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12 光(後)

       **


 彼女は思い出す。

『シキ、なんで、なんで君はそんなにまぶしいんだ?』

『光がそこにあるからだ』

『え?』

『海は自分では光を出さない。反射するんだ。太陽の日差し、海の生き物、人間の作り出した物……これがあって、輝きを見せる。俺は一人じゃ、まったく輝かない。この十年を考えれば分かるだろう』

『でも、光は君だ。君こそ僕の光だ』

『いや、光はおまえだよ、アキ。おまえだった。まぶしいくらいに輝いていた、十年前までは。曇らされた。十年で、輝きは失われた』

『そっか、そうだね。じゃあ、今は? 今は誰が光なの?』

『分かってるんだろ?』

『うん、一人しかいないもん。あのはまぶしい。でも、僕はシキの声でその名前を言ってほしい。ほら、そこで待っているよ?』

『レイラ。俺の光はレイラ――あんただ』

 そして、彼女は涙を流す。いつもそうだった。


       **


「シキ……!」

 扉の隙間から、レイラたちは二人の様子を覗く。本当は駆け寄りたいが、シャドウがそれを許してはくれない。人がちょうど一人通れない幅に、扉を固定しているのだ。それは、何度も彼女が目で訴えても変わらなかった。

「そんなに見られても、開ける気は無いって言っただろ。行かせられない」

 この様子で、まったく動じないのである。レイラが諦めて俯いたところ、彼は加えて言う。

「まあ、見守ってやれよ。これは、大げさに言えば世界を救う戦いだ。だけど、もっと単純に言えば――」

 シャドウは言葉を切った。どこか辛そうな息づかいをしているが、顔を伏せられては表情が読み取れない。

「シャドウ?」

「ん、すまない。いや、単純に言えば、アキという人間を救うための対話だ。あいつに、多くの情報量を与えて、抱えきれなくなっては困るんだよ」

「分かったわ。ここで、アネットと一緒に見守る。それでいいんでしょう」

「ああ。心配するな。ここぞというときには、きちんと開けてやる。そこまで邪魔をしたいわけじゃあない」

「ありがとう」

 レイラの礼を背中に受けて、シャドウは影へと消えた。その後、彼の姿は見ていない。

 シキとアキから目を逸らしていたが、扉の間を吹き抜ける風に驚いて、とっさに視線を戻す。

 それは、シキの振るった剣から起こったものであったらしい。

「やっぱり、シキはすごいね」

「なーに言ってんだよ」

「ごめん、もっと僕につきあってくれるよね?」

「言われなくても。それをしに来たんだからな」

「うん、そうだね」

 アキは右手を顔の高さまで上げる。黒く染まったその腕をシキのいる方へ振ると、得体の知れない黒い影のようなものが出現した。その数、十数体――一人が相手をするには多い数だ。

「フッ」

 しかし、シキは笑った。数に対して、ではなく、アキに対して。

 アキは、苦しんでいるように眉をハの字に寄せているが、その口元は楽しそうに笑っているのだ。

 これはアキの希望の形である。これがアキの救いである。

 シキはそれを一ミリも否定したくないのだろう。

「来いよ、準備はできてる」

「じゃあ、おねがいね、シキ」

 飛んでくる黒い影に向かって、シキは剣を振り回した。黒い影に触れる度、それは光を放って対象を吹き飛ばす。闇を浄化する光の魔術、それが作用しているのだ。

「はぁっ……はぁっ……」

 十数体を相手にすれば、さすがのシキでも疲れが出るようだ。だが、アキは変わらない様子で彼を見つめる。いや……正確に言えば、アキは感情がどんどん薄くなっているように、レイラとアネットの目には映った。彼女たちは、ぎゅっと互いの手を握る。

「ごめんね、シキ。まだ、大丈夫だよね」

「ああ……次は、一気に来い。もう、終わらせたいんだろ? 違うか?」

「うん。じゃあ、そうするね」

 アキは再び、右手を上げて腕を振る。すると、先ほどと同じか、それ以上の数の黒い影が出現した。

 もはや、無事に終わる気はしなかった。

「……っ、シキっ」

 耐えられなくなって、レイラは扉に手を掛ける。揺らしてみるが、それが動く気配はまったくない。

 彼女の隣で見つめるアネットは、レイラを抱きしめた。

「あとすこし。辛いのは私も同じ。だから、おねがい」

 どうしたくても、彼女たちは耐えて見守るしかないのだ。

「ええ……ええ、そうね。せめて、しっかりと見守らないと」

「ええ」

 レイラたちは、再び部屋の中を覗く。

 二人が話している間には、何の動きもなかったらしい。

「どうした、アキ」

「ううん、もう終わらせたいよね。うん、僕も同じだ」

「ん?」

「知ってるよ、光のこと。君はもう限界だよね。だから、一回で終わらせてほしい」

「…………」

「シキ?」

「はぁ、おまえはいつもそうだな、アキ。ああ、分かったよ」

 シキは改めて、騎士のように剣を構えた。まぶたを閉じて静かに息を吸い、再び目を開く。

「我、其の鞘より剣を執りて、此の光を投じる。薙ぎ払え、光の剣よ!」

 シキの台詞に反応し、彼の持つ剣が光を放つ。彼がそれを横に払うと、アキの周りに漂っていた黒い影は浄化されて消えた。

 それだけではなく、辺りに漂う黒い霧も一気に消えていった。

「やっぱり、シキはすごいや」

 気が抜けたように、アキはその場に倒れ込んだ。彼を追うように、シキも膝から崩れ落ちる。

「……っ!」

 ガコンッ!

 音と共に開いた扉から、彼女たちは飛び出した。

「アキ!」

 アネットはアキの元に駆け寄り、彼の上体を起こす。そのとき腰元に触れた右手が、どろりと赤く染まった。

「ちょっ……アキ、これって」

「シーっ」

 彼女の唇に指を当て、アキはその先の言葉を遮る。これまでの苦しみがすべて嘘であったかのような、穏やかな笑みを浮かべた。

「ヘルハルトだよ、彼にやられたのさ。大丈夫だと思ってたんだけど、そうでもなかったみたいだね」

「もう……っ」

「そんな顔しないでよ、アネット。僕は、君の笑顔が一番好きだ。ねえ、昔みたいに、無邪気に笑ってよ」

「そんなっ……できるわけないじゃない」

「できるよ、アネットだもん」

 アキの言葉ひとつひとつが、アネットの心に響いた。止めようとしても、涙は自然とこぼれてしまう。

 だが、彼にはその涙を拭う気力がなかった。さらりとした彼女の赤毛を愛おしく触る。

 そんな彼らの元に、一人の男が近寄った。静かに座り込み、アキの視界にその姿が入り込む。

「ああ、記録の狼さんだね」

「はじめまして」

「君が僕の前にいるってことは、そういうことだよね。もちろん……僕は君にこの記憶をあげるよ。もう、だいぶ傷んでいるかもしれないけど」

「十分だ、ありがとう。ではお返しに、キミの願いを一つ聞こう」

「じゃあ……レイラとアネットを見守ってほしい」

「了解した。必ず」

 カロルがアキの手を取って、誓約を交わす。そして、手をそっと彼の胸元に置くと、レイラの叫ぶ声に振り返った。

「シキ! ねえ、しっかりして!」

 先刻までどうにか意識を保っていたシキが、突然に気を失ったのである。

 彼はすでに限界だった。

「カロル」

 絶望に震える声で、レイラは助けを求めた。

カロルは歩いてくると、優しく彼女の頭を撫でた。

「レイラ、落ち着いて聞いてほしい」

「なによ?」

「ちょっと、光と闇の魔法について」

「うん」

「闇の魔法は、悲しみや怒り、苦しみといった負の感情が糧となるんだ。だから、それを使うものは負の感情を抱きやすい。アキを見ていたら、おそらく意味は分かるね? そして、光の魔法は――」

「聞きたくない……」

 レイラは頭の中が冷たくなるような感覚を味わう。生きている心地がまったくしない。今すぐにでも倒れそうだ。

 そんな彼女の背中をカロルは支える。

「光の魔法は、命の時間を糧とする。使う者から時間を奪い、その強力な力を発揮するんだよ」

 そんな――その言葉は出てこなかった。信じられないわけではないのだ。信じられてしまう。いや、信じざるを得ない。この状況にあって、誰がそれを疑っていられるだろうか。

 ならば、もう迷っていられない。

「……っ」

「っ、レイラ、いったい何を」

 カロルが目を丸くするのも当然だ。

 レイラがシキに口づけをしたのだ。沈黙の時が一秒、また一秒と空気に刻まれていく。

「シキ、いつも私を助けてくれてありがとう。あなたが好き」

「……この状態で、告白ってどうなんだよ。気分が追いつかない」

「シ、シキ!」

「あー響く。うるさい、姫さん」

「もう!」

「お、おい」

 意識を取り戻したシキに、レイラが抱きつく。シキの方は上手く身体が動かせないらしく、ゆっくりと腕を上げて、彼女の髪を撫でた。

「すてきな奇跡だね」

「カロル」

「これは、レイラの中に在った光が起こした奇跡だ。だから、それは刹那の命……それでも?」

 彼の問いに、二人は顔を合わせる。静かに微笑みを交わすと、揃ってカロルに視線を向けた。

「俺は、少しでも共にいられるなら十分だ」

「ええ。え?」

「何だよ、その声は。笑わせんな」

「いや、そんなつもりじゃ……!」

 レイラの反応に、シキがいたずらっ子のような表情を浮かべる。ようやく望んだものが形になり始めた。

「ねえ、私の名前呼んで?」

「あんたが呼んでくれたらな」

「シキ……って改めて言うと恥ずかしい!」

「かわいいやつだな。愛してるよ、レイラ。俺でよければ」

「シキしかいない」

「フッ……ほら、もっと近づいてこい」

「はーい」


 二人はついに、互いが望んでキスをした。あたたかくて、とびきりに光輝く、最高の記憶おもいでだ。

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