかも中途半端な自分に嫌気がさして。


「ああもう、なんでこんなことに……」


 なんて。なんとも情けないことを漏らしてしまう。


 辛かった。体こそバケモノの俺だが、八十年前は普通の高校生だったんだ。辛くないわけがない。

 血を飲んで人を殺すのだって好きじゃない。初めてそれをした時も、それから毎日悪夢にうなされて。その悪夢は今でもたまに見る。

 八十年生きているといえど、精神的にはあまり成長していない。そういう生き物なのだ、自我持ちとは。鬼であるが故に、数少ない自我持ちであるが故に、長い時間を生きていようとも自我持ちは孤独であることが多い。かといって周りにあるのは廃墟と自我のない鬼ばかり。そんな環境で成長なんてできるはずもなく、むしろ心は擦り切れていく。

 つまるところ、俺はただの少年なんだ。普通の、そこらにいるような少年なんだ。


「なんで、俺がこんな目に……」


 うなるようにこぼすそのつぶやきに、俺の口は懐かしさを覚えてしまう。

 ああ、そういえば。大変異が起こってすぐの時は、いつもそんなことを考えていたものだった。いつの日かもう鬼であることを受け入れ、人であることをあきらめた時からそんなことは考えなくなったが。

 それまでは呪詛のように、毎晩毎晩口にしていた。


「ハッ」


 口から朝のような乾いた笑みが漏れる。

 これじゃあ後戻りだ。今朝はこれは後戻りじゃない、悪化しただけなんて考えたが。ただ後戻りして、悪化して、本当に最初の最初まで後戻りしただけ。


「ああ、寒い」


 自分の体を抱えるように腕を回した。

 ここまでずっと孤独だった。鬼域では周りにいるのは自我のない鬼ばかりで。喰鬼奴隷にきてもコミュニケーションこそ取れるが俺は鬼であいつらは人だと、どこか孤独感を感じていて。


 そして俺はあの頃のように呟いた。頭を垂らして膝を抱えたまま。毎晩毎晩願ったあのことを。


「……戻りたい」


 狂い出す前に。八十年前に。そして何よりも。




「――――人間に、戻りたい」




 その瞬間、地面に一筋の光が走る。なんだと、俺はゆっくりと顔を上げた。

 扉がほんの少しだけ開いていた。この光はあそこから入り込んだものか。そう考えるのもつかの間、扉はゆっくりと動き出す。かなり古びて金具も錆びついているはずの扉が、少しの音も立てずに。それだけで俺は悲しいかな、それが誰なのかすぐにわかってしまった。


 ある程度開いたところで、ぴょこんとなにかが飛び出した。そいつは眉尻を下げ、髪を揺らしながらこちらに視線を向ける。


「明人さん……大丈夫ですか?」



 黒羽琴奈。



 予想はできていた。つい先ほど彼女を振り切って、その時の俺は自分でも正常じゃなかったとわかる。彼女が追いかけてくるなんて、簡単に想像できた。

 彼女のことが嫌いなわけでもない。この喰鬼奴隷の中でも一番よく話すやつではあるし、演技が含まれてるとはいえコロコロ変わる表情は見ていて飽きがこない。


 けど。

 だけど。

 ――今この時だけは会いたくなかった。


 鍵をかけておけばよかったなんて後悔しかけて、すぐにそれは無駄だと思い返す。彼女の前ではここの鍵なんてあってないようなもの。どうせかけていても開けて入ってくる。


 彼女はそっと俺の部屋へと入っていた。様子を伺うようにゆっくりと近づいてくる。心配を通り越して苦しそうな表情に、どこかがチクリと痛んだ。

 そして何か言うわけでもなく、俺の目の前まで来てそこで止まった。そっと俺へと手が伸ばされる。だがしかし、俺に触れる寸前でためらうようにそれは止まり、そっと戻された。


「明人さん、本当に大丈夫なんですか……?」

「さっきも言ったろ。調子が悪いんだよ。だからまあ、大丈夫ではないな」

「そう言うことじゃないです。おかしいですよ、最近の明人さん」


 予想とは少し離れたことを言われ、思わず顔を上げた。俺に突き刺さる視線はただの憂慮だげじゃない。探るような視線が俺の内側までを覗いているようで、逃げるように視線を逸らす。


「なんだか最近の明人さんを見ていると苦しいんです。明人さん、まるで消えてしまいそうだから」

「消える?」

「はい……なんだか苦しんで、そのまま消えてしまいそうです」

「…………」


 つい体が跳ねそうになるのを寸前で抑え込んだ。ここでそんなことをすれば自白しているようなものだ。

 だが正直ごまかせている気がしなかった。彼女は元とはいえ殺し屋で暗殺者だ。しかも仕事の失敗はない凄腕の。だからか、人の感情を読むのが抜群にうまい。

 そんな彼女にこんなとっさの誤魔化しが効くのか。

 残念なことに表情を歪めた琴奈を見る限り、答えはいいえのようだが。


「図星、ですか。明人さん、自分だけで抱え込まなくてもいいんですよ……?」

「……そんなつもりはないが」

「……っ」


 琴奈は悲痛に顔を歪める。先ほどとはどこか違っていた。どこか泣き出しそうで。俺は胸にチクリとした感覚を覚えながら、首をかしげる。琴奈は口を開いては乾いた息だけが漏れ、また閉じて。それを何度か繰り返していた。 そして最終的には漏れだしたような声で言う。


「……共有、させてください。共有したいんです。わかりますから。明人さんがきっと感じている痛みも、苦しみも。私もわかりますから」

「わかる……?」


 ついそう口にした。それは先ほどと同じように漏れ出したような声で、細かく震えていた。だが意味合いは一八〇度違う。それは怒り、反発。まっすぐ琴奈を睨みつけ、うつむき気味だった体を起こす。

 彼女は俺を励まそうとしているとわかっていた。彼女は元殺し屋ではあるが、一年彼女といて彼女は優しいとわかっている。今の言葉もきっと俺を案じてのことで、俺が怒りを感じるのは彼女に失礼だ。そんなことはわかっている。

 だがそんな理性を簡単に追い越してしまうほど、胸の炎は激しかった。普段ならここまでにはならない。今だから、精神的に参ってしまっている今だからこそ、俺はここまで憤ってしまっていた。


「わかるだなんて、ふざけるなよ……!」


 漏れるだけの声も、だんだんと勢いを増していく。悲しそうにこちらを見つめる琴奈を俺は視界に入れながらも、意識は彼女を捉えようとしない。


「俺はお前らとは違う……! 進んでここにいるわけじゃない……!」


 俺は金を稼ぐためにここにいるということになっている。犯罪者だからということではない。そのことを言っていると彼女は思うだろう。

 だが本当は違う。俺がここにいるのはそれ以外に選択肢がなかったから。莉乃に捨てられ鬼側に居場所をなくし。人側で人として住んでいたが俺からなにか異常さを感じたのか居心地が悪くなり。そしてしかたなしにやってきたのがここなだけ。人側でありながら異常さが許容され、むしろそれが歓迎されるここがちょうどよかっただけ。決してこんなところに好きでいるわけじゃないし、好きでこんなことをしているわけじゃない。


 そんなこと、口にするわけにはいかないけど。


 だがしかし、激しい感情で俺の理性はかなり弱まっているらしい。俺の口は止まらなかった。

そしてついに、俺は口にしてしまう。




「一緒にするな! 犯罪者の――殺人鬼のお前らと一緒にするな!!!」




 異常に静かなここで、それはよく響いた。無機質な壁に反響して、何度も琴奈に、そして俺に言い聞かせているようだった。

 琴奈の表情が、さらにわかりやすく歪んだ。


 彼女は表情を作っていることが多い。俺に見破れることは少ないが、きっとさっきもそうだ。感情はその通りだろうが、あえて顔に出して俺を説得しようとしていた。顔を作るときは、言ってしまえばその程度なのだ。表情を作ることができる程度には余裕があるということ。


 だが今の彼女は違う。これは俺もはっきり分かった。今の彼女は完全に素で。表情をコントロールできない程度にはショックを受けているということ。


 そんな彼女を見て俺は素に帰った。


 俺は何を言った……?

 彼女に何を言ってしまった……?


 足元から湧き上がる罪悪感は、蛇のように全身を締め付ける。

 事実俺と彼女らは違う。俺は犯罪者ではなく、もう人を殺しさえはしたものの、そのたびに心を痛め、苦しい程度には正常で。だがそれはきっと口にしてはいけないことだった。


「す、すまん……。こんなこと言うつもりじゃ……!」


 逃げるように後ずさりをした。だが俺はベッドに腰かけているだけだから程度が知れていて、特に距離は広がらない。

 彼女の泣きそうな顔がなによりも恐ろしく感じて、俺はただただおびえるような目で彼女を見つめていた。


 烈火のごとく怒りをぶつけられるか。泣きながら出て行かれるか。冷めた目で見られるか。それとも――殺されるか。

 そのどれかにしろ俺は味わいたくなかった。きっとそれはどれも苦しいから。だから俺は彼女から目を離せない。


 しかし、彼女のとった行動はそのどれとも違っていた。彼女は怒ることもなく、微笑んだのだ。

 それはまるで母親が子供に向けるような慈しみのある笑みで。俺は思わず「は……?」と漏らしてしまった。


「わかりますよ。私も、やっぱり明人さんと同じですから。私だって、好きでこうなったわけじゃないですから」


 どういうことだと。俺の心は問いかけるが口から出ることはなく。しかし彼女はそれをわかっているかのように続けた。


「私は孤児でした」


 遠い目をしながら、彼女は言葉を紡ぐ。


「両親のことは知りません。最初の記憶からずっと私は孤児院にいました。決して裕福な孤児院とはいえませんでしたけど。それでも私は十分でした。ほかの孤児の面倒を見ながら、『お姉ちゃん』だなんて慕われて。両親がいない代わりに先生たちが親代わりで。施設もボロボロでしたけど、私は幸せでした」


 うっすらと笑みが浮かんでいた。それを見て俺はなるほどと思った。結局それが理由なのだ。莉乃の保護に異常なほど熱心になっていたことも。莉乃にかなり絡んでいることも。そして、幼鬼を殺せないことも。

 ―彼女の中では幼い子供は庇護対象なのだ。だからなんとしても守りたいし、殺したくない。


 改めて彼女を見る。今まで俺が見た彼女の笑みのどれとも違う、不思議な笑み。



「ですが施設にとある男がやってきて、全てが終わりました」


 だがそれも消えた。ついで浮かべた表情は、無。氷のような冷たさに、ぞっとする。


「そいつらはいってしまえば裏の人間でした。要件は単純。子供をよこせ、ただそれだけでした。そして先生たちは……私を引き渡しました」


 そこで琴奈は一度区切り、俺の方を見た。それはあまりにもまっすぐで、俺の意識まで吸い込まれそうな気がした。


「なんていっても所詮はよくある話ですよ。今の時代そんなこと珍しくもありません。でもその連れていかれた子供のほとんどはすぐ殺されるみたいですけどね。私の利用価値を彼らに示せたのは幸運でした」


 何ともないような顔で彼女はそう言う。だが俺は複雑な気持ちで彼女を見つめていた。

 それは本当に幸運といえるのか。どっちかというと不幸ではないのか。それともそれを不幸と思えないほどに彼女の人生は壮絶なのか。

 いつもと違い感情を読めない大きな瞳は何も映さない。


喰鬼奴隷(ここ)の人たちみんなそう。物覚えある時からそういう環境にいる人もいる。しかたなくそういうことをした人もいる。なんなら胸糞悪いような理由で冤罪になってここに送り込まれた人だっている。本心から、心の底から悪人なら、ここに送るよりも殺しちゃったほうが良策です」


 そうですよね? と、彼女は俺に問いかける。

 確かにそうだった。ここにはそれこそ常人よりどこか曲がったようなやつらばかりだ。だが完全な悪人はいない。本当のゲス野郎はいない。だからこそ仲間意識が生まれてしまう。


 俺はこいつらとは違うと思っていた。人間と鬼の違いももちろんある。だがそれを除いても元犯罪者と俺は根本的に違うと、そう思っていた。こころのどこかで俺はお前たちよりも上と、どこかで見下していた。

 だが違った。彼らは俺と同じだった。

 思った以上に俺はショックを受けているらしい。意識が頭の上に浮かんだような、そんな感覚。霧がかかったような意識の中、琴奈が腕を伸ばした。そしてそれはまっすぐ俺の後ろへと伸び。


「――あ」


 俺は彼女に引き寄せられた。

 彼女に抱きしめられていると自覚したのは、鬼の五感が額に彼女の体温と鼓動を感じた時だった。

 普段ならきっと拒絶していた。だがなぜだろうか。彼女を押しのけようと、みじんも思わない。ただただ冷たい俺に染みこんでくるような温かさに浸って、すがっているだけだった。


「だからさ、わかるんです。私はもう通り過ぎちゃいましたけど、はっきり覚えてます」


 俺の頭を抱え込むような体制のまま、彼女はポンポンと俺の頭を軽くたたいた。


「つらいですよね。苦しいですよね。死にたくなりますよね。私には――私たちにはそれを消すことはできません。でも――」


 そして彼女は俺の頭を抱える腕に力を込めた。

柔らかい感触が、心地いい香りが強くなる。不思議と安心感を覚えそうだった。


「――和らげることならできます。和らげてあげたいんです」


「――っ!」


 それは今まで聞いた何よりも優しくて。慈愛に溢れていて。俺を外側から優しく包んでくれるような、そんな声だった。


「お前……どうして、そこまて……」


 気づけば俺は、そんなことを口にしていた。


「どうして、ですか……」


 琴奈はそういって、ついでクスリと笑う声が耳をくすぐる。


「当たり前ですよ。いつも言ってるじゃないですか。私たちは家族じゃないですか。血は繋がってませんけど、家族じゃないですか。仲間じゃないですか。だから助けるのも、助けたいと思うのも、あたりまえですよ」


 あたりまえ。家族なんだから助けるのは、あたりまえ。


 俺は以前家族に捨てられた。だから俺にとってそれはあたりまえじゃなくて。

 だが琴奈があまりにも当然のように言うせいで、こちらが間違っているような気がしてくる。


「そう、か……」


 だから俺はそう漏らした。

 体の力が抜けて、不覚ながらも琴奈の体に身を任せる。彼女はそれでもあたりまえのように受け入れてくれる。


 別に認めたわけじゃない。納得したわけじゃない。


 所詮俺は鬼で、こいつらは人間で。交わることも、手を取ることもありえない。


 なぜかそのことがこんなにも胸を締め付けてくるけれど。


 でもこの温かみは心地よくて。心の底から安心できて。


 目の奥が熱くなった気がした。鼻がツンとした。


 なんなのだろうか、この気持ちは。わからず困惑するが、嫌ではない。


 だから今だけは。今だけはこのまま――


 だがその時。背中にあった感触が消えた。


「……琴奈」


 それは完全に無意識。


「……え?」


 ぽそりと琴奈の声が漏れる。

 俺だって驚いていた。無意識にしろ、俺までも手を回す(・・・・・・・・)だなんて。

 グッとこちらに引き寄せた彼女の体は、驚くほど細かった。俺の頭は彼女の胸のあたりから顔の横まで移動して。サラサラな髪が俺の横顔をくすぐる。


「……すまん。今だけ。今だけだ。今だけ……このまま……」


 このまま、俺は何を求めているのか。自分でもわからず、そこで言葉は止まる。だが琴奈はそれを受け入れた。再び俺の背に彼女の手の感触がする。クスリと笑ったかと思えば。


「……はい」


 なんて。そう言った。


 なんてみっともない姿だろうか。女の子に見せるような姿じゃない。こんなの俺じゃない。俺らしくない。


 しかし恥ずかしいはずのこの状況で、なぜかそれすらも心地よくて。


「――ああ、失敗だ」


 小さく小さく、そう呟いた。





 日はもう沈んでいた。一人の少女は、鬼域に足を踏み入れる。


 喰鬼奴隷の場所から鬼域までの距離は数時間で埋めれるほど短くはない。だがそれすら一時間程度で移動できる自我持ちの幼鬼は、それこそ規格外だった。


「ふぅ」


 自我持ち――白谷莉乃はそっと息を吐いた。それは夜の蒼い空気に溶け込んでいく。

 彼女の視線の先。暗闇ゆえにただの地面のように見えるそれは、よくよく見てみればゴソゴソうごめいていた。そして絶え間なく空気を撫でる、うめき声。


 つまりは鬼の大群。何百という、死。


 莉乃は少し高いところまで登り、それを見下ろした。逆に鬼たちは彼女を見上げた。彼らの目に映るものは、それぞれ違う

 莉乃の目には冷徹。鬼の目には恐怖。

 力あるものが尊敬される喰鬼奴隷とは違う。力あるものは 恐れられる鬼の社会独特のもの。


 それを莉乃はありありと受け止めながら、告げる。


「さあみんな、準備はいい? ――なんて、答えるわけないか」


 まさに独り言。事実鬼たちは彼女の言葉に少しも揺れることなく、ただ言語ですらない音を、牙の目立つ口から垂れ流す。


「でも別にいいよ。言うことさえ聞いてくれれば」


 そう言いつつ彼女は鬼に背を向ける。そしてその冷たい瞳が向く先に――喰鬼奴隷。


「今から喰鬼奴隷を潰す。人間は悪いやつ。悪なんだ。だからわかってるよね? 人間は――皆殺し」


 それに意思があるのか否か。とにかく鬼どもも一斉に視線が喰鬼奴隷に向かった。


「これは戦争じゃない。私たち鬼による、一方的な殺戮。さあ行こう。私たちが最強だよ」


 途端、合図したわけでもないのに湧き上がる叫び声。狂気に染められた鬼を月明かりが照らす。

 鬼を喰鬼奴隷に向かわせる目的は達成したにもかかわらず、莉乃の表情は硬い。

 眉をひそめながら一言。


「お兄ちゃん、もうどうなっても知らないからね」


 誰に向けられたのか。それは鬼の叫び声にかき消されてしまった。


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