10 女の武器で戦う
※異世界ファンタジーと言う事で、ご容赦下さい。
階に腰掛けられていた蛍帥宮様が、ゆらりと立ち上がられた。そしてその背後に獣耳を生やした女官(たぶん?)を庇うように、風に揺れる柳のようにユラユラと私達の前に立ちはだかれる。なんか、気持ち悪いわ!
「若宮様、叔父宮様に近付いてはいけません!」
「小桃内侍……。叔父宮様が変だよ、ユラユラして……。いつもの優しい感じとは違う。何か、怖い……」
さっと、若宮様を私の袿袖で抱き覆い隠す。咄嗟に、この若宮には近付かせたくない、と思ってしまったの! 亀太の警戒の吠え声も大きいし。
だって、蛍帥宮様の御様子があまりにも『変』だから! 以前、弘徽殿で困って泣いていた私を助けて下さった時の、あの麗しい立ち居振る舞いとはまるで違うんだもの! 強いて例えるなら酔っ払いが今にも絡もうとするかのように、情けない感じでユラユラ揺れているのよ。
「……そう言えば若宮様、警護役の頼隆様はどちらですか? お側に付き従っているはずでは?」
「ん~、私がお文を受け取った後、父上に何か命じられていた。間に何人も入るから、なかなかお話が終わらなくて……。もういいやって、頼隆を置いて来ちゃったんだ。すぐに後から追いかけて来ると思ったし」
やんちゃにも程がある! お元気になられたは良いけれど、なり過ぎです! 後宮内とはいえ、お一人で東宮様の梨壺の御殿から抜け出て来てしまうなんて。だから、こんな妖しい時に限って警護役がいないのね! いやー!
庭向こうの簀子では、獣耳の女が扇で顔を隠しつつ腰を下ろしたままこちらを見ている。普通なら、公達との逢引きを見られた時点で、恥じらって姿を隠すため逃げ出すもの。なのに、そんな様子は無いわ。まるで、ユラユラ揺れる蛍帥宮様の動きを背後から見張っているみたい。とてつもなく不気味ね。
「なぜあの若宮が後宮に!? 蛍帥宮様、その若宮様をこちらへ! その女官から引き離して!」
「……若宮? どこだ、若宮?」
焦った様子で女が扇の陰から、畏れ多くも蛍帥宮様に若宮様を私から奪えと大声で命じたわ! 一体、何者なの、あの獣耳の女は? 畏れ多くも帝の御子息であられる、高位の親王様に命令するなんて!
だめ、若宮様をあんな妖しい女に渡す訳にはいかないわ!
若宮様も、いつもの親しみ深い叔父宮とは様子が違う事に怯えだしたみたい。私の胸に縋るように身を寄せられて小さく震えだされたわ。いけない、このままでは幼いお心が傷ついてしまうかも! 叔父宮様への信頼を失わない様に取り繕いつつ、この場から逃げてもらわないと。
お一人で行く事も怖いのか、若宮様はギュッと私の袿を握っている。亀太まで若宮様に同意するかのように、例によって袿裾下に隠れ、袴にスリスリするように身を寄せてきて心細げ。
「若宮様、叔父宮様は酷くお酒に酔われておられるのですよ。ですからあのようにフラフラなのです、きっと! それほど沢山お酒を飲まれるなんて、いけませんわね! で、ですから、亀太と共に誰かを、頼隆様を呼んできては頂けませんか?」
「酔っぱらってるの、あのユラユラって……? なら、小桃内侍も一緒に呼びに行こうよ」
「ぼえ……」
ええ、私も行きたいのだけれど、いざという時、若宮様お一人の方が早く走れるのよ。長い裳と袴を引き摺る、重い唐衣裳姿では、蛍帥宮様に追いかけられたら逃げきれるわけが無いの。あっという間に捕まってしまうわ。
それに、あの前に突き出されてワキワキさせている蛍帥宮様の両手が、その気十分なことを物語っているんだもの。私達を捕まえてどうするおつもりか、ワキワキした手だけではサッパリ分からないけど! 気持ち悪い!
ここは、若宮様だけでも逃げて頂いて、助けを呼んできてもらう方がずっと良いはずよ。でも細く小さなお体は、恐怖に固まってしまったみたいね。
「亀太、おまえ、もう少し体を大きくできない? 元は牛車より大きかったではないの。若宮様を乗せてお逃げなさい。私は大丈夫だから」
「ぼえ。……ぼ、ぼえー!!」
励ます様に冷たい甲羅をポンポン撫でると、勇気付けることができたのか、亀太に気合が入ったみたい! まあ! 力のこもった声を上げて、ずんっと甲羅が一回り大きくなった! やればできるじゃないの、おまえ!
大きめの座布団のようになった亀太の甲羅の上に、急いで若宮様を座り乗せる。うん、大丈夫みたいね。
「亀太、お行きなさい!」
「ぼえー!」
「こ、小桃内侍! ……待っててね! 私が、人を呼んでくるから絶対に待っててね!」
馬だったらお尻を叩くところだけれど、亀にはお尻が無いから、甲羅のそれらしい位置をペシン!と叩く。すると、任せろ!とばかりに亀太が脱兎の如く走り出した。大きさはともかく、どうみても亀だけれど、兎より速いかも。……一目散に逃げ出した、と言うべきかしら?
でも、どうか若宮様をお願いね! 若宮様に付き従って後宮を歩き回っていたみたいだから、お母上のお住まいになられる承香殿なら行けると信じているわよ!
「若宮! 待て!」
「いけません! 蛍帥宮様、行ってはだめです!」
亀太が駆け出すや、蛍帥宮様はユラユラ揺れていた様子とは打って変わった素早さで、私達のいる簀子近くの階を駆け上がった。速い! 酔っ払いとは思えない速さよ! あっと言う間に私の目の前までやって来て、若宮様の後を追いかけようとする。
でも、そうさせるもんですか! あんな幼い少年を捕らえさせはしないわ!
えい! 可愛い若宮のため勇気を出し、私は蛍帥宮様に咄嗟にしがみ付いた。後宮中の女達が憧れる、そのお体の直衣、というか指貫(奴袴)に! まるで、絵物語にある男女の愛憎のもつれで、「お願い捨てないで!」と縋るかの様よ!
ビタン! と良い音を立てて、私に足を取られた蛍帥宮様は簀子上で前に倒れた。これまた、物語のように「行かないで!」の想いを籠めて私は背後から必死に縋りつく。
いや~、酔っ払いの様にフラフラだったくせに、妙にお元気に蛍帥宮様がもがいて足をバタバタされる! お願いだから、顔を蹴らないで!
「小桃内侍! 何をされているのか!?」
ああ、いつも一番助けて欲しい時に聞こえる凛々しいお声! 若宮様を追いかけて来て下さったのね! でも、状況が分からず、澄んだ低いお声に困惑が滲んでる。今回は、一見無礼にも高貴な御方を押さえつけている怪しい者は私の方だけれど、お願い、迷わず私を助けて!
「頼隆様! お願い、蛍帥宮様を御止めして! ご様子がおかしいのよ、この方! 若宮様を捕らえようと……!」
「分かった。蛍帥宮様、少々失礼を!」
頼隆様は一瞬の迷いも無く、私のお願いを聞いてくれた! 本当に、何も聞き返すことなく、高貴なご身分である宮様よりも、私の味方をしてくれたの。
ビシ!と、蛍帥宮様の首筋に手刀を落とし、あっけなく気絶させてしまった。凄い!
宮様のお体から力が抜けて、グッタリされる。これでホッと一安心だわ。
でも、この頼隆様は、どうしてこんなにも私を信じて、力を貸してくれるのかしら? 出会いは、叔父様から御紹介の、家と家の政略的な縁談なのに。
思わず、その頼りがいある引き締まった大きなお姿、端整かつ男らしく凛々しい顔立ち、迷いの無い優しい労わりが滲む鋭い眼差しを見上げてしまう。御簾や几帳や扇の陰ではなく、こんなに間近で見るのは初めてかも。
膝立ちのまま、宮様が暴れないかそのご様子を確かめているお手すら、大きいのに器用そうで、力強く引き締まっていて素敵。殿方の手にまで魅力を感じるなんて不思議だわ……。
不意に、頼隆様がサッと視線をそらす。でもその頬に朱が走るのが見えてしまったわ。本当に、お互いの顔をこんなにまじまじ見たのは初めてなんだもの。共に恥ずかしくなって目を逸らし、俯き合ってしまったの……。 でもやっぱり頼隆様、素敵!
やだ、頬が熱いわ。きっと私も桃の様に真っ赤になってしまっている。はしたなくも、夫でも無い殿方に顔を見せてしまうだなんて、きゃ!
隠さなきゃと思っても、宮様を取り押さえてた時に、扇がどこかに飛んで行ってしまったのか手元に無い。もう、この紅い顔は袿袖で覆い隠すしかないじゃない!
「ああ、蛍帥宮様、大丈夫ですか?」
背後から、優しく心配するような女らしい声が掛けられた。二人の甘い良い時を邪魔するのは誰よ、と振り向くと、扇で顔を半分隠した唐衣裳姿の女房らしい女がいた。二十才前後かしら? 妙に艶っぽい雰囲気のある女ね。でも、見た事が無いけれど、誰かしら……?
「蛍帥宮様は、いかがされたのでしょうか? このような簀子で……?」
「どうやら暗がりで転ばれ、目を回されたようです。直にお目も覚まされましょう。ご心配はいらないかと……」
ズリズリと重い唐衣裳を引き摺りつつ、その女房は蛍帥宮様、いえ、その周囲を囲むように座り込んでいる私達の所へとやって来て、同じく優雅に腰を下ろす。でもその艶っぽい眼差しは、私を完全に無視し、蛍帥宮様のお側にいる頼隆様だけに向けられている。後から来て、何、頼隆様に色っぽく流し目してるのよ!
「私は蛍帥宮様にお仕えする藤壺の女房ですが、あなた様はどちらの?」
「……失礼しました。私は左大臣家、鷹中将様の従者、頼隆と申します。本日は主に命じられて若宮様に……」
あら? 頼隆様のご様子が変? 油断無く膝立ちされていたのに、力が抜けた様に腰を下ろされてしまったわ。その眼差しは、私ではなく、私の横にいる藤壺の女房に向けられて動かない。一体どうして? 先程の私との甘い見つめ合いは何だったの?
でも、良く見ると、美しい女に見とれていると言うより、眉間に皺を寄せて鋭く険しい表情。
「なぜだ、力が……」
「頼隆様? どうされたの?」
悔しそうに歯を食いしばり、体を動かそうとされているけれど、視線すら動かせなくなった? 私も心配になって頼隆様に触れようと手を伸ばそうとする。けれど、なぜか私も身体の様子が変! 動かないのよ! まるで縄で縛り上げられているかのように、体は腕どころか指一本も動かせない。ひょっとして、これが呪縛というもの?
「頼隆様、困った御方ね。ここまで近づかねば術が効かないとは、なんてお強い精神力。でも捕らえたわ。……この内侍のおかげで、若宮を逃してしまったの。頼隆様、左大臣家に所縁のあなた様ならば、あの少年も捕らえられるわよね。ねえ、私のために捕まえてきて。でも、その前に、この邪魔な内侍をどこかに片付けてきてもらおうかしら?」
「そんなこと、誰がするか……。どちらも断る!」
頼隆様は鋭く睨みつけたまま。まだ眼差しにお力が籠っているわ、女の術に抵抗しているのよ。良かった、蛍帥宮様みたいにユラユラの頼隆様にならなくて。さすがに幻滅してしまうかも。
「あなた、私達に何をしたのよ! 何するつもり?」
クスクスと愉快そうに笑う女を、私も悔しさを籠めて睨み上げる。頼隆様みたいに迫力ある睨みは出来ないけれど、「勝気な目」と家族に言われる眼差しだから、ちょっとは効果があると思うの。……今はそれくらいしかできなくて……。身体が動かないんだもの。
「聞かれて答える馬鹿はいないわ。でも、頼隆様と蛍帥宮様は私のものにするわ。だから、まずは頂きます!」
なぜかしら? 「貰います」というより、お膳を前にした「食べます」のように聞こえるのは?
女は扇を胸元にしまうや嬉しそうに、頼隆様の端整な顔へと白く細い指を伸ばす。頼隆様もグッと歯を食いしばりつつ、避けようと不快そうに首を動かそうとされるけれど、どうにもならないみたい。女が近づくほどにお声も出せないみたいで、ヒューヒュー苦しそうに息をされているわ!
やめて、触らないで、近付かないで! 私の頼隆様なんだから!
女の妖しくもずうずうしい態度に腹が立つ。他の女が己の目の前で好きな殿方に触ろうとするなんて、これはもう女の戦いを挑まれたも同然よね! 怒りに身体が熱くなって、必死に身じろぎする!
ええい、何でもいい、動いてよ!
「ぼえー!」
その時だった。ドドド!と簀子に大きな足音がするや、亀太が私に駆け寄り、雄々しくも大声で一鳴きしたのよ!
「動いた!」
「何ですって!」
突然呪縛が解かれて、私の腕が自由になったの! ええ、もう、すかさず立ち上がって、女を力一杯突き飛ばしてやったわ! だって、馴れ馴れしくも、頼隆様に縋る様に身を寄せ、その端整な首筋に甘えるように顔を寄せようとしていたのよ! 頼隆様は眉間に皺を寄せて嫌がっているのに! 絶対に許せない!
先程の強気な態度とは打って変わって、女はドタッと情けなくも簀子に倒れ伏したわ、ほほほ、ざまあ、みろよ!
「ぼえ! ぼえ!」
「あ! あなた、その耳は! さっき庭向こうにいた獣耳の女だったのね!」
女の艶やかな黒髪の上ににょっきり獣耳が生えたわ! 亀太の鋭い吠え声に応えるように、ピクピク動いているじゃない。薄暗くて表着や袿の模様が見えていなかったから、気付かなかった。そうよ、あの獣耳の女なんだわ!
「食事より、おまえから先に片付ければ良かった。邪魔よ、消えなさい!」
「それはこちらの言いたい事よ! その獣耳があるのは許せても、頼隆様に触ったことは許せないわ! 消えなさい!」
シャキーン!と女の細い白魚の指から猫の様な鋭い爪が丸く伸びた!
ひえ~! 何よ、女の戦いに武器なんて卑怯よ、この女! いいえ、負ける訳にはいかないわ、頼隆様と、若宮様がかかっているのよ! メラメラと闘志が燃え上がってきたわ。
後宮は女の激しい戦いの場よ、って誰かが言っていたけれど、この事!ではないわよね。でも負けられないわ!
「ぼえ!」
亀太が檜扇を銜えてきて、私の足元にボトリと落とした。「これ使って!」とばかりに一鳴きする。
あら、どこへやったか分からずいた私の扇を探してきてくれたのね。実は役に立つではないの、亀太! 後で褒めてあげるわ。
扇を手にし、ギッとお互いに目を吊り上げ睨み合い、女の牙を剥き合った後、女の熾烈かつ最低級の争いの火蓋が切って落とされたわ。それとも戦いの銅鑼がゴワ~ンと鳴ったのかしら。周りからみたらどう思うかはともかく、本人たちは必死なの!
シャー! シャッ、シャッ、シャー!
獣耳の女は怒り狂った雌猫の様な声を上げた。爪を伸ばした両腕を縦横無尽に振り回す。あの爪が当たったら、私の重ね着した袿も、か弱い乙女の肌もただでは済まないわ。必死に避ける!
きやーきゃーきゃー!
こちらだって負けられないわ! 一番長い単の袖先を拳を庇うように巻き握り、自慢の檜扇を握った右腕と左拳を必死に力いっぱいグルグル振り回すの! 若干、檜扇の方が爪より長いせいか女の爪を弾き、かつ引っ叩く事に成功しているみたい。バシバシと時折良い音が響くの。さすが叔母様が出仕用に選んだ檜扇だわ!
なんかもう、お互いに腕を激しく振り、衣を翻す舞の様よ。ただ、拍子をとる楽の音が無いから、呼吸の間も取れずで、時折互いにゼイゼイ肩で息しつつ、再び大きく息を吸い込んだら、もうめちゃくちゃに振り回すの! だって、碌に人を叩いた事すらないのよ、争いが怖いのよ!
痛い! 何てことするの!
突然、腹部へ蹴りを受けて私は勢いに後ろへと飛ばされてしまった!
邸の奥深くで義妹と共に嗜み深く育ったはず、こんな争いに不慣れなはずの私は、あっさり思わぬ反撃を受けてしまったわ! 後宮女官が人を蹴るだなんて、何てはしたないの! ありえない!
重ね着した袿越しとはいえ、乱暴を受けた事には変わりない。強い衝撃と痛みで激しく咳き込んでしまう。あら? でも背は痛くは無いわ。簀子の硬い板床に打ち付けられたら、結構痛いはずなのに? 柔らかくもがっしりとした温かい何かに、体が受け止められている?
「危ない、小桃内侍!」
急に背後から覆いかぶさるように太く長い腕に抱き締められて、強引に横へと転がされた。えっ? と思って振り返ると、追撃してきた女の爪を頼隆様が抱えたまま避けてくださったのよ! さらに女の動き躱しつつも、お返しとばかりに蹴りも入れたみたい。
お体が動けるようになられたのね、ああ良かった!
平安風キャット・ファイト?




