9 ハブハジメ
勘違いをされるといけないので、予め断っておきたいのだが、この島には確かにハブが棲息している。しかし、市街地で普通に生活をしている分にはハブに遭遇することはまずない。多くは山林や畑に棲息していて、しかもコウジがいっていたように、ハブは夜行性で、日中、おれの生活圏内で堂々とハブが目の前を横切るということはほとんどないのだ。
日中奴らがどこにいるのかといえば、石の下やこうやって積まれた農機具の隙間、生い茂った草木の根本など、日の当たらないジメジメとした場所でじっとしているわけだ。
それで、今おれはというと、その寝た子を起こそうと必死にハブ捕り棒で突っついている。及び腰で腕だけ伸ばしている姿は、傍から見たらなんとも間抜けに見えることだろう。
だが、それも仕方のないことだ。ハブは意外にも俊敏な動きで敵に噛み付くうえに、自分の体長くらいの距離はその体のバネをいかし、軽く跳躍してくるのだ。ハブと対峙するときは、決して近づきすぎないことが大切なのだ。
しかし、おれがいくらつついても、ハブはその深い緑褐色の鎖模様をうねらせるだけで、一向に頭を見せる気配がない。
ハブを捕獲するときは、必ず頭を捕まえないといけない。
尻尾を掴んだらどうなるか。まあ、想像はつくだろう? ハブは自由の利く頭を持ち上げて、おれめがけて攻撃してくるに違いない。だからおれはどんな間抜けな格好だったとしても、根気よくハブをつついて頭を出させようとしているわけだ。
「ぬーしょっとかい?」
「うわぁっ!」
完全に全神経をハブに持っていかれていたおれは、いつの間にか背後に寄っていた里山さんの声に驚いて、その場で飛び跳ねた。
「びっくりさせないでくださいよ!」
「いや、珍妙な踊りでもしとるんかい? ち、思ったんじゃが」
「違いますよ! ハブ見つけたんです。ほら、そこの肥料置いてるところの隙間!」
ハブ捕り棒でその隙間を指し示すと、里山さんはひょいと覗き込みながら「おお、おるわ」と嬉しそうにいって、おれからハブ捕り棒を掠め取った。そのまま、乱暴にハブの体を引っ掛けて持ち上げると、ハブはそのからだをくねらせて、物陰に隠れようとする。もう一度、棒を使ってハブを広い場所に引っ張り出すと、鮮やかな手つきでハブ捕り棒を操り、あっという間にハブの頭を掴んでしまった。
「おお、こりゃあ大物の金ハブじゃや!」
興奮して叫ぶ里山さんが高々と棒を掲げると、その先端から彼の身長ほどの長さのハブが、白っぽい腹を見せてだらりと垂れ下がった。時折、体をくねらせるが不思議なことに団子結びにはならない。
ちなみに金ハブというのは、体表が一般的なハブよりも黄みがかっている個体のことを指している。
里山さんにハブ箱と袋を持ってくるようにいわれ、おれが資材置き場から持ってくると、彼は慣れた様子でハブを袋に放り込み、それを縛ってハブ箱の中へと突っ込んだ。ひと仕事終えた様子の里山さんが満足そうにうなずいていう。
「あげ、いいサイズの金ハブが捕れたや。大澤君、あいつは役場じゃなくて、ハジメさんとこに持っていったほうがいいぞ」
「ハジメさんって?」
「ここから市内に向かう道沿いに、ハブの看板の出ている掘っ立て小屋があるだろ? あそこはハブの加工をしとるから、大物の金ハブは役場より高く買い取ってもらえるんじゃ」
「へぇ、そうなんですか?」
おれはハブはすべて保健所に持ち込むものだと思っていたので、そのういう場所があるのだと素直に驚いていた。ある意味、ハブを原材料に商売をするというのは理にかなっているようにも思えるが、よく考えてもみれば、生き物相手、しかも強力な毒をもつ危険生物を商売道具にするというのは、やはり、物好きとしかいいようがないように思えた。
結局、この日。里山さんの畑の草刈りを終えた午後四時過ぎには、ハブ箱には三匹のハブが捕獲されていた。もちろん、奴らを捕まえたのは里山さんだった。
「大澤君、お疲れ様。これ、持って帰ってよ」
そういって、里山さんは一抱えもあるほどのバナナをおれに寄越す。この島では、一般的なバナナよりも小ぶりな島バナナと呼ばれる品種を育てている。それでもこれだけの量があれば、毎朝おれはバナナで過ごすことになりそうだ。
「あと、ついでに捕まえたハブね。役場でもハジメさんのとこでも、勝手のいいところに持っていって、手伝い料の足しにしてよ」
小ぶりなバックル付きのプラケースにハブの入った麻袋を移し替えて、里山さんはおれにそれを押し付ける。おれは自然と有難いようで迷惑な苦笑いで顔を引きつらせて、そのケースをスクーターの荷台に括りつけた。
頼むから運転中に飛び出してこないでもらいたい。あと、横転事故にだけは気を付けないとな。
おれは里山さんの畑を後にして、ハジメさんのハブショップにむかうことにした。
スクーターで十五分ほどいった道路わきに、たしかにハブをかたどった看板らしきものが見えた。しかし、それは南国の太陽にすっかり色あせて、そういわれなければ、ハブだとも認識できないようなものだった。よく見れば、剥げたペンキにうっすらと『|HABU-HAJIME』と、店名のようなものも見て取れた。
おれは店先にスクーターを止めると、入り口の階段をのぼり、ガラスの引き戸を開けて店内に足を踏み入れた。
店内の棚にはハブ皮の製品や、グッズ、怪しげな粉末に、なんと総菜まで置いてあった。『大人気! ハブバーガー』とピンク色のかわいらしい文字と、これまた随分とかわいらしくデフォルメされたハブのイラストが描かれたポップが目を引く。
ちなみに、ひとつ四百円。売れるのだろうか?
おれは店内を見渡すが、店には店員らしい姿がない。そこで、暖簾のかかった店の奥のほうにむかって、おれは「すみませーん!」と大声をあげた。
ややあって、奥から「はーい」と返事があり、パタパタと足音を慣らしながら人が近づいてくる気配がした。「お待たせしましたー!」と朗らかな声をあげて暖簾をくぐってきたその人に、おれは目を見開いた。
そこに立っていたのは、他でもないヒメハブ……いや、依頼人、土生吉助の行方不明の娘。土生姫子、まさにその本人だったのだ。