11 勝利で危機
「ああ、やっと動ける。さあ、今度は私が相手だ!」
頼隆様は少しもユラユラ揺れることなく、すくっと立ち上がると腰に差していた太刀を鞘付きのままで構える。そのお姿も決まってて凄く強そうで、素敵! 乙女を護る公達、なんて凛々しい。思わず見とれてしまうわ。
「仮にも後宮で女に刃を向ける訳にはいかない。だから、鞘付きのままで成敗してやろう」
「どうして動けるように……? 術で捕らえたはずよ!」
「さあな、小桃内侍が私に触れたら動けるようになったようだ。もう、お前の術も効かない。覚悟せよ!」
獣耳の女は信じられないとばかりに、目をみはっているわ。驚きのあまりか、長い爪が気のせいか少し縮んだみたい。まるで大きな物音に驚いた猫ね。
「ハッ! たかが人間が生意気に! あの間抜けな宮と同じ様に生気を喰らってやろう! そこのおかしな女共々!」
「誰が『おかしな女』よ! 頭に耳を生やしているあなたに言われたくはないわ!」
あっ、頭に耳があるのは普通だったわね。……猫の様な爪、と言ってやれば良かったとすぐさま後悔しちゃった。
「耳があって何が悪いのよ! お前も相当な間抜けね!」
「何ですって!」
き~! 獣耳に鼻で笑われ馬鹿にされた! 腹が立つ!
女の罵り合いには参加せず、スッと頼隆様が私を庇うように前に立った。油断なく太刀を構えておられるわ。でも、後宮内で許可無く抜刀することは出来ないから、太刀はお言葉通り鞘に収められたまま。
「もういい、小桃内侍! 戦いに巻き込まれないよう、できるだけ離れて柱の陰にでも隠れるんだ。危険だ」
「はい。頼隆様もお気を付けて……」
そそそ、と私はその場を離れて、言われた通り可愛らしく柱の陰に隠れる。でもひょこっと首を伸ばし、その頼りがいある凛々しいお背をじっと見つめて応援するの。亀太も同じく私の袿裾から首を伸ばしているわ。
もう、二人の間に漂う緊迫感が違う。捕食者と獲物の立場が一気に逆転したわ。これでは獣耳の女が頼隆様に勝てるはずはない。だってあの獣耳、私と互角にシャーシャー打ち合う程度の力量だもの。どうやら怪しげな術で身体を呪縛して動けなくしてから、生気を吸い取るだけの様ね。いえ、それも十分に恐ろしい。
圧倒的な力の差を感じているのか、女がひるむのが分かったわ。このまま大人しく降参してくれれば良いけれど……。
ヒュッ! と床板を滑るかのように頼隆様が素早く突進されるや、風を切るかの勢いで太刀を振り抜かれた! けど、女は生意気にも獣の様に素早くヒラリとその太刀筋から身を躱したわ! 惜しい! あと半歩の距離で太刀が届いたのに!
その時だった、もうかなり日が落ちて暗くなってきた庭で、何かが一瞬光ったのが目の端に引っかかったの!
「頼隆様! 庭から何か!」
きゃー! 私が警告の声を上げるや、ヒュン!ヒュン!と矢が庭から射ち込まれてきた! 恐ろしさのあまり、咄嗟に私は袖で頭を覆い守りつつ、身を低くする。
でも、頼隆様は慌てることも無く、余裕で当たりそうな数本の矢を鞘付きの太刀で叩き落とした。凄い、そんなこともおできになるのね! でも、うかつに女にも近寄れずにいるみたい。下手に前に出ると、矢面に立ってしまうことになるのよ!
ぐえ! 何!? 背中を踏まれているの、私!?
恐ろしさと心配のあまり恐る恐る袖陰から頼隆様を見守っていたら、ドカッ!と背後から誰かが私を蹴り飛ばし、更に倒れ伏したところへ踏みつけている!? 痛いじゃないの、酷い!
「そこまでだ、太刀を引け! この女がどうなってもいいのか?」
「小桃内侍!」
グイッと後ろから力づくで起き上がらされ、上等の織物の袖に包まれた男の太い腕が背後から私の首を抑え込む。そしてキラリと光る私の顎の下のモノ。これはひょっとして小太刀でしょうか? 嫌~!
「止めろ! 内侍を離せ!」
「太刀を捨てろ!」
私の絶体絶命の危機を前に、頼隆様は悔しそうに唇を噛みつつガチャリと太刀を足元へと放り投げた。ああ、ごめんなさい! 私が頼隆様の足手まといになるなんて!
簀子の私と共にいる背後の男に当たらないようにするためか、矢の攻撃も治まったみたい。良かった、太刀も手にていないところへ矢を射かけられたら、頼隆様に当たってしまうもの。
「引け! 露草!」
「は、はい! 申し訳ございませぬ、おのれ、覚えておれ!」
獣耳の女は私を捕らえている男の声に応え、重い唐衣裳の表着や袿の何枚かをシュルッと脱ぎ捨てて身軽になるや、簀子の欄干をヒラリと飛び越えて庭へと降り、奥の暗がりへと走って逃げて行った。
「女は無事に逃げた、小桃内侍も放せ!」
「そうはいかん。我々の邪魔をしたからには……ん? 女、お前妙な『気』を持っているな? ……これは、あの私の亀を横取りした女か!」
「んんん!」
ちょっと! 今この状況で人が口応えできないからって、頼隆様の前で変な言い方しないでよ! 『妙な気がある』なんてまるであちこちの殿方に媚びを売っている安い女みたいに聞こえるじゃない! 更に『横取り』なんて、男を誘惑した性悪みたいにも聞こえるでしょう? 私は真面目な清純派なのよ! 頼隆様が変な誤解をしたらどうしてくれるのよ!
背後から私の首を抱えていた腕が私の袿の袷を掴み、無理矢理向き合わさせた。でも小太刀は変わらず喉元を狙っているの。恐ろしさに声も出ないわ。
ああ、やっぱりあの亀太を狙って現れた男よ。目を吸い寄せられる様な華やかで煌く様な美しい公達なのに、妙に禍々しい。高貴な雰囲気と裕福さがにじみ出ている姿だけど、この後宮では一度も見かけたことが無いわ。一体誰なの?
じっと私の目の奥にある何かを見つけようとするかのように見つめてくる。美しい公達と間近で見つめ合っていると言ってもいいのに、でも、頼隆様の時とは違って全然ときめかないの。禍々し過ぎて!
「……おまえ、そうか、『衣を持つ者』か!」
「?」
そりゃあ、後宮に内侍として出仕するくらいですから、衣の一枚や二枚、用意して持っているわよ。今日は頼隆様からも素敵な衣装を頂いたし。ああ! さっきの獣耳女との勝負で傷がついたかも! 私って馬鹿~! さっさと着替えて大事にしまっておけば良かった! せっかくの頼隆様からの衣装が!
「怯えつつも、妙な事を考えているようだが……。そうか、『衣を持つ者』ならあの亀の事も納得がいくな。よし、女、お前も来い!」
「止せ! 小桃内侍を離せ! 女一人を連れて、この後宮から逃げ出せるはずはないぞ! 何人の警護兵がいると思う!」
「何人いようと関係無いな。この女は貰っていこう。せっかく見つけたんだからな! 女、おまえもだ! 下手に暴れてみろ、すぐさまこの太刀の切れ味を味合わせるぞ」
隙あらば手足をバタバタさせて暴れてやろうと思ってたのに、乙女のか弱き抵抗の手段をあっさり見破られて脅された! どうしよう! ああ、頼隆様、助けて! このまま連れ攫われてしまうの? 怖い!
ぐいっと丸めた布団の様に横脇に片手で抱えられてしまった! ええ、なんて怪力!? いくら私が小柄でも一応成人しているし重い唐衣裳姿なのよ。いや、普通できないわ! 本当に一体何者なの?
「!!」
もうダメ! と思ったその時、床から大きな布団の様な黒い影が立ち上がり、私を抱えて逃げようとする男と私諸共にと勢いよく覆い被さってきた~!
ドタン!と何だか分からない塊になって床に強く倒れ込んだわ! 痛い!
ほんの一瞬、私の体を荒縄の様に締め付けていた男の腕の力が緩んだの! もう、恐ろしモノから逃れたい一心で、男が掴んでいた衣を脱ぎ捨てて、私は精一杯の力で亀太の様に四つん這いで逃げ出したわ! やった!
その横をさらに凄い速さで黒い影が狼の様に走り抜け、男へと体当たりで飛び掛かって行った! 今のが頼隆様なの!? では、さっきの布団の様な影は一体?
ドタンバタン! と男達が激しく力強く揉み合っているわ! 激しい争いに怯えていると、ドドドと亀太が駆け寄って来たから、思わず縋るように甲羅に咄嗟にしがみ付く。すると亀太はさながら牛車を引く牛の様に、腰の抜けた私を柱の陰へと引き摺って行ってくれた。二人(一人と一匹)でそっと首を伸ばして恐ろしい戦いを見守る。
激しく抵抗する恐ろしい男、その男の首を捕らえて取り押さえようとする狼の様な頼隆様。では最後の黒布団は? ああ! あれ、蛍帥宮様ではないの! いつの間にかお目を覚まされていて、隙をついて私を助けて下さったのね!
ドガっと音がするや、蛍帥宮様が蹴り飛ばされて戦線離脱されてしまったわ! 再びバッタリと板床に倒れ込まれた。どうしよう? 駆け寄ってお助けしたいけれど、怖くて近付けないわ。ああ、どうかその名の通り、美しくも儚く消える蛍の様にならないで下さいね。
残りの二人はまだ互いに上に下にと入れ替わりながら掴み合いや殴り合いをしている。頼隆様、頑張って! でも、どうかお怪我だけはしないで! あ! 頼隆様が上手く押さえ込んだみたい。二人の動きが小さくなった。上から圧し掛かっているのは頼隆様よ、キャー、なんてお強いの!
「ぼえー! ぼえー!」
私同様に、争いの場から離れた柱の陰から、亀太が強く吠えた。それはまるで威嚇するかのように、ではなく、「誰か助けて!」とばかりに救いの手を呼んでいるようにしか聞こえない。でも、そう言えば、この後宮でなぜ警護の武官達や家人達がやってこないの? これだけバタバタ激しく争っているのに! しかも高貴なる蛍帥宮様までおられるのよ、見て見ぬふりをしているとも思えない。
「ぼえー!」
「よし、やっと穴が空いたぞ! 突入!」
誰が言ったのか分からないけど、穴って何よ? ここは多くの人が行き交い住まう麗景殿から承香殿の間よ。簀子は屋根のある通り道で、穴ではないわ。
なんて思ってたら、急に左右から大人数の警護兵や武官がワッと押し寄せてきたの。驚いたわ!
「よし、頼隆、そのまま抑え込め! 捕縛しろ! そなたたちは蛍帥宮様を安全な場所へ! そなたたちは庭の周囲を確認せよ! 怪しい者がいたら逃すな!」
テキパキ響く有能な指示。あれは鷹中将様ね。さすが、人気実力共に一番と言われるだけあるわ。
わらわらと警護兵が頼隆様に手を貸して、あの妖しい男を捕縛した。縄でグルグル巻きにしているわ。ほっと一安心。あっ! 頼隆様が私を探しているのか、心配げに眉間に皺を寄せながらキョロキョロしている。
慌てて嗜み深く胸元の檜扇を広げて顔を隠す。これだけ大勢の殿方がいるのでは、とても堂々と姿を現す訳にも顔を晒す訳にもいかないわ。女官として、あまりにはしたないもの。柱の陰でじっとしているしかない私。
「大丈夫か、頼隆!」
「中将様、若宮様と蛍帥宮様を危険に晒し、申し訳ございません」
「いや、 一人で良くやった。若宮様から報告を受けてすぐ人手を集めて来たんだが、何故か暗闇に包まれ、先にも進めずにいたのだ。だが、あの陰陽師のおかげで闇を祓えて、進めるようになったのだ」
鷹中将様が行正様を扇で招き寄せられた。パンパンと褒めるように行正様の肩を叩いているわ。
「いや~、間に合って良かったですよ。何やら怪しい術が展開されていたようで……。後でここら一体を清めて……」
「助かったぞ、行正。おかげで何とか捕縛できたが、一人逃げて……」
柱の陰から覗く限りでは、なんとか事態の収拾は着いたみたい。混乱なく男は警護兵に引っ張られて行ったし、良かった。
でも、助けてもらえて良かったのだけれど、あの陰陽師、いつも来るのが遅いのよね。仮にも頼隆様の親友なら、もっと早く助けに来てほしかったわ。怪我でもされたらどうするのよ。
「ぼえぼえ!」
亀太が「僕を褒めて!」とばかりに誇らしげに鳴いて、私の袴布を短い脚でペシペシ叩く。
「ええ、そうね。きっと亀太も私達に力を貸してくれたのよね。だってあなたが来てくれたおかげで、私も呪縛が解けて動けるようになったんだもの。あの行正様より頼りになるわ。ありがとう」
「ぼえ~!」
やったあ、と言ったかのように亀太の嬉しそうな声。私も思わず微笑んでしまう。
「ここにおられたか、小桃内侍。どうぞ、あなたのご衣裳です。勇ましく戦われた割には、衣装は大丈夫そうだ。どうぞ」
やや怒りが籠ったかのような低い頼隆様のお声が背後からした。思わず驚きのあまりヒョッと一瞬背が伸びてしまったわ。差し出された表着や袿を慌てて身に纏う。それでも着崩れてみっともない姿よね。恥ずかしい!
いえ、それよりもどうしよう! 私、頼隆様の目の前で、あの獣耳の女と激しい叩き合いなんてしてしまったじゃない! なんて下品ではしたない! ああ、後宮女官としてはあり得ない程のはしたなさよ! でも、あの女が頼隆様に、無理矢理抱きついて迫ったりするから、許せなかったのよ!
「小桃内侍、言いたいことは多々あるが、とにかく桐壺までお送りしましょう。今度こそ、安全に過ごすことができるように」
「はあ、それはどうも……。その……」
もう違う意味で恐ろしくてたまらず、目も合わせられないわ。扇で顔を隠し、がっくり落ち込んで俯きながらしずしず簀子を進む私。今更大人しやかを取り繕っても、とは思うのだけれど! でも、内侍としては、やはり!
「桐壺で、ゆっくりお話でもしていただけませんか? 是非とも語り合いたい事があります」
「……はい……」
ああ、その静かで落ち着き払った口調で、語りたい事って何? きっと、なんと下品で乱暴な女だ、と思ってらっしゃるわ! やはりこのまま二人の仲は終わらせましょう、なんて言われたら、どうしよう!
命の次に、乙女心の危機だわ!




