11 真実と嘘
Ⅺ Side:S
俺は、本当のことを言えなかった。
あのきらきらと輝く瞳が、俺のすべてをふわりと優しく包み込んでくれたようで、その優しさに甘えて逃げてしまった。
だが、嘘をついたわけではない。本当に、一番の理由を言えなかっただけだ。「生まれ変わる」という、その先の真実を。
二回目の火事のあと、俺はカロルに出会った。それからはずっと彼と行動して、いろいろなことを教わった。
俺のこと、魔女のこと、魔法のこと、彼のこと――王族のことも。
だが、何も変わらなかった。嫌悪感はどうにも変わらない。
「おい、アキ! こんなのおかしいだろ、なんで行くんだよ! そんな勝手な奴らのところに!」
「ちょっと、君! 退きたまえ。場違いだよ」
「離せ! 王宮の奴は俺に触れるな!」
「シキ……ごめんね」
「アキ? おい、なんだよ、それ……俺……」
「決まった話だよ、君! ここは一般人の、まして子どもには何も変えられやしない。さあ、退きなさい。王子のお通りだ」
――手を伸ばしても届かなくなった。あいつらの、王宮のやつらの、王族のせいだ。
「僕は大丈夫だよ、シキ」
「アキ……おい、アキ!」
あの日のことは、やっぱり大きかった。
それで、俺は名を変えた。
誰にも気づかれないように。いつか、何か行動を起こせるようにと。
姫さんを助けたのは、ほんのきっかけだった。
「オタクの国には、こんな奴がいるぞ」と、実力を見せて、一発かましたかったから。
いや、実際はそれだけじゃない。
王宮を一目見たかった。アキが十年間も暮らしていた場所を見たかったんだ。
*
バシャッと音を立てつつ、水をくみ出す。
レイラに魔法のことが知られた以上、もう逃げてばかりではいられなくなった。
もう一度、バシャッと音を立てて、今度は顔を洗った。びしょびしょに濡れたまま、川を覗き込む。
「変わらない、俺も、アイツも」
ひらりと舞い降りた葉が波紋を描くまで、シルビオは過去に思いを馳せていた。
いくら状況が変わろうが、根の部分は変わらない。そう信じたかった。
『アキを救ってほしい、光の魔術師さんよ』
あのとき、シャドウという男はそう囁いた。
それはどう転がしても「アキは昔とはちがう。変わってしまったのだ」と信じざるを得ない言葉だった。
「あ、いたいた。シルビオ!」
ふと呑気な声に呼ばれて振り向くと、カロルが声に反する真剣な表情で立っていた。
「何か、あったのか?」
「あったよ、良くなさそうなニュース」
「動き出したか?」
「そういうこと。予想より早かったね。だから、もう近くにいる」
「近く、に……」
シルビオの脳内に、稲妻が走る。
まずい。今、彼女は一人でいる。鉢合わせでもしたら……。
「シルビオ?」
「姫さんが危ないかもしれない」
汲んだ水を放棄して、シルビオは走り出した。無事でいるか、状況を考える余裕もなかった。ただただ、夢中になって走る。
レイラのいたところに戻ると、そこは閑散としていた。人の姿は見えない。勇ましく燃えていた木や枝は勢いを無くし、真っ黒な炭へと姿を変えていた。周りの草花には、馬に踏み荒らされた跡が残っている。
唯一、レイラの馬だけが先ほどのまま残されていた。乗ってこいという挑発のつもりだろうか。
「カロル」
「うん」
「馬は何と」
「第一王子ヘルハルトが来た」
「やっぱりそうなのか」
目を合わせないままでカロルとの会話を終わらせ、シルビオは彼と馬の元へ歩み寄る。
「俺たちも向かうぞ。目的地は、漆黒の城以外にあり得ない」
「うん、僕も行くよ」
「心強い」
「あら、素直」
「うるさい」
二人で笑い合っていると、馬に早くとせがまれる。そうだったと、彼らは馬の背に乗り、馬は迷わず目的地へと走り出した。
だが、漆黒の城へと近づくたび、その勢いは衰えてしまった。
それは仕方の無いことだろう。身体に悪そうな、どんよりとした空気が蔓延しているのだ。まるで霧のように、黒いものが漂っていた。
「何だ、これ……」
「嫌な感じがするね……僕も見るのはたぶん初めてだけど、分かるよ。これは『闇の魔法』だ」
「まさか」
「そのまさか、だと」
ぞわりとした。体内の熱をすべて奪われた寒さが襲ってくる。
「シルビオ!」
カロルに名前を呼ばれ、はっとした。凍った全身に温かい血を送ろうと、彼は肩を回す。
「……大丈夫だ。悪い、もう少し頑張れるか?」
馬に話しかけると、それは自信があると答えたように見えた。少し生意気だと感じたのは、嘘だと思うことにしたシルビオである。
「よし、頼むぞ」
気合いを入れ直し、また走る。
目的地の城が見えた――そのときだった。
シャドウが城の壁から、文字通り抜けてきたのだ。その腕に、力の無いレイラを抱えて。
「レイラ……!」
馬を止めると、シルビオはすぐに彼女の元へと駆け寄った。
「はっ……ぁ……」
彼女は苦しそうな息を吐きながら、シャドウの腕の中で意識を朦朧とさせている。よく見ると、その首元には黒い染みが現われていた。
「何があったんだ、答えろ、シャドウ!」
「落ち着いて聞いてくれ、シルビオ。アキが取り乱したんだ。もう、オレにも術がない」
「それ、どういう……っ」
「シルビオ、落ち着こう。ね?」
頭が混乱する彼の目元を、カロルが左手で覆った。右手で背中を撫でる。
「おい、カロル。落ち着いたから離してくれ。俺はもうガキじゃない」
「はいはい。どうぞ、シャドウくん」
「ああ、悪いな。短めに伝えさせてもらう。お姫様は、アキの――闇の魔法を浴びた。これは身体に毒だ。すぐにどうにかした方がいい。そこの旦那にゃ分かるよな?」
「僕かい? もちろん。一度、シルビオの家に連れて行ったほうがいいね」
カロルの台詞に頷いたシャドウが、シルビオにレイラを託す。馬に乗った彼らが走り出そうとしたタイミングで、シャドウはカロルを呼び止めた。
「先に行ってるぞ」
そう言い残して、シルビオは馬を走らせて家に戻る。
カロルが合流したのは、シルビオがレイラを布団に寝かせてからすぐのことだった。
「あ……」
彼はその身に、アネットを乗せて帰ってきた。事情を聞きたいが、今はそれどころではない。
おそらく、シャドウが抱えきれずに預けてきたのだろう。そういうことにしておこう、と言い聞かせる。
「カロル、俺はどうすればいい」
ベッドから離れず、じっと答えを待つ。その近くに歩いてきたカロルは、答えを教える気は無いと表情で語っていた。ヒントを拾うために、じっとシルビオは返事を待つ。
「彼女はたぶん、アキの闇を吸い込んでしまった。それは直接的に浄化するのが一番早いね。つまり?」
シルビオは一瞬だけ動きを止めたが、そのあとは深く考えることも迷うこともなく、行動に移す。
深く息を吸って、レイラと顔を近づけた。そして、彼女の口元に自分の口をつけて、息を送る。口づけ――ではなく、人工呼吸のようなものである。
闇を吸い込んでしまったこと。首元に黒い染みが出ていたこと。
これらを直接的に浄化するならば、シルビオは彼の持つ『光の魔法』を文字通り、直接レイラの体内に送り込むのが一番だった。
「ふぅ……」
彼が仕事を終えると、レイラの首元から染みはすっと消え、呼吸も穏やかになっていた。
身体を起こしたシルビオは、安堵の表情とともに、驚きの感情を表に出した。
「本当に、本当に効くんだな」
「僕はちゃんと言ったはずだよ? 光は闇に効く薬だと」
「ああ。毒にも薬にもなるのは、火や水などを操る地の魔法。毒にしかならないのは闇の魔法。闇への特効薬となり、それ以上にもそれ以下にもならないのが光の魔法。確かに言っていたな、カロル」
「それはよかった」
にっこりと笑うカロルの後ろに、シルビオは微笑むアネットを見た。微笑んでいるが、今にも涙がこぼれ落ちそうなほどに瞳が潤んでいる。
「アネット、どうした?」
「シキ、あなた……やっぱり、光の魔術師って本当だったのね」
「なんだよ、それ。改めて言われると、照れくさいな」
「あなたでも照れるのね?」
「おまえまでそんなこと言うなよ」
アネットは「ふふ」と目を細くして笑う。一粒の涙が、彼女の頬を伝った。細い指でそれをすくい取り、アネットはもう一度微笑む。
「シキ、おねがい。アキを助けて」
「そのつもりだ。大事な友を、放ってはおけない」
「ありがとう。じゃあ、私からひとつ、伝えさせて」
「なんだ?」
「シャドウのことよ」
「あいつのこと、か」
「ええ。彼、自分のことを『生者を光として存在する影』とかって言ってなかった?」
「言ってたな」
「それ、本当にそのままの意味なのよ。彼は昔、魔女狩りで死んでしまった『アキの双子の兄弟』なの。彼の身体に、アキの『闇の魔法』が入ったことによって、シャドウが誕生した」
「そんなことが、あり得るんだな?」
シルビオの感情は、処理が追いつかなかった。光の魔法、闇の魔法、そのどちらも未知数のものすぎる。
ふとカロルに目を向けると、新たな発見に目を丸くして感心しているところであった。忘れないで覚えておいてくれと、その瞳はシルビオに語りかけてくる。
もちろん。そう頷きを返し、シルビオはアネットに礼を言い、剣を取って出かける支度を始めた。
「姫さんを頼む」
「分かったわ。あ……もし、彼女が目を覚ましたら?」
「彼女の好きにさせていい」
力強く頷きを返してくれたアネットに笑いかけ、彼はカロルと外に出る。
アネットに見送られながら、シルビオは紫瞳を持った灰色の狼の背中に乗って、漆黒の城へと向かっていった。




