01 出仕で喧嘩
ある晴れた春の日、大きな不安と期待を胸に、高貴な公達や女御様方がお住まいになる後宮に、私は女官の内侍として参内した。
様々な行事で騒がしいお正月が過ぎて、叔父様の寝殿造の館もやっと静かになった頃だった。義父の叔父様は、任国の受領として富を蓄えてちょっとした権力を持たれているので、お正月のお祝いにかこつけて、後ろ盾や有利な口利きを願う人達がご機嫌伺いに結構来ていたの。
酒宴で歌やら楽器やらで騒がれると書物を読むのに気が散るから、本当に嫌になる。まあ、その財力で食べさせてもらっているので、面と向かっては文句を言えないのがイライラの元なのよね。
昼間でも真冬のあまりの寒さに、外廊下の簀子と内廊下の廂の間の格子も閉め切っていた。優美な美人の義妹とは違って、やや勝気な目つきで血色の良い白い肌だけが自慢の私でも、さすがに青冷めてしまうくらい寒い。その西の対の自室で私は内衣の袿を何枚も重ね着込んで、火桶を前に寒さに震える。そんな時、ドタドタと内廊下の廂を足早に歩く音を響かせて、誰かが近づいて来た。
珍しい。叔母様はとてもお淑やかな物静かな方で、廂を滑るように歩かれるので、袴の流し裾をズリズリ引き摺る音しか立てないのに。
「桃子、私だ、入るぞ!」
バサリ! と内廊下の廂と部屋を分ける御簾をからげて飛び込んで来たのは、叔母様ではなく叔父様だった。やや興奮気味に顔を赤くし、直衣姿にちょっと烏帽子を傾けている。子供みたいで思わず吹き出しそうになって、笑みを扇で隠す。
「まあ、叔父様。こちらに来られるなんてお珍しい。どうされたんです? そんなに慌てて」
より貴族らしい上品な立ち居振る舞いになるよう普段は気を付けているのに、叔父は扇を持つ手をワタワタ振って慌てている。でも、怯えではなく喜びのあまりの興奮って感じね。
「聞け、桃子! 急だが、この春からそなたの後宮出仕が決まった! 女官の下級の内侍として、参内するのだ!」
「ええ! 何故いきなり? 叔父様、いつの間に出仕希望など出されていたのですか? 私、まったく聞かされてません!」
もう、突然過ぎてびっくりよ。だって、畏れ多くも帝様や東宮様や、その多くのお妃の女御様方がおられる後宮に出仕するなんて、寝耳に水だわ。もう結婚適齢期の十七歳で、やっと春に結婚するって決まった時だったから尚更なの!
やだ、ちょっと婚約者の頼隆様になんて言おう! 出仕は嬉しいけど、絶対に怒るわ、困っちゃう!
「いや、その、私も色々と考えることもあって、内々に働きかけてはいたのだ。まさか本当に願いが通るとは! それに、以前、そなたも言っておったではないか。そなたの亡き母のように後宮で働いてみたいと」
「ええ、そんなことも言ってはいましたけど……。でも、若子のように美人でもなく、既に両親も無く、誰の後見も期待できぬ身では……」
「何を言うか! そなたは勝気なところが可愛い姪、私にとっては娘も同然だ! その私が後見するのだ、何の問題がある? それとも、実の娘の若子とそなたを差別したと、私達夫婦の心をそなたは疑うのか? 悲しいぞ!」
褒められた気はしないけど、ちょっぴり泣き虫の叔父様の目がうるうるしてきている。
ああ、叔父様達の愛情を疑ってごめんなさい! ほんのちょっぴり、義妹(従姉妹)の若子の結婚の邪魔なんじゃないかとか、宮中の出世の足掛かりに義娘を出仕させようとしてるんじゃないか、と疑ってしまったの! 申し訳無さに胸がチクリと痛むわ。
「ごめんなさい、叔父様! 私だってこれまで育てて下さった叔父様、叔母様を今では親と思っています。叔父様は、私の夢を叶えて下さったのよね! ただ、突然の事でびっくりしちゃっただけなの!」
大事な叔父様のために、慌てて可愛らしく取り繕ってみた。
「おお、分かってくれたか、桃子! なに、恐れる事は無い、私がいる!」
「叔父様!」
叔父様の温かい直衣の広い袖に包まれてヒシっと二人抱き合い、叔父・姪の愛情をしっかり確かめ合う。ああ、寒い中の熱い叔父様、温かい! 暖を求めて縋ったせいか、不安気な子ども扱いされて頭をナデナデされた。もう十七歳だけど。
「驚かせて済まない。不安だろうが大丈夫、私達が親代わりとしてきちんとお仕度するよ。そなたを託してくれた我が姉、そなたの亡き母のためにも!」
「……でも、頼隆様との結婚はどうしたら良いのでしょうか? 私達、この春こそと……」
頼隆様は武家棟梁の御嫡男で、私より二歳年上の十九歳。叔父様に紹介されてから何度もお文を交わす仲なの。武家の若君に相応しく、お背ももの凄く高く肩幅広く頼りがいあるスッキリしたお姿。
女としてはお相手の確認も大事よね、と我が邸の庭にいる時に、コッソリ御簾の外を覗き込んで見てしまいました。殿方が姫君を覗き見る垣間見の逆ね。女房達曰く、どこの姫君も実は結構やっているらしい。誰だって相手のお顔も知らないのは不安だものね。でも、見て良かった、私! 幸運と叔父様の審美眼に感謝!
端整なお顔だけれどやや細目が眼光鋭すぎると女房達は言う。でも雅やかな公達に多い軟弱さはなくて、男らしく凛々しくて……。大きな手に太刀が似合うお方です。
このお正月にご昇進されてそれなりの官位を賜り、単なる警護従者から左大臣家の若君の側仕えとして認められたそう。だからそろそろお文ではなく、こちらに(婿として)通いたい(結婚)と、先日の訪問の際に、御簾越しに真っ赤な顔を片手で覆い隠しつつ、あらぬ方を見ながらも言ってくれた!
きゃあ! こっちも恥ずかしくなって思わず視線を反らしちゃった。側仕えの女房達が初心な私達をホホホと笑う。
全くもって胸ときめくような物言いではないし、情緒無しと言ってもいいくらい実直なお話だけど、武家の若君らしくて素敵。でも、突然の事だったので、私まで扇の陰で、それこそ熟れた桃のように、頬を熱く染めてしまったわ。私だって、ずっとそのお気持ちを待っていたんだもの。
あの時は嬉し恥ずかしで、照れ隠しに「やだ、もう~!」とか姿を隠す几帳の陰で言ったら、真面目な頼隆様は拒絶と勘違した。一気に顔を暗くして肩を落とし、外廊下の簀子から腰を上げ、諦め感を漂わせて帰ろうとされてしまった。それこそ、「やだ、もう~! 違います!」と、私や側仕えの女房達は慌てて引き留めたっけ。
「頼隆殿の事は……、まあ、私からあちらに話しておく。別に妃として入内する訳ではないのだ。出仕、女官として働くのだよ。女官の中には結婚しつつ働いている方々も多い。後宮仕えに慣れた頃、結婚すれば良いではないか」
「そ、そうですか。でも、春から出仕なんて突然で……」
普通、十分な根回しやお道具の準備、後宮に関する私の勉強を必要とするのに。何だか大きな不安が湧き上がって怖くなる。唯でさえ、この叔父様の邸内から碌に出た事も無い。お文でとある年老いた宮様に書物について教えを頂いてはいる。その事だけが、世間との繋がりなんだもの。
「どうも急な欠員が出たらしいのだ。そこで誰かいないかという時に、そなたが教えを乞うている宮様より推薦が上がったらしい。その宮様もそなたならやれると。それに私達もそなたには内侍だった母に劣らぬ嗜みを身に着けさせてきたつもりだ。そなたは何処に出しても恥じる事無き姫だ、大丈夫!」
ガシッと叔父様は私の肩を掴んで励ましてくれる。
「ありがとうございます! 私、頑張ります! ご推薦して下さった宮様のためにも、育てて下さった叔父様方のためにも!」
「ああ、そなたならやれる。その強気な所も亡き姉にそっくりだ。姉も退職を惜しまれるほどの立派な内侍だった。そなたもきっと素晴らしい内侍になって家を盛り立てるだろう!」
そうよ、不安から疑ってはいけないわ! 春に結婚する予定だったけれど、出仕した後に延期でも大丈夫なはず。結婚しながら後宮で働き続ける女官も多いって聞いたことあるし。それに、後見が叔父様でも父親がいない私には厳しい世の中だもの、結婚前の箔付けになって良いかもしれないわ! 叔父様、私のためにありがとう!
私の出仕への決心を確かめるや、邸内は再び私の出仕準備でお正月を迎える前のように大騒ぎになってしまった。一番割を食ったのは、邸の管理を預かり、義娘の支度を監督しなければならない叔母様だった。同じ出仕でも男性は通いで、女性は後宮に部屋を賜っての住み込み。だから、用意する物が必然的に多くなるのよ。
叔父様の沽券にも関わるから、下手な物は持たせられないと、参内日に間に合うように、叔母様は半狂乱になって、邸内の女房やら家人に指示しまくりだったわ。後宮女官の正装である唐衣裳の衣装やら持っていく小物やら何やら。本当に普段はお淑やかな方なのに……。
義娘のためにありがとうございます、と叔母様のお部屋に向かって手を合わせて、毎日感謝の祈りを送ったわ。
でも最初の暗雲が雷を伴って我が邸にやって来たの。叔父様に話を聞いたのか、頼隆様が珍しく怒りに目を細めていた。本当に眼光鋭い! 静かに、けど無理矢理怒りを抑えているのがビシビシ伝わって来て、まるで物語絵の獲物を狙う狼みたい。さすがにちょっとだけど怖い!
まだ正式に結婚した訳では無いし、出仕前の娘だからと言う事で、内廊下の廂にはお通しして、奥御簾を降ろして几帳越しに対面した。頼隆様の静かなる怒気に押されて、私を守るために侍っているはずの女房達が、何故か私の背後へズリズリ下がって行く。
「桃子姫、あなたが入内すると聞きました。一体どういうことか? 私とのご縁を進めるとお約束したはずでは?」
「あの、入内ではありません、出仕です! 内侍として働くのです。お怒りは分かるのですが、叔父と所縁ある宮様からのご推薦があって、急に決まって……」
しどろもどろ言い訳を重ねるけど、一向にお怒りは晴れなくて。どうしよう、と焦りが募る。こんなにお怒りになられるなんて!
「私とのご縁の方が先ではないですか! どうしてお断り下さらない? それに、後宮仕えなんて、純粋なあなたにはきっと向かない。あそこはただ美しいだけの世界ではない」
「向かないなんて、そんな! 私の母は内侍として働いていました。その跡を継いで何が悪いのでしょう? それに私はあなた様とのご縁をお断りした訳ではございません」
「後宮に上がられたら、私は容易にあなたに逢えなくなる。私はあくまでも頭中将様の側仕えだ。普通の婿のように妻の下に通えないではないか。私達のために、どうか出仕をお断りして下さい」
頼隆様の声がだんだん強くなってきて、お怒りも強くなってきたみたい。でも、私だって、断れない筋からのご推薦もあるのだから、「はい、そうします」とは言えないのよ。
「申し訳ございません。出仕はもう決定事項なのです。これまで育てて下さった叔父様のためにも、私からはお断りできません」
「私の、単なる武家棟梁の息子の妻になるだけではご不満か? 後宮で高貴な公達と付き合いたいのですか?」
「違います! そうではないのです! 私はあなたの妻になりたいと今でも……!」
どうして分かって下さらないの? 私はあの母上のようになれるか、試してみたいの、自分を! それに、厄介な頼りない養子の自分にようやく何かできると思えてきたのに!
「……あなたは欲張りだ。あちらもこちらも欲しいと望む。……本日は、これで失礼させていただく。心にも無いことを言ってしまいそうだ。しばらく間を置いた方が良い、あなたのためにも、私のためにも……」
「頼隆様!」
「失礼する!」
厳しくも悲し気に視線を反らせて、頼隆様はさっさと私に背を向け、恐ろしい程静かに立ち去っていってしまった。その冷気の様な怒りを滲ませたお背を見送っているうちに、悲しみに胸がいっぱいになって大粒の涙が零れる。けど、私は頼隆様を引き止めなかった。だって、やっぱり出仕は断ります、とは言えなかったから。
私達の遣り取りに圧倒されて何も言えずにいた女房達から話を聞いたのか、優しい叔母様が慰めにきて下さったけど、私は泣き顔を見られたくなくて奥に引き籠ってしまったわ。だって桃よりも赤い涙顔を見せたら、せっかく気合を入れてお仕度を進めて下さっている叔母様に不満を見せるようで、申し訳なかったから。
ある晴れた春の日、大きな不安と期待と、ちょっぴりの悲しい後悔を胸に、私は後宮に参内した。香を焚き歌を詠み、高貴な公達や女御様方がお住まいになる、亡き母上が活躍したきらきらしく雅やかな世界に飛び出したのよ。