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03 蛍の光で花咲く

 外御簾のため姿の見えない怒れる女房の数が、複数に増えた気がする。藤壺女房達の神経質な怒声が、平伏している私達の頭上へぎゃんぎゃんと。女の声って、どうして体への危機感ではなく、こうも心に恐ろしく響くのかしら?

 その文句の内容を聞いていて分かったけど、これはもう私達の失態へのお怒りよりも、積もり積もった梅壺への腹立ちを私達に八つ当たりでぶつけているのよ! 帝の御寵愛を競い合う相手の梅壺の女御様とその女房達に、普段から相当腹を立てていたのね。


 どうやってこの嵐を治めたらいいの? とか祈る気持ちで悩んでいたら、背後からトテトテと簀子(すのこ)を歩く音がした。床近くまで深く深く伏しているから、落雷の最中でも分かったの。


「おやおや、これは一体何事か? 母上の御殿で、何故に小さな花が泣き濡れているのか?」

「!」


 若い男性の面白がるような軽やかな声がするや、落雷がピタリと治まってしまったわ。助かった! でも誰? 母上?


 伏しつつも顔を隠す扇の陰からチラリと横目で見上げると、宮中での正式な装束、非常に上等な素晴らしい仕立ての束帯(そくたい)を纏った貴公子が、愉快そうに緩む口元を扇で隠しつつ立っていた。


 絵巻物に描いたような、二十歳前後の若々しい細く雅やかなお姿。これまで見た中では間違いなく一番美形の公達(きんだち)ね! 無駄に眩しく綺羅きらしい感じ。これじゃあ御簾内の女房達も、あまりの華やかさに圧倒されて黙り込んでしまうはずよ!

 ……頼隆様の方が凛々しく男らしいけど。


 それにしてもこの藤壺で「母上」ってことは、ひょっとしてこの公達は世間でも噂の……?


「母上のご機嫌は麗しくは無いのかな? だったら、また顔出しは改めた方が良いか……」

「お、お待ち下さいませ、蛍帥宮(ほたるそちみや)様! 日頃より、中宮様は宮様のご訪問をお待ちでございます! どうか、どうかお訪ね下さいませ!」


 御簾内で、女房達が一斉に伏せて礼を取ったかと思うと、恭しく御簾をからげたり、御殿中で貴人の出迎えのためにザワザワ動きだした。女房達のこの態度からすると、やっぱりこの方は、あの美形貴公子で有名な『蛍帥宮(ほたるそちみや)様』!


 藤壺の中宮様が大変可愛がられていると聞く、東宮様と同腹の親王様よ! 左大臣家の頭中将とお二人で、二大貴公子と言われている方だわ。綺羅きらしい笑みの美形と有名で、そのせいかあちらこちらに恋人を作っているとか、いないとか?


 藤壺前は、鋭い雷から綺羅きらの蛍の光の輝きに満たされ、すっかり忘れ去られたらしい私達……?


 クスクスと目を楽し気に細めて、蛍帥宮様は扇越しに私達を見下ろされた。

 もしや泣き崩れていた私達を庇って下さったのかしら? 蛍の光の輝きにほっこり心が温かくなってきたわ。輝くような美形の微笑みで、恐怖で震えていた心が癒されていく気がするの。


「さあ、今のうちにお行きなさい。ここは大丈夫、宥めておくから。何せ私は母上のお気に入りだからね」

「お助けいただいたようで、ありがとうございます。でもどうして私達を……?」


 何故初対面の私達を助けてくれたのか分からないけど、深く感謝したわ。嗜み上、顔を見られないよう、扇で隠しながら再度伏して礼を取る。


「ちょっと義理があってね。まあ、いいから。いろいろ楽しいしね!」


 含みのあるニッコリ笑顔をされ、さあさあお行きと手を振られた。ならば、宮様を迎える準備に追われている藤壺の女房達の気が変わらない内にと、私達は桐壺に慌てて逃げ帰る事ができた!




「あれほどくどく『一緒に』と言いつけたのに、何故あなた達は分かれて行ったのです! 私の話をきちんと聞いていましたか?」


 桐壺でも先輩の麦内侍(むぎのないし)様に怒られた。下っ端の私達は、二人そろって御殿の内廊下の(ひさし)に並んで伏して謝る。


 この御殿には(あるじ)と言える女御様はいらっしゃらないので、奥御簾は上げてある。けど新参者で下っ端の私達は、末席の廂で外廊下の簀子(すのこ)近くに座らされていた。


 私の隣に座る萩内侍は、内着の(ひとえ)の袖口で涙を押し拭いながら、うえうえと泣いてるばかり。


 やや奥側の上座に座している先輩の麦内侍(むぎのないし)様は、私達にお説教中。眉間に皺をよせ目を細めつつ、こめかみに血管が浮いている気がするけど、未熟な後輩を前にできるだけ感情的にならないよう堪えているみたい。先輩って大変ね!


 実はこのお説教の間に、上司の稲典侍(いねのないしのすけ)様が、改めて藤壺に謝罪に行って下さっているの。本当に申し訳なくて……。それにしても、失敗ってどうしてこうも早く後宮内を伝わるの? 誰かが見張っていて、噂を広めるために駆け回っているんじゃないかしら、と恨めしく思うの。


「二人一緒に行動していれば、まず一番先に藤壺に行くと判断するでしょう! 身分的に、普通は!」


 確かに、一緒に行けと言われたけど、効率良く仕事を終わらせたかったのだもの……。


「分かれてお届けした方が、早くお仕事が終わるかと思ったんです」

「顔見世の挨拶と言ったでしょう! 早く終わらせる必要は無いのです。それに別れて行動するのは、熟練の女官ではないと難しい事があるのよ、誰がどこに先に行ったとかね。少しでもズレると揉め事になるのよ、今回みたいに!」

「ごめんなさい。私が先に東宮妃の弘徽殿(こきでん)様から回ったばかりに! うえ~ん!」


 先輩のお説教に、萩内侍は顔を両袖で可愛く覆って、益々泣き出しちゃった。ようやく落ち着いてきていたのに。私は泣くより、麦内侍様にどう言い訳しようかとか、説明しようかとか動揺し、扇の陰でオロオロしてしまう。先程みたいに怖くはないけど。


「申し訳ありません。そんなつもりは無かったのですが、おっしゃる通り結果的に中宮様の藤壺訪問が最後に……。二人で呼吸を合わせて、同時にお妃様の御殿にお声掛けすれば良かったんです」

「そういう難しい判断や仕事は、私達上の者がします。出仕したばかりのあなた達ではなく! 余計な小賢しい事は考えなくてよろしい!」


 きつい麦内侍の言葉に驚き、深い反省を込めて伏して謝ったわ。本当に恐ろしい目に遭ったから、先人の教えは素直に聞くべきだと今回の事で実感したの。


 情けない後輩二人を前に、あ~頭が痛いとばかりに麦内侍様は額に手を当てて、袿の袖陰で一つため息をこぼされた。気のせいか、纏われている袿まで疲れてよれて見える。……すみません。ご迷惑をお掛けしました。


 ハッ! ひょっとして、もうあなたはいらない、実家に帰れと言われるかも。だって、参内早々に高位の貴人を怒らせた大失敗だもの……。頼隆様が言われたように私には向かないのかしら、繊細な気遣いの必要な内侍なんて。ギュッと胸が苦しくなる。


「……次は、頑張るのですよ、二人とも。まずは素直に言われた事に取り組み、学びなさい」


 最後に、麦内侍様は『次』と言われたわ! まだ見捨てられてないのね! ああ、まだ頑張れるわ、私!


 隣の萩内侍も、先輩の言葉にびっくりしたのか泣き止んだ。


「はい、頑張ります!」


 私達、一度互いに目を見合わせてから、麦内侍様に声を揃えてお返事できたの。良かった!


「泣こうが泣くまいが二人とも心根図太くやり過ごし、逃げ出さない根性は大したものね」


 ボソリと、麦内侍様は呟いたらしいけど、私には聞こえませんでした。


 もう自室に下がるように言われたので、二人してやれやれと桐壺から渡殿を渡り桐壺北舎の局へ。表向き、大失態による謹慎なので、大人しくしているようにだって。局に着く頃には、いつの間にか萩内侍は泣き止んでいて、普通顔でいる。


 厳しい目つきと態度の麦内侍様だけど、そう言って休ませて(?)くれるなんて優しいわね! と言ったら、違うと思うけど……とか萩内侍はおかしなものを見る目で私を見る。先輩に感謝を述べたのよ、私。何か変な事言ったかしら?


 あら? 私達の(つぼね)に七・八歳くらいのお文遣いの童が待っていて、綺麗な花枝を差し出したわ!


「さるお方から、小桃内侍様へお届けするように言われました。お受け取りいただけますか?」

「ありがとう、どちら様からかしら?」

「申し訳ございませんが、お名は伺っておりません。お渡しすれば分かると申されて……」


 お文も結ばれていない花枝を不思議に思ったけど、お遣いのご褒美のお菓子と交換して受け取った。


 やだ~花を贈られるなんて、初めてで嬉しい! だって実直な武家の頼隆様は、お文を送り合ってはいても雅やかに花なんて贈って下さった事が無かったの。

 それにしても、新参者の私達には、あの文遣いの童がどこの子かなんて事も分からない。だからどこの誰から贈られたか推測もできないけど、良いわよね、花くらい貰っても。


 薄桃に染まった小さな白い花が、細枝に零れんばかりに沢山付いて咲いている。何て綺麗! 傷ついて疲れた心がパッと華やぐわね! 優しい叔父様からの参内のお祝いかしら?


「可愛い~! 薄桃色の白梅かしら? 珍しくない?」


 私が袿袖(うちきそで)で包み上げた綺麗な花枝を萩内侍が覗き見る。


「あら、違うわよ。それ、梅ではなくて、早咲きの『木瓜(ボケ)』よ。香りが無いもの」

「『ボケ』? ……『小桃内侍へ』ボケを?」


 ボケ……大失態を犯した後に。なんて絶妙な間合いで届けられた花。

 小桃内侍、ボケ? つまり、ぼんやり? 私はぼんやりなうっかり者って言いたいの?


「私、うっかり者なボケ?」

「可愛い花じゃない! 可愛い君って言いたいのよ、きっと! ボケじゃないわ! 深読みし過ぎてはダメよ!」


 花枝を手に、疑心暗鬼で眉間に皺を寄せて複雑な表情で固まってしまった私に気付いて、あわわと萩内侍が宥めてくれる。


「そ、そうよね。こんなに綺麗な花だもの……」

「そうよ! いったい何処の公達(きんだち)からなのかしら。参内早々、隅に置けないわよね」


 取り繕うように、萩内侍が明るく揶揄ってくるので、私はえへへと照れちゃった。お互いにニッコリ微笑み合って、局の雰囲気を明るく仕切り直す。萩内侍って本当に優しくていい子ね! 生真面目過ぎる私には、この子が同じ局で良かった!

 

 せっかくの可愛い花なんだもの、と気を取り直して局に飾らせてもらいました。


 それにしても、本当に誰からかしら? 後宮に花を贈って下さるような知り合いはいないし。まさか先程お会いした蛍帥宮様だったりして……。さすがにそれは畏れ多い自惚れだわ! 叔父様が気の利く叔母様に言われて、出仕のお祝いにと贈って下さったのかしら?


 もしや絵巻物語にあるように、後宮で新しい『恋の花』が咲くのかしら、なんて想像してドキドキするわ!

 もう~、花を見て乙女っぽくため息ついちゃった。ごめんなさい、頼隆様。別に気が変わったわけでなくて、どうしようもなく多感な、ときめく乙女心なの!


 浮かれてポンポンと乙女心の花を咲かせていた私に、次なる試練がやってくる。ボケの花はそれを伝えたかったのかもしれない。

 書状をお届けした例の『桃の宴』が大変な事になるなんて、もちろん『うっかり者』の私は知る由も無かったわ!

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