12 光(後)
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彼女は思い出す。
『シキ、なんで、なんで君はそんなにまぶしいんだ?』
『光がそこにあるからだ』
『え?』
『海は自分では光を出さない。反射するんだ。太陽の日差し、海の生き物、人間の作り出した物……これがあって、輝きを見せる。俺は一人じゃ、まったく輝かない。この十年を考えれば分かるだろう』
『でも、光は君だ。君こそ僕の光だ』
『いや、光はおまえだよ、アキ。おまえだった。まぶしいくらいに輝いていた、十年前までは。曇らされた。十年で、輝きは失われた』
『そっか、そうだね。じゃあ、今は? 今は誰が光なの?』
『分かってるんだろ?』
『うん、一人しかいないもん。あの娘はまぶしい。でも、僕はシキの声でその名前を言ってほしい。ほら、そこで待っているよ?』
『レイラ。俺の光はレイラ――あんただ』
そして、彼女は涙を流す。いつもそうだった。
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「シキ……!」
扉の隙間から、レイラたちは二人の様子を覗く。本当は駆け寄りたいが、シャドウがそれを許してはくれない。人がちょうど一人通れない幅に、扉を固定しているのだ。それは、何度も彼女が目で訴えても変わらなかった。
「そんなに見られても、開ける気は無いって言っただろ。行かせられない」
この様子で、まったく動じないのである。レイラが諦めて俯いたところ、彼は加えて言う。
「まあ、見守ってやれよ。これは、大げさに言えば世界を救う戦いだ。だけど、もっと単純に言えば――」
シャドウは言葉を切った。どこか辛そうな息づかいをしているが、顔を伏せられては表情が読み取れない。
「シャドウ?」
「ん、すまない。いや、単純に言えば、アキという人間を救うための対話だ。あいつに、多くの情報量を与えて、抱えきれなくなっては困るんだよ」
「分かったわ。ここで、アネットと一緒に見守る。それでいいんでしょう」
「ああ。心配するな。ここぞというときには、きちんと開けてやる。そこまで邪魔をしたいわけじゃあない」
「ありがとう」
レイラの礼を背中に受けて、シャドウは影へと消えた。その後、彼の姿は見ていない。
シキとアキから目を逸らしていたが、扉の間を吹き抜ける風に驚いて、とっさに視線を戻す。
それは、シキの振るった剣から起こったものであったらしい。
「やっぱり、シキはすごいね」
「なーに言ってんだよ」
「ごめん、もっと僕につきあってくれるよね?」
「言われなくても。それをしに来たんだからな」
「うん、そうだね」
アキは右手を顔の高さまで上げる。黒く染まったその腕をシキのいる方へ振ると、得体の知れない黒い影のようなものが出現した。その数、十数体――一人が相手をするには多い数だ。
「フッ」
しかし、シキは笑った。数に対して、ではなく、アキに対して。
アキは、苦しんでいるように眉をハの字に寄せているが、その口元は楽しそうに笑っているのだ。
これはアキの希望の形である。これがアキの救いである。
シキはそれを一ミリも否定したくないのだろう。
「来いよ、準備はできてる」
「じゃあ、おねがいね、シキ」
飛んでくる黒い影に向かって、シキは剣を振り回した。黒い影に触れる度、それは光を放って対象を吹き飛ばす。闇を浄化する光の魔術、それが作用しているのだ。
「はぁっ……はぁっ……」
十数体を相手にすれば、さすがのシキでも疲れが出るようだ。だが、アキは変わらない様子で彼を見つめる。いや……正確に言えば、アキは感情がどんどん薄くなっているように、レイラとアネットの目には映った。彼女たちは、ぎゅっと互いの手を握る。
「ごめんね、シキ。まだ、大丈夫だよね」
「ああ……次は、一気に来い。もう、終わらせたいんだろ? 違うか?」
「うん。じゃあ、そうするね」
アキは再び、右手を上げて腕を振る。すると、先ほどと同じか、それ以上の数の黒い影が出現した。
もはや、無事に終わる気はしなかった。
「……っ、シキっ」
耐えられなくなって、レイラは扉に手を掛ける。揺らしてみるが、それが動く気配はまったくない。
彼女の隣で見つめるアネットは、レイラを抱きしめた。
「あとすこし。辛いのは私も同じ。だから、おねがい」
どうしたくても、彼女たちは耐えて見守るしかないのだ。
「ええ……ええ、そうね。せめて、しっかりと見守らないと」
「ええ」
レイラたちは、再び部屋の中を覗く。
二人が話している間には、何の動きもなかったらしい。
「どうした、アキ」
「ううん、もう終わらせたいよね。うん、僕も同じだ」
「ん?」
「知ってるよ、光のこと。君はもう限界だよね。だから、一回で終わらせてほしい」
「…………」
「シキ?」
「はぁ、おまえはいつもそうだな、アキ。ああ、分かったよ」
シキは改めて、騎士のように剣を構えた。まぶたを閉じて静かに息を吸い、再び目を開く。
「我、其の鞘より剣を執りて、此の光を投じる。薙ぎ払え、光の剣よ!」
シキの台詞に反応し、彼の持つ剣が光を放つ。彼がそれを横に払うと、アキの周りに漂っていた黒い影は浄化されて消えた。
それだけではなく、辺りに漂う黒い霧も一気に消えていった。
「やっぱり、シキはすごいや」
気が抜けたように、アキはその場に倒れ込んだ。彼を追うように、シキも膝から崩れ落ちる。
「……っ!」
ガコンッ!
音と共に開いた扉から、彼女たちは飛び出した。
「アキ!」
アネットはアキの元に駆け寄り、彼の上体を起こす。そのとき腰元に触れた右手が、どろりと赤く染まった。
「ちょっ……アキ、これって」
「シーっ」
彼女の唇に指を当て、アキはその先の言葉を遮る。これまでの苦しみがすべて嘘であったかのような、穏やかな笑みを浮かべた。
「ヘルハルトだよ、彼にやられたのさ。大丈夫だと思ってたんだけど、そうでもなかったみたいだね」
「もう……っ」
「そんな顔しないでよ、アネット。僕は、君の笑顔が一番好きだ。ねえ、昔みたいに、無邪気に笑ってよ」
「そんなっ……できるわけないじゃない」
「できるよ、アネットだもん」
アキの言葉ひとつひとつが、アネットの心に響いた。止めようとしても、涙は自然とこぼれてしまう。
だが、彼にはその涙を拭う気力がなかった。さらりとした彼女の赤毛を愛おしく触る。
そんな彼らの元に、一人の男が近寄った。静かに座り込み、アキの視界にその姿が入り込む。
「ああ、記録の狼さんだね」
「はじめまして」
「君が僕の前にいるってことは、そういうことだよね。もちろん……僕は君にこの記憶をあげるよ。もう、だいぶ傷んでいるかもしれないけど」
「十分だ、ありがとう。ではお返しに、キミの願いを一つ聞こう」
「じゃあ……レイラとアネットを見守ってほしい」
「了解した。必ず」
カロルがアキの手を取って、誓約を交わす。そして、手をそっと彼の胸元に置くと、レイラの叫ぶ声に振り返った。
「シキ! ねえ、しっかりして!」
先刻までどうにか意識を保っていたシキが、突然に気を失ったのである。
彼はすでに限界だった。
「カロル」
絶望に震える声で、レイラは助けを求めた。
カロルは歩いてくると、優しく彼女の頭を撫でた。
「レイラ、落ち着いて聞いてほしい」
「なによ?」
「ちょっと、光と闇の魔法について」
「うん」
「闇の魔法は、悲しみや怒り、苦しみといった負の感情が糧となるんだ。だから、それを使うものは負の感情を抱きやすい。アキを見ていたら、おそらく意味は分かるね? そして、光の魔法は――」
「聞きたくない……」
レイラは頭の中が冷たくなるような感覚を味わう。生きている心地がまったくしない。今すぐにでも倒れそうだ。
そんな彼女の背中をカロルは支える。
「光の魔法は、命の時間を糧とする。使う者から時間を奪い、その強力な力を発揮するんだよ」
そんな――その言葉は出てこなかった。信じられないわけではないのだ。信じられてしまう。いや、信じざるを得ない。この状況にあって、誰がそれを疑っていられるだろうか。
ならば、もう迷っていられない。
「……っ」
「っ、レイラ、いったい何を」
カロルが目を丸くするのも当然だ。
レイラがシキに口づけをしたのだ。沈黙の時が一秒、また一秒と空気に刻まれていく。
「シキ、いつも私を助けてくれてありがとう。あなたが好き」
「……この状態で、告白ってどうなんだよ。気分が追いつかない」
「シ、シキ!」
「あー響く。うるさい、姫さん」
「もう!」
「お、おい」
意識を取り戻したシキに、レイラが抱きつく。シキの方は上手く身体が動かせないらしく、ゆっくりと腕を上げて、彼女の髪を撫でた。
「すてきな奇跡だね」
「カロル」
「これは、レイラの中に在った光が起こした奇跡だ。だから、それは刹那の命……それでも?」
彼の問いに、二人は顔を合わせる。静かに微笑みを交わすと、揃ってカロルに視線を向けた。
「俺は、少しでも共にいられるなら十分だ」
「ええ。え?」
「何だよ、その声は。笑わせんな」
「いや、そんなつもりじゃ……!」
レイラの反応に、シキがいたずらっ子のような表情を浮かべる。ようやく望んだものが形になり始めた。
「ねえ、私の名前呼んで?」
「あんたが呼んでくれたらな」
「シキ……って改めて言うと恥ずかしい!」
「かわいいやつだな。愛してるよ、レイラ。俺でよければ」
「シキしかいない」
「フッ……ほら、もっと近づいてこい」
「はーい」
二人はついに、互いが望んでキスをした。あたたかくて、とびきりに光輝く、最高の記憶だ。




