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06 目で通じ合う

 ようやくゴトゴト進んでいた牛車が、左大臣家に到着!


 でも再出発時、大亀騒ぎに怯えた牛が、文句を言うかのようにブモブモ鳴いてなかなか動き出さなかったから、どうしようかと心配だった。けれども、あら不思議? 頼隆様があの低く静かなお声で「牛」と一言呟かれただけで、牛がビクッ!となって鳴き止んでしまったの。ついでに、側にいたあの勇敢な泣き虫の牛飼い童まで、何故かビクッと身を震わせて一瞬固まってしまったけれど。

 ねえ、なぜ皆、蒼い顔して頼隆様から視線を逸らせたの? 牛車の中からはよく見えなかったわ。

 でも、それで牛車は普段通りにゴトゴト動き出せたの。頼隆様のおかげか、左大臣家からのお迎えが来て、随行する従者も増えて安心よ。ねえ、亀さん、あなたもそう思うわよね?


 さすが天下人の住まう左大臣家。御門も立派だしお邸も広く大きく上品で素晴らしいわね。叔父様も割と裕福な受領なので頑張ってはいると思うけれど、やはり違うわ。お邸を囲む白塗りされた土塀も立派な気がするし、牛車の小窓から見えた限りでも左右がずうっと先まで続いていて、お庭もとても広い事を実感する。天下の左大臣家と叔父様の邸を比べる自体が間違いよ。門内で出迎えてくれた家人達や従者達も多く、それとなく良い着物を身に纏っていて、決してボロ着ではないわ。裕福って、ここまで行き渡るのね。


「ぼ、ぼえ~!」


 牛が牛車から外され私が腰を上げて降りようとしたのに気付いたのか、亀が寂し気に鳴き出してしまった。いやでも、そう何か訴えるかのように鳴かれても、上位貴族の左大臣邸に亀を連れて入る訳にはいかないでしょう? 私はあくまでも東宮様の御遣いの御役目で訪問したのだし。亀連れはないでしょう?


「ぼえぼえ~!ぼぼぼ、ぼえ~!」

「ごめんなさい。何を言いたいのか、さっぱり分からないわ。可哀想だけれど、ここで待っていて(いいのかしら、それで?)」


 あまりにも亀が首を激しく左右に振って嫌がる(たぶん?)ので、まるで、川に一匹置き去りにするかのような強い罪悪感が……。あれ? それは亀にとって良い事の様な気もする? いえ、問題が違うわ、どうしましょう?


「内侍様、亀が騒いでいるようですね。あの、お許し頂けるのなら、僕が亀をお世話しましょうか?」


 困っていたら、外から『良い子の牛飼い童』が助け舟を出してくれた。まあ、頼隆様の次に頼りになるかも?


「(怖くて泣いたくせに)いいの? これ、あの大きかった亀よ?」

「もう怖くありません。なんか、寂し気に鳴いている声が可哀想で……。それに、この亀、ひょっとしたらどこかの沼の主かもしれないって、大人の人が言っていました。だとしたら、粗略に扱ってはいけないと思うんです。祟られそうです。でも、心を籠めてお世話した僕だけは助けてくれるかも……」


 ちょっと! 最後は自己中心な願望が漏れてたわよ! でも、確かに普通じゃない亀だもの、それなりにお世話した方が良いわよね。少年もしてくれると言ってくれたのだし……。ならばと、ありがたくこの妖しい亀を少年に託してしまったわ。


「今から、あなたは牛飼い童ではなく、亀飼い童に任命しましょう! しっかりと、お願いね!」

「はい、お任せ下さい」


 少年に重い亀を抱いて差し出す。亀はちょっと手足をジタバタしたけれど、牛車の中に残される訳ではないと分かったみたいで、鳴き止んではくれた。良かった、他所様のお邸で騒ぎにならなくて。


 邸内から左大臣家の女房が簀子(すのこ)の軒先まで出て来ている。上等な仕立ての表着(うわぎ)(うちき)を纏っていることから、御遣いを出迎えするお役目の上位女房ね。

 急いで行かねば! けど、まずいわ! 私、亀のひっくり返し騒ぎで汚れまくっているではないの! こんな失礼な姿では、東宮様の御子の親王様にお会いする訳にはいかないわ! どうしよう!

 牛車の前から降りてから気付いた私。牛車を寄せた邸の入り口で、扇で顔を隠しつつも、オロオロしてよろめいてしまう。


小桃(こもも)内侍(ないし)……」


 耳元に囁くような男らしい透き通る低い声が、私の胸をドンッと撃った!

 名前を呼ばれただけなのに! 叔父以外の殿方に慣れない私に、その衝撃は強烈で。頭やら顔やらが何故かカーっと熱くなってしまったわ!

 胸をドキドキさせている私の体を支える様に、そっと頼隆様が横から手を差し伸べる。少し硬さのある大きな温かい手が、扇を持っていない方の手をギュッと包んだ。助けの手に縋って、フラフラと雲の上を歩いているかのような私を支えて先導してくれる。


 まあ、二人の初めての触れ合いよ! やだ、恥ずかしい! こんな、人前なのに!


 畏れ多くも東宮様の御遣いとして、高位女官らしく厳格なきりりとした顔をしなければならないのに! 私、あなたのせいで、恋に恥じらう乙女の紅い顔になってしまったではありませんか!

 でも、頼隆様の方は反対にやや険しいお顔をされて? 何故? 二人の触れ合いに、ときめいているのは私だけなの?


「お気をしっかり、小桃内侍。あなたは東宮様の御遣いだ。なのに何故先程の様な危険な目に遭われているのか……」


 今度は厳しい眼差しが私を射貫く。


「あ、あの? 頼隆様?」

「だから、私は出仕には反対なんだ。危険すら分からない、世間知らずの娘が世に出るなど……。こんな細い小さなお手で、見知らぬ男と対峙して!」


 無理矢理抑え込もうとしている怒りが感じられるけれど、その怒りの矛先は私ではなく、ご自分を責めているみたい。だから恐ろしくは無いわ。

 でも、女人が働く事を嫌がるなんて間違っているわ! 後宮では、稲典侍(いねのないしのすけ)様みたいにたくさんの女官が立派にお勤めしているのだもの! 母上だって、帝にも働きを認められた内侍だったのよ! 娘の私がその姿を目指して何が悪いの?

 ときめきから一転してカチンとくる。だから負けずに、扇の陰から睨み返してやったわ!


「私は女官としての仕事に誇りをもっております。非難される覚えはございません!」

「非難ではない! ただ私は……」

「はいはい、頼隆、心配は分かりますが、そこまで! 左大臣邸での痴話喧嘩はみっともないですよ。内侍様も落ち着いて下さい。弟は、ただあなた様を心配しているだけなのですよ」


 私を出迎えた女房が間に入って、頼隆様から庇ってくれた。姉君らしいけど、なぜかニヤニヤ笑い。その揶揄うような視線を受けて、私達二人共黙ってしまう。でも、確かに他人の邸で喧嘩は恥ずかしいわよね。止めてくれて良かったわ。


「……この女房は私の姉だ。事情は伝えてある」

「頼隆の姉の二葉(ふたば)です。どうぞ、こちらへ。お仕度をお手伝い致します」


 姉君に諫められた頼隆様は私からスッと身を引かれ、恥じるように手で口元を覆いつつ視線を逸らせた。手から温もりも失せて、ちょっと寂しい気が。


「小桃内侍様、あのような武骨な弟に見とれるお気持ちはサッパリ分かりませんが、大事な物をお忘れでは?」

「え?」


 二葉の君が袿袖(うちきそで)で私の後ろを指し示す。忘れ物って、何が? と見てみれば、身分が低くて声を上げる訳にもいかなかったらしく、先程の亀飼い童が口をパクパクしている。その少年の手は、大事な大事な東宮様からの文箱と女御様からのお文を捧げ出してくれている。

 しまったわ、肝心な畏れ多い物を忘れているなんて! 


「はいはい、では小桃内侍の代わりに私が受け取りましょう。では、参りましょうか。」


 さすが天下の左大臣家に仕える女房らしく、手際よく私を邸内へと先導してくれる。でも、奥へと進む前、私も頼隆様も同時にチラリと振り返ってしまって、一瞬だけ視線を交わしたの。互いに何と言って別れるか迷って、結局何も言えずになってしまった。


 案内された(つぼね)は、二葉の君のお部屋みたいで客人用ではないわね。でも女官の真新しい衣装一式、しかも袴までが入った箱が用意されているわ、驚き! これ、一体どうされたの?


 何も言わずに、テキパキと二葉の君が土汚れしてしまった私の衣装を脱がせて、その真新しい衣装を手慣れた素早さで着つけてくれる。後宮でも恥をかかないくらいの、叔父上が用意して下さったものより上等な、素晴らしい織りの衣装よ! 誰かからの借り物では無いわ!


「二葉の君、このご衣裳は一体どなたが? このような新しい物をお借りするのは、気が引けますわ」

「お貸しするのではありません。実は、これ、弟が密かにあなた様のためにご用意していた物ですの。後宮の桃の宴でお召し頂けたら良いなと言って……」

「え? 先程、あれほど私の出仕を嫌がっておられたのに?」

「不器用なのです、弟は。……牛車の牛が暴れて大変だったんですって? ちょうど出来上がっていて良かったわ」


 二葉の君はそう言って微笑んでくれた。弟君の贈り物が早速役に立ったのが、嬉しいみたい。

 頼隆様と喧嘩してしまった私だけれど、再び胸の奥に温もりが湧いて、花が咲いたかのような気がするの。だって、頼隆様は私の出仕を口で言うほど嫌がってはいなかったのよ。あのギュッと握られた手の意味も、今は違うように思える。ただ本当に、私を心配して下さっただけなのだわ。


 女って、新しい衣装でこんなにも晴れやかな気持ちを持てるのね。いえ、違うわ、この衣装から頼隆様の優しい気持ちが感じられるからよ。頼隆様の真新しい衣装に身を包み、るんるん気分で私は思わず扇の陰で笑みを零しながら内廊下の孫廂(まごひさし)を進んだ。


 明るく舞い上がった気持ちの私とは反対に、二葉の君の先導で案内された親王様のお部屋のある棟は、妙に暗い雰囲気だった。不吉にも病平癒を祈る祈祷の声が聞こえてきたの。きっとこの棟のどこかの局で唱えているのよ。数人が揃えて唱える声が低く響いて、この御簾(みす)内が少年のお部屋とは思えないほど不気味だわ。


 変ね、若宮様は御歳七歳の元気なやんちゃ盛りで、特にご病気とは聞いていないのに。もし、病である事を隠されていたのなら、お父上の東宮様やお母上の女御様にお伝えしなければ!


 状況をつかめずに孫廂(まごひさし)で立ち止まってしまった私に、二葉の君が申し訳無さそうに扇越しに囁く。


「小桃内侍様、どうか祈祷の事はご内密に願います。若宮様は特に御病気では無いのですけれど、最近ご機嫌が悪く、塞ぎ込まれまして……。お寂しいからだと思われるのですが。酷くご心配した祖母君が、こうして祈祷を……」

「若宮様はお会い頂けるかしら? お会い出来なくとも、ご両親様からのこのお文をお届け下さいませんか?」


 頷いて二葉の君は御簾内へと声を掛けて、部屋の中へと入って行った。しようがないから、許可が下りるまで、私は内廊下の孫廂(まごひさし)に座ってじっと待つ。

 

「許可が出ました、小桃内侍様。どうぞ」


 若宮様に仕える女房が御簾を巻き上げて、部屋に招き入れてくれた。良かった。実は、きちんと若宮様に直にお会いして、お元気でおられるかご様子を確認し、東宮様にお伝えする事になっていたのよ。左大臣家からのお文だけでは本当の事は分からないと、御心配されているから。


 昼間なのに何となく薄暗く、不気味な祈祷の声が低く流れるお部屋の奥の奥に、狩衣(かりぎぬ)姿の若宮様がおられた。左右に分けて丸く結った下げみづら髪も、心なしか萎れた花の様にへなんとしている。まるで元気が無いわね。

 お文を手にして、若宮様は弱々し気に脇息(きょうそく)に寄りかかって座っている。多くの女房達に囲まれてか弱げなお姿は、とてもやんちゃ盛りの七歳の少年には見えないわ!


「小桃内侍、お文をありがとう。……でも、これは本当に父上母上からのお文なのかな……? 母上は、母上はちっとも私に会いに来て下さらないのに……」

「何をおっしゃいますか、若宮様! あれほど待ち焦がれておられたお母上様からのお文ではないですか!」

「ほら、ここに若宮様に会いたいと東宮様も書かれております! お母上様も恋しいと!」


 乳母らしき女房やその他の取り囲む女房達が、拗ねて暗い若宮様を慰めるも効果無し。どよ~んとした重い空気が満ちているではないの! しかも、畏れ多くも東宮様直筆のお文が、本物かどうか疑われている。これは私の御役目に関わる問題よ!


 伏して礼を取り、幼い若宮様に申し上げる。例え拗ねたお子様でも高貴なお血筋の若宮様だから、無礼があってはいけない。気を遣うわね。


「勿論、本物のお文でございます。畏れ多くも東宮様も女御様も、若宮様をそれは愛しく想われております。それ故、桃の宴での参内を願われておられます」

「……嘘だ。母上は、私の事なんか……。いつもご気分が悪いとか言われて……。もう、私の事なんかどうでもいいんだ」


 暗い、暗すぎる。このどよ~んとした疑いの目は、とても少年には見えない! もっと純真にキラキラした目をしているはずよ、この頃の少年て!

 

「もういい。……気分が悪い。頭が、体が重い、お祖母様を呼んでよ」


 おお、体から潤いが無くなってギシギシするお年寄りみたいな事を七歳の少年が言っている! これはまずいわよね。側仕えの多くの女房達が動揺して、「薬師の手配を!」「お方様をお呼びして!」など騒ぎ始めた。


 ザザッ!


 亀!? その時、この深く悩める少年をどうしたものかと悩む私の前に、先程の妖しい亀が御簾下から滑り込んで来た。一体どうやってここに来たの! 亀飼い童の少年は何をしているのよ、頼んだばかりでもう野放しなの!?


「ぼえ! ぼえ! ぼえ!」


 犬がワンワン鳴くように亀が激しく吠える。先程、真珠の様な涙を零していたようには見えない。何故か急に逞しい感じ?

 へ~、これまで聞いた事が無かったけれど、亀って吠えるのね、と思わず感心してしまった。でも、そのすぐさま後に続いて、私も驚きの大声を上げてしまった。


「亀の次は、蛇ですか!!」


 亀の鋭く見える視線の先、若宮様を改めて見たら、その可愛らし気な細いお体に黒い蛇の尾が巻き付き、頭上でとぐろを巻いていたのよ! 大嫌いな蛇が!


 シャーッ!!


 その異様な姿に気付いた私と目を合わせ、吠えるが如く鋭く威嚇してきた!

 怖い! 私が言いたいのは、きゃー! よ。さらに追加で若宮様と同じ「もういいよ」ね。

 頼隆様が言われたように、「女官、辞めようかな」と思った瞬間だったわ。


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