終わりと始まりⅢ
遅くなりました。
始まりと終わりⅢ
私、ガーネット・アルスレイはアルカディス王家より子爵号を賜っているアルスレイ家の次女としてこの世に生まれた。
アルスレイ家は元々、王国領の西の国境地帯である西方辺土に領地を持つ地方領主、所謂辺土領主の一つだった。
西方から侵入して来た戦闘騎馬民族が土着化した我が一族は、その騎乗での戦闘に於ける能力の高さを買われて王国が形成される過程で王国に組み込まれ、後に領主である証の騎士位と領地を与えられて王国西方の辺地領土の守護を任された、所謂『辺土騎士』である。
こうした成り立ちの辺土騎士が護る騎士領は、古来より遊牧騎馬民族の侵入が度々繰り返された王国西方辺土の国境地帯に置かれ、その特徴は陪臣として特定の寄親である大中貴族との主従関係を持たず、王家の直参として異民族の侵入に限定はされるが自らの裁量で軍事行動を行う事が出来る点にあった。
ただ、王家直参とは言え彼らはあくまでも貴族より下位の準貴族でしかなく、規模も小さな上に王都から遠く離れた辺土の領地に留め置かれていた事から政治的発言力は小さく、中央の大貴族には無視されがちな存在であった。加えて、領民全てを戦闘員とする様な武門偏重な在り様は、徐々に魔法士としての能力を失い戦場とは疎遠になりつつあった中央の大中貴族たちからは粗野な蛮族と同様に見えたと言っても過言では無いだろう。
一方の辺土騎士も、中央の貴族たちを戦場では役立たない軟弱な腑抜けと嘲ていたので、双方の関係は決して良好とは言えない状態だった、ただ、辺土騎士が領地を離れられないため双方が顔を合わせて角を突き合わせる事は皆無と言ってい良かった、それは和えう意味不幸中の幸いであったと言うべきなのかもしれない。
そして何より、辺土騎士は中央の権力闘争に巻き込まれるのを嫌い政治には自分たちの存在が脅かされない以上は無関心であり、その関心は常に西の方角に向いていた。
それが王国の建国以来四〇〇年続く自らに課された責務であったのだから。
しかしながら、そうした辺土騎士らの思いを嘲笑うかのように王国の存在を脅かす脅威は背後から現れた。
彼らの護るべきモノは、その内側から崩れ去ったである。
八〇年前に勃発したバルト公の反乱、正史にはハルメルク戦役と記される内乱の勃発により王国は国家の背骨とも言うべき貴族の多くを失うこととなった。
長い歴史を持つ名門貴族を中心とした多くの上級貴族が反乱を起こしたバルト公爵側に付き配下の中級下級の貴族がそれに倣った結果だった。
これに対して、辺土騎士の多くは幾つかの例外を除けば王家に忠誠を誓い、直参戦力として王国陣営の軍へ参陣した。
当時、魔法戦力的にも兵力数的にも劣勢であった王国軍の陣営を最前線で支えたのはこうした準貴族階級であった辺土騎士や騎士たちで、これらの階級では純粋な貴族では無いが故に市井から魔法能力に長けた者を迎え入れる余地があり、まだまだ魔法士のしての戦力を充分に維持できていたのがその理由であり、更に戦闘に関する知識や技能の集積もあって内戦初期の王国軍の劣勢を食い止める大きな戦力と成り得た訳である。
勿論、辺土騎士たちが払った犠牲も小さくなかった。
我が家も含めて辺土騎士や騎士では主家分家を問わず当主や従士などの家臣の多くを反乱軍との戦いで失い、家督を次男三男以降が継ぐ例も多く断絶した家系も少なくなかった。
王家側も勿論その事実を認識していたので、『その忠節に応えるべく』として王国軍として戦う辺土騎士や騎士に対して爵位を授与し貴族として遇した。
幸い、爵位も領地も充分に有った、王家が公爵側に付いた貴族を反逆者と認定し爵位と領地を取り上げたからである。
その結果、我が家も思いがけず男爵位を与えられて新たに貴族の仲間入りをした訳である。
帝国側の貴族や王国でも古くから存在する貴族たちは、そうした新興貴族を『新貴族』或いは『俄貴族』『成り上がり』『爵位泥棒』と呼び、自分達よりも下の存在と見下した。もっとも、王国内の貴族たちは自分たちが戦争をする羽目になる事を恐れて公言などしなが。
そして現在、我が家が子爵の地位が有るのは、30年前の帝国の侵攻戦の際に味方であった筈の貴族の裏切りにより敵中に包囲された当時の王太子・現国王陛下と麾下の部隊を、祖父(とその指揮下の部隊)がその身を犠牲にして敵の囲みを破って救出を果たした功績に対する我が家への王家としての応報の結果であった。
そして、その成り立ち故に我が家は貴族である以前に武人であり、華美虚飾の類とは無縁の、質実剛健を家訓とし一族の者は須らく武術を嗜み、修練を重ねる、その様に武骨な一族であった。
私には二人の兄と一人の姉が居たが、私を含めて子供と言えども例外は無く幼少の頃から勉学と共に武術を修練を行い、長じては二人の兄の内一人は軍人として、もう一人は魔法士と成って戦場に身を置いていた。
3つ上の姉、エリザも幼少の頃より回復や治癒などの医療系魔法の適性が高かった事から医療魔法士の道を歩んでいたが、普段は嫋やかで穏やかな彼女も事有れば剣を手にして流血沙汰も厭わない一面を持っていた。
そして末っ子の私はと言えば、座学よりも身体を動かすのが好きな性分で剣や槍を振り回すのが好きな子供で、魔法も医療用よりも戦闘用のものに関心を持っていた。
しかし、当時は女性の戦闘用魔法の習得と使用は禁忌とされていて魔法士への道は無く、従って剣の腕に覚えもあった事から第二候補である軍人への道を志望したのだが、何故か魔法士としての素養が高かった事から医療士としての道が定められることと成ってしまったのである。
それが突然、私が14歳の歳に女性への戦闘用魔法の修得禁止が解かれる事と成った。
これで、晴れて魔法士への道を歩める可能性が生まれたが、私は素直には喜べなかった。
女性の戦闘用魔法の習得、つまり女性魔法士誕生を拒んでいたのは貴族階級だったと言われている、彼らの伝統的価値観では『女性は守られるもの』が有り、その価値感に基づく考え方だと言われているが、実際にはもう一つの伝統的価値観である『男尊女卑』の思想が有ったとも言われている。
彼らにとって女性とは護られるべき存在なのだ、決して護ってくれる存在ではない。だから女性は戦場などへ出てくることなく、家で震えていてほしい、そういう事なのだ。
そして、王国に於いても魔法士としての発言力は伝統的魔法士階級である貴族階級の方が強かった、従って王国に於いても女性による戦闘用魔法の習得が認められないことが慣例と成っていたのである。
それが何故、唐突に女性への戦闘魔法の習得が認められる事と成ったのか?
それには同年に行われた、帝国軍による国境地帯東部のサントメル地方への侵攻とそれに関する一連の戦闘、嫌、惨劇の存在があった。
この帝国による侵攻は、功名を求める貴族が私兵を動員して王国支配地へ侵入する典型的なガス抜き型侵攻だった。
貴族の私兵軍そのものは早々に撃破され戦闘も早期に終結すると思われたが、その隙を突くように帝国側傭兵の一群が王国側哨戒網をすり抜けて後方拠点を襲撃した。
拠点が有ったのは廃村と成ったカルゼン、ここには実地訓練中の研修生20名を含む50名の医療魔法士が配置されて敵味方を問わず負傷者を収容して治療を行っていた。
医療魔法士の殆どは前述の事情から女性であった。
彼女たちは自分達が傭兵隊に取り囲まれている事態に気付いた時、生き残ることよりも死を選んだ。
当時、帝国が雇う傭兵には大きく分けて二つの種類が有った、一つは戦闘を目的として貴族軍の中核を担う部隊、他方は、単に王国領へ入って強盗や殺人、強姦や誘拐などを行って大衆に不安と恐怖を植え付けるのが目的の部隊だった。
そしてこの時代、傭兵隊と言えば後者が主流で周辺国は意図してこの犯罪集団を援軍として王国内へ向かわせてい様に思われる。
彼女たちはそうした傭兵達の女性に対する扱いを聞き及んでいたので、彼らに囚われた女性に待つ未来を受け入れる事を拒んだのだ。
医療魔法士たちは、己の魔力の全てを注ぎ込んで意図的に魔力暴走を起こさせるとカルゼンの廃村諸共、傭兵隊と自身をこの世から消し去った。
これが惨劇の顛末だった、後にこの惨劇はその地名から❝カルゼンの惨劇❞と呼ばれる事に成る。
余談だが、これ以降王国は戦場に於いて傭兵の存在を否定し、降伏を認めず殲滅を基本とする様に成っている、当然、医療士による治療の対象にも含まれていない。
犠牲者には多くの前途有望な若い医療魔法士が含まれていた、またその魔法士としての性格上貴族の子女の割合も高かった。
結局貴族たちは、自身の価値観や都合が娘や孫娘を死に追いやった事に気付いた、いや気付かされたのである。
そして、それは私の両親も同じだった。
魔力暴走による自爆によって死に至ったカルゼンの惨劇の犠牲者には、副魔法士団長であるヴァンクリフ閣下の息女と並んで我が姉エリザも名を連ねていたのだ。
しかしながら、この事態に最も衝撃を受け狼狽したのは、当然の事であるが魔法士団と魔法省で有ろう。
何故ならば、人命と言う視点を抜いても医療魔法士の卵を含む50名が一瞬にして消え果てたのだ、魔法士と言う希少な人的資源を考えれば容認できる範疇を越えていたと言るだろう。
それ故に、魔法省と魔法士団のその後の対応は迅速であった。
彼らは医療魔法士にも戦闘用魔法の習得と戦闘訓練を課すことを決定、即座にそれは実行へ移されたのである。
医療魔法士として訓練中の者達に対して戦闘用魔法の訓練が医療魔法の習得に上乗せされる形で訓練が行われる事と成ったのである。
まず最初に行われたのは、護身術としての戦闘用魔法の習得と活用であった。
それは偏に、同じような人的損耗を行割ない為、更に娘や孫娘が無抵抗のまま死に至らしめられるのを防ぐことであった。
しかしながら、医療魔法士(女性)への戦闘魔法の訓練が始まると実態はその予定を越えて一気に加速することと成った、実際に習得させてみると女性訓練生一部は一般的な魔法士の素養を超える水準の力量を持っていたのだ。
それはある意味当然な事であった。
医療魔法は命に直結する人体内部への使用を目的とした技術であった、従って微細な魔力の制御が必須と成るのだが、これが戦闘用魔法の習得に於いても大きな優位性となっていたのだ。
やがて、一部の選抜された医療魔法士候補者には男性と同じ訓練、修練が行われる事と成り私もその中に残る結果と成った。
これが女性である医療魔法士が戦闘用魔法の習得と使用が認められる事と成った経緯であった。
そして、それ故に私は素直に喜ぶことが出来なかったのだが、それでも私は戦闘用魔法を習得し魔法士への道を選んだ。
それは志半ばで逝った姉やその友人たち魂を弔うためと、大事な人を失った悲しみと後悔を忘れる為でもあった。
勿論その道を歩むのは平坦でも容易でも無い、これまでの医療魔法の習得に加えて戦闘用魔法の習得と訓練が加わるのだからある意味当然である。
結局、約一年の死に物狂いの修練によって身に付いたのは、医療士としては充分な技術と護身用にしてはやや過剰な戦闘用魔法と言うやや半端な技術だった。
結局、私は医療士として医療隊へ配属される事と成った。
戦闘用の魔法士としては戦力的にまだ不十分な点があった事も理由だが、医療士の数も充分では無かった事から医療士として働きながら、自身と他の医療士を護る戦力となる事を期待されての配属でもあったのである。
勿論私に異論は無かった。
医療士として働くことに不満は無く、その上で仲間たちを護れる力に成れるならそれで先ずは充分だからだ。
私は見習い医療士として働きながら戦闘用魔法の腕を磨く日々を送っていたのだが、その真価を試される時は意外に早くやって来た。
私の配属された医療隊が国境付近で盗賊に襲われたのだ、それが今から半年ほど前の出来事だった。
夏に職場が変わって、中々時間を取れなくなって苦戦しています。
それでも年内に完結できるように頑張ります。