7 調子
Ⅶ Side:S
カロルに対して、これほど助かったと思ったのはいつ以来だろう。
誰かに対して、怒鳴ったのはいつ以来だろう。
笑ったのは、いつ以来だろう。
とても懐かしい気分がした。シキという名前に、アキという名前に。
「おーい、シルビオー、本題はいいのかなー?」
「ん、そうだな」
呑気な声にすくい上げられる。だが、どうも気まずくてたまらない。
カロルが隣に座ってきたことをいいことに、シルビオは考えた。レイラには聞こえないよう、小声で告げる。
「おまえが振れ」
「なんで僕が?」
「本題、分かるだろ」
「やれやれ」
溜息を吐きながらも、彼は受諾してくれた。シルビオは心の中で安堵する。
「本題の質問だよ。どうして、キミはここに来たのかな?」
カロルを見ながら、シルビオは思う。よくもそんな気持ちのいい笑顔をできるものだと感心したことは、今は黙っておくことにしよう。
今は聞かなければならない。悪夢であろうことの警鐘を。
どこに転がっても、いいことにはならないという予感がしている。だが、構うものか。地獄でももう戻れない。ここにある時間を進むしかないのだ。
「私がここにきた理由、それは助けを求めるため。ヘルハルト――王位継承権、第一位の兄様が兵を挙げて、今夜、アキ兄さんを殺しに行くから」
予想とはちがった話に、シルビオもカロルも目を丸くする。王ではなく、王子が動くとは。
黙って視線を合わせる彼らに構わず、レイラは話を続ける。
「ヘルハルト兄様がその計画を話していた相手は、母様だった。母様は昔から兄様のことが大好きだし、たぶん一番に応援してる。だから、邪魔者を排除するのにはきっと躊躇わないわ。だから……!」
レイラの瞳から涙がこぼれた。彼女は自分でそれを力強く拭い、頭を下げる。
「おねがい、アキ兄さんを助けに行きたいの。一緒に行ってほしい」
開いた口が塞がらない。シルビオはそこまで驚いているというわけでもない。ただ本当に、開いた口が塞がりそうにないのだ。
「顔を、上げろよ、姫さん」
「……シルビオ?」
「俺なんかに、頭まで下げんな。調子狂うだろ」
シルビオは自身の口から出た言葉に驚く。彼女とは目を合わせまいと向いた先で、カロルが楽しそうに笑っていた。
「ちょっと、何言ってんのよ?」
「なんでもない、今のは忘れろ。それで、なんだ……あんたも一緒に行くのか?」
「ええ、もちろん。私を置いては行かせない」
「分かった」
少し道が逸れてしまったが、これでいい。
レイラが何を求めているかは分かっていた。だから、迷わない。
何年振りだろう、彼と会うのは。やっと顔を合わせ、言葉を交わすことができる。
「それじゃあ、出発するぞ」
「そうね、時間がないわ」
二人は席を立ち、家の外へ出た。レイラの連れてきた馬に跨がり、カロルの側へ寄る。
「じゃあ、僕は町の方を見てくるよ。状況の把握はしておかないとね」
「頼んだぞ、カロル」
「了解」
カロルに見送られて、二人は漆黒の城へと向かって進む。
シルビオは森を迷うことなく馬を走らせ、レイラはその背後でひんやりとした空気を感じていた。
そのうち、木々の隙間からヒューッと冷たい風が吹き抜け、漆黒の建物が彼らの視界に入ってくる。
しかし、シルビオは走りを止めなかった。今に止まってしまえば、やがて進めなくなってしまうだろうから。
急がなければ、城の入り口まで。あとは、流れで自然と進んでいくはずだ。
「…………」
城の前に着くと、シルビオは無言でそれを見上げた。
凜とそびえ立つ様には、思わず身震いがする。これが恐怖によるものなのか、かたや興奮によるものなのかは分からない。だが、ぞくぞくとする感覚が止まらないでいた。
「シルビオ、入らないの?」
レイラに話しかけられても、シルビオは視線を城へと向けたままでいる。
彼女を救い出しに来た時は、まだ現状を把握していなかった。フレディが「アキ」であることはもちろん、彼の存否さえ分かっていなかったのだ。
確信してから、こういう様である。我ながら、驚きの情けなさだ。
「ねぇ、シルビオ!」
現実に追いつけていない頭の中で、レイラの声が響いた。前襟を掴まれていれば、それもそうだろう。
「な、なんだ!」
「どこに意識を飛ばしているの? 行きましょうよ、中に」
「あ、ああ、そうだな」
レイラが掴んでいた手を放した。彼女のぬくもりにそっと触れ、シルビオは前を歩く。
無駄な期待が砕かれようが、構わない。根拠はないが、温かさに包まれた気がした。
そう、このときはまだ、本当に詳しいことなど考えていなかったのだ。