表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
9/12

09 耳で熱い

 散々に、がみがみと(むぎ)内侍(ないし)様から御小言を頂いた。その激しさに、桐壺の他の女官女房達は恐れを成したのか、誰も近寄って来ない。チラリと視線を走らせると、襖の陰から心配そうな顔の萩内侍の顔が見えた。


 うん、いいの、助けに来られないのは分かってるわ。逆だったら、私も見守るだけになると思うから。


「はあ、まったく、あなたという人は何をしでかすか想像もつかないわね。文遣いの御役目で、なぜ陰陽師の方のお世話になってしまうのか。更には引き籠られていた若宮様をお連れしてしまうし……。よく、あの左大臣家の北の方様(奥様)が、若宮様を手放されたこと。東宮様に逆らってまで、左大臣家から出そうとしなかったのに」

「それは、陰陽師の方と頼隆様のおかげで、憑りついていた蛇を祓う事ができたからですわ。それで、お元気になられた若宮様ご自身が、参内すると言う気力を持たれたからで、私のせいではなく……」


 ぼそぼそと小声で言い訳してみる。はあ~、と麦内侍様はため息をつかれた。


「その訳の分からぬ騒ぎを引き起こした件については、目をつぶる事にします。東宮様が若宮様に会えると、とてもお悦びなので。参内の連絡を受けた東宮様より、感謝のお言葉がこの桐壺に届いています。……でも、騒ぎを起こすのは、これを最後にして下さいね! あなたは後宮女官、内侍なのですよ! 僧や陰陽師のように、妖怪祓いがお仕事ではありません」

「はい、後宮女官のお仕事を頑張ります!」


 耳が痛くなるお言葉に、深々礼をして、頭痛に悩む麦内侍様を見送りする。やっと春雷から解放されたわ!

 でも、亀も蛇も若宮様の事も、全部私のせいじゃないのに、お小言なんて何か納得いかないわ。ちょっとむくれちゃう!

 

「小桃内侍! あれくらいのお説教で済んで良かったわね!」

「あれくらい、なんて言わないで。結構、きつかったわ」


 げんなりと麦内侍様が部屋を出て行くのを見送るや、その間合いを見計らって、襖の陰から見守っていただけの萩内侍がやって来た。重い袿を引き摺ってよっこいしょと腰をおろすと、騒ぎの顛末を聞きたいらしく興味で目をキラキラさせているわ。


「でも、桐壺は大変だったのよ! あなたの牛車が襲われたって話が入って。(いね)典侍(ないしのすけ)様や麦内侍様が、それは心配されて、早く警護の武官を!とか、妖なら陰陽師の方を!と騒いで……。稲典侍様なんて、あなたを助けてほしいと、東宮様の梨壺へお願いに行かれたの」

「……そうだったの。そんなに心配させてしまったなんて……」


 そんなにもご心配頂けたなんて、と思うと申し訳なさに胸が苦しくなる。叔父様一家以外の方に、これだけ大事に思われていたなんて、私って幸せ者だわ。麦内侍様のあの怒りようも、私の身を深く案じての結果なら、恨みも消えるわ。軽率だった私の振る舞いを反省すべきね!

 

「で、何が起きたの? 妖怪話は、麦内侍様への言い訳で聞いていたからいいの。聞きたいのは、なぜ出かけた時とは違う、真新しい衣装を纏っているのかと、その三つのお文よ! どこでお文をもらうような殿方と知り合ったの?」


 ねえ、萩内侍、何を期待しているのか分からないけど、まあ、頬を薄紅く染めて、目がキラキラよ。

 で、でも、良く考えてみると、確かに殿方から衣装やお文(しかも三つ)を頂くなんて、女としては自慢に思っても良い事柄よね。恋文だったりして、キャッ! ちょっとワクワク、ドキドキしてきたかも。恥ずかしさに耳まで熱くなってしまうわ!


「え~、実は出先で衣装を汚してしまったら、頼隆様が新しい衣装を贈って下さって……。私のために前から用意して下さっていたんですって、うふふ」

「いいなぁ、衣装なんて高価な物! それで、そのお文は? 山吹に、なずな、あの例の木瓜(ぼけ)の花ね。どなたから?」

「どれどれ……」


 物語に出て来るような後宮女官っぽい艶めいた出来事に、萩内侍まで自分がお文をもらったみたいに紅くなっている。一気に華やかな乙女心の花が咲き乱れるわね。どきどきしながら、結わえられていたお文を開く。

 

 まずは、豪華な咲き零れるかのような黄色い山吹の花のお文。『この花に心惹かれて……』とか何とか書かれているわ、素敵!

 とりあえずあなたが気になります、ぐらいかしら? 良く見ると、これ、あの陰陽師の行正(ゆきまさ)様からだわ。嬉しいけれど、花の華やかさが、あのおしゃべりを連想させるわね。う~ん、どうしよう。


 こちらは、なずなの花のお文ね。白くて小さな花が、素朴で可愛らしい感じ。『撫でたいほどかわいい菜』だって。『なづな』のそのままの意味。まるで幼い女童(めのわらわ)を愛でるみたい。

 まあ、これ、鷹中将様からだわ! 可愛いと褒めつつも、本気の恋ではないとはっきり伝えているあたり、なかなかね。まずは挨拶とお礼のお文って感じかしら?


 そして、例の木瓜(ぼけ)のお文。梅の様な花の形に、桃色の花びら。前回は、お文も付いていなかったから、贈り主が分からなかったのよね。これで分かるかしら?

 どれどれ……、って、これお文じゃないわ! 厄除けのお札を結んできたのよ!

 か~! 妖怪騒ぎを起こしたから、これなの!? 期待させて、何なの? 一応、有名所のお札で思い遣りを感じるけど、綺麗な花に結んで贈る物じゃないわ! 謝って! きれいなこの木瓜の花に謝って! ものすごいガッカリ感よ、この木瓜の君は!


 結局、贈り主は分からない。でも、絶対に蛍帥宮様の様な有名貴公子からではないと判明したわね! なまじこういったお札に縁のある陰陽師の行正様からは別のお文を頂いているから、こんな厄払いのお札なんて誰が贈ったのか余計に分からない!


 私が頭を抱えて、うぐぐとお文を睨んでいると、複雑な乙女心に同情してくれた萩内侍が頭を撫でて慰めてくれた。


「あなたは、心惹かれるほど撫でたいほど可愛いわよ。護ってあげたくなる男心も分かる気がするわ……」

「……下手な慰め、ありがとう。でも、もっと普通のお文も貰いたいな、っていうのは贅沢かしら?」


 萩内侍のさっきまでのキラキラした目が、呆れた眼差しに代わっていた。


「う~ん、そうね、贅沢かも。頼隆様に衣装までもらっているんだから、その他の公達にまで、大きな期待をするもんじゃないわ。私だってそんなお文、貰ったこと無いもの」

「でも、いつの間にかお文は貰ってたんだ……」


 サッと気まずそうに、萩内侍は視線を逸らす。一体、いつどこの誰からもらっていたのかしら? ちゃっかりと、油断ならないわね、この子。


 二人そろって、物語の様な心ときめく恋文の遣り取りなんて夢よね、なんてガックリ気落ちしながら、渡殿(わたとの)を渡って自室のある桐壺北舎へ移動する。一緒に夢を見たかったのに残念だわ、って語ったわ。もう、仕事も終わったし、夕暮れになるから局に戻って休みたいの。

 日が落ちてしまうと、あちらこちらの簀子(すのこ)の天井から火を入れられた燈籠が吊るされても後宮は暗いし、部屋の(つぼね)の灯りも燭台(しょくだい)だけになって、やっぱり薄暗くなってしまうもの。やれる事もそうそう無い。


「あ、小桃内侍、いた~! ねえねえ、おじい様(帝)に亀太のお許しを頂けたよ! 一緒にいて良いって!」

「ぼえ~!」

「亀!? 大きい!」


 トトトと、私達を追いかけるように簀子(すのこ)を走って来たのは、亀太を従えた若宮様。亀太の大きさに驚きの声を上げた萩内侍を全く気にされていない。まだ七歳だから、多少の無礼は許されるお年頃。他の御殿へ不意の訪問をした、やんちゃな少年に思わず微笑んでしまう。だって、こうしてお元気な御姿は、とても可愛らしいんだもの。東宮様が会いたがられるお気持ちも分かるわ。


 バフッと私の(うちき)に元気に飛びついて来たので、思わずよろめいてしまった。亀太の許可を得られたのが、嬉しくて堪らないみたいね。亀太も嬉しそうにウンウンと頷いているわ。

 

「ひょっとして、これがさっき話に出た亀? 若宮様をお助けした?」

「そうだよ。僕の家来になったんだ! あのね、小桃内侍、私はお父上のお手紙を持ってきたんだよ、読んで」


 ひえ~、若宮様のお父上って、東宮様じゃないの! おそるおそる小さな手から文を受け取り、そっと開く。覗きたそうに萩内侍がソワソワしているけれど、畏れ多すぎて「見て良いわよ」とはとても言えない。

 お文は女房の代筆で、若宮様から蛇を祓った事に対するお礼の言葉が書かれていた。あとで褒美の品を下賜して下さるそう。光栄ではあるけれど、ただただ畏れ入るばかりだわ。

 

「お礼のお文だったわ。女房の代筆よ。男文字だと、あらぬ噂が立つかもと気を遣われたみたい」

「そ、そう。良かったわね、小桃内侍。お叱りかと心配しちゃったわ」

「父上は怒ってないよ。私がお文を届けると言ったら、自分でもお礼を言いなさいって言われた。本当にありがとう、小桃内侍」

「畏れ入ります」


 キュッと私の(うちき)の端を握って、ニッコリ微笑まれる若宮様に、心が和まされるわ。失敗続きだったから、またお叱りかと怯えてしまっていたのよ。


「お文をお届け頂き、ありがとうございます、若宮様。では、お母上の承香殿(じょうこうでん)までお送りいたします。どうぞこちらへ……」

 

 花やお文を萩内侍に預けて、私は若宮様の温かく可愛いお手と手を繋いだ。二人でにっこりと笑みを交わして、北の桐壺から南の承香殿(じょうこうでん)へと進む。日が落ち切る前に送り届けなければ! 暗くなった後宮は不気味で、お子様の出歩く所ではないもの。


 後宮の東側の通りの簀子をズリズリ、トテトテと歩いていると、南東角の麗景殿(れいけいでん)を過ぎた辺り、夕暮れの庭に人影が見えた。

 (きざはし)の上段に腰掛ける、背の高い直衣(のうし)姿の公達。後宮でこの気楽な装束を許されているのは、とても高位の公達や宮様方くらい。あの背が高くスラリと細く雅やかな雰囲気は、もしや……?

 

「あ、叔父宮様だ。こんな暗いお庭で何していらっしゃるのかな?」


 やっぱり蛍帥宮(ほたるそちみや)様だわ! 藤壺の御殿で一度しかお会いしていないけれど、眩しいほどの麗しき貴公子だもの、忘れるはずがないわ。この若宮様にとっては、お父上(東宮様)の同腹の弟君で叔父にあたられる。親しい仲なのね。

 

 短い夕暮れの日が差す(きざはし)に腰掛けるお姿もとても雅やかで素敵。でもお一人じゃない。扇で顔を隠しながら、美しい唐衣裳(からぎぬも)姿の女官か女房と見つめ合っては、親し気に言葉を交わしていらっしゃるみたい。

 ひょっとして、こ、これはまずい時に居合わせてしまったかも! ましてやお子様が見るような場面では無いわね!


「若宮様、叔父様の御用をお邪魔してはなりません。さあ……」

「ぼ、ぼえ!」


 ぐいっと若宮様の手を引いてその場から立ち去ろうとしたら、若宮様の家来として、私達の後ろを付き従って来ていた亀太が鋭く鳴く。まるで犬が怪しい者を誰何するかのように。


「ぼえ~!!」


 止めて~! 人の恋路を邪魔する者は、馬に蹴られてしまうのよ、亀太~! 蛍帥宮様が口説いているところを邪魔しないで!


「誰だ!」


 不吉な亀の鳴き声が庭に響いてしまうや、顔を互いに寄せ合ってヒソヒソ話していたお二人が、驚きにバッと身を離してしまわれた。これは馬に蹴られても仕方がない状況!?

 

「ぼえ~!! ぼえ、ぼえ!!」


 でも、馬じゃない、もっと危険! 警戒心と怯えから亀太が激しく吠える。もちろん私の袿裾に隠れながらよ。つまりそれだけ恐ろしい者を見たって事! 麗しの蛍帥宮様の方に危険が迫っているのよ! どこかで同じような状況を体験したような気がするのは、気のせいじゃないわよね。


「ぼえー!!」

「ねえ、小桃内侍! あれは何? あの女房の!」


 お行儀悪くも、小さな指が見慣れない物を指しているわ。人を指で指してはいけません! それに、何?と私に問われても!?


「耳ですわ! 耳が頭にあるのですわ、若宮様!」


 いえ、耳って、普通に頭にあって良い物よ。皆持っているわ。でも、それが普通じゃないのよ! 美しい扇で顔は隠しているけれど、女の艶やかな黒髪の頭の上に、にょっきりと三角形の獣の耳が生えているのよ!

 ほら! 今、ピコピコって動いたわ! 若宮様も、ご覧になられたわよね!

※注 作者は和歌を詠めません。ご容赦願います。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ