8 草刈り機とハブ取り棒
「取り逃がしたぁ!?」
おれの耳元でコウジが大声をあげる。おれは顔をしかめながら、体ひとつ分、あとずさるように上半身をスウェーイングして距離をとった。尻の下でカウンターチェアがキッと小さな金属音を立てる。
「しょうがねぇだろ。相手スクーターだったんだぞ」
「俺そういっただろ?」
「いってねぇよ。ハブを持ち込んだっていってただけだ」
おれがため息をつくと「そうだったっけ?」と、とぼけながらコウジはグラスの焼酎を飲み干し、カウンターの中のマコトにおかわりを注文した。国内でもこの島だけに製造が認められている、特産の黒糖焼酎だ。島人たちにとって、焼酎といえば麦でも芋でもなく、黒糖なのだ。
ヒメコに接触を試みて失敗したあと、あしびばに戻ってきたおれが意気消沈しながら一杯引っ掛けていると、仕事終わりのコウジが現れて席を同じにしているというわけだ。ヤツはいつもこういう妙なタイミングで現れて、人の不幸を酒の肴にするタイプなのだ。
「それにしても、そのヒメコちゃん。まだ高校生の年齢なのに、ハブハンターをするなんて、ずいぶんと危ない橋を渡っているのね」
マコトは淡いブルーの琉球ガラスに入った焼酎をコウジの前に差し出すと、ヤツが飲み干した空のグラスを下げる。マコトの動きは一つひとつの無駄というものがない。見ているだけで、惚れぼれとする。しかし、今はマコトよりもヒメコだ。おれは邪念を振り払うと体をカウンターチェアごとコウジのほうへむける。
「マコトもそう思うよな? コウジはヒメコについて何か情報もってないか? 明日、コウジのよこした仕事の手伝いに行くんだ。そのくらいのギブアンドテイクは当然だろう?」
「うーん、とはいっても秘匿義務がなぁ」
わざとらしく腕組みするコウジの後頭部をおれは「ほざけ」といって小突く。これまで何回も同じやり取りを行っている、いわばおれたちなりの様式美だ。
「彼女、中学ではあまり交友関係が広いほうじゃなかったみたいだな。名前からヒメハブなんてあだ名で呼ばれていたみたいだ」
「ヒメハブ?」とおれは首をかしげる。
「ああ、一般的なホンハブよりも太くて短い蛇で、ホンハブよりは毒が弱くて動きもノロいんだ。だから、ヒメハブってのは『ノロマ』って意味でつかわれることもあるんだ。それでも毒は持っているし、ヒメハブにもちゃんと報奨金出るぜ」
「へえ。それじゃあヒメコのあだ名はあまりいい意味じゃなさそうだな。それで、ヒメコが行きそうな場所ってどこかありそうか?」
おれの質問にグラスに口をつけながら「どうだろうな」とコウジはいう。
「ヒメコは交友関係が狭い上に、ハブ箱をもっているからな。同世代の友人じゃあ、気持ち悪がって、泊めてくれないかもしれない。それよりもヒメコがどこでハブを捕っているか、ちゅうことだな。多くのハブ捕り名人はハブの出そうな場所を幾つか知っていて、そのポイントを巡回してまわるんだ。ヒメコがいつからハブハンターを始めたのかはわからんが、ハブのいそうなポイントでスクーターで入っていける場所を探す方法の方がいいかもしれん」
「それで、ハブのいる場所っていうのは?」
コウジは、そんなことも知らないのか、とでもいいたげに半目にした目をおれにむける。
「そりゃあ、森ん中に決まっとるっちば。あとは光に弱くて夜行性だ。だから夜の森を回りゃ見つかるかもな」
おれはがっくりとうなだれた。この島は面積のほとんどが山林だ。おまけに今朝方ワタルがいっていたように、その奥地ともなれば、ほとんど誰の目にも触れることがないような場所。ハブどころか出会ってはいけないものにも出会えそうだ。
おれは大きく嘆息をして手元のグラスに視線を落とした。せっかく見つけたヒメコだったが、今日取り逃がしてしまったのは痛いミスだった。
「まあ、とりあえず今日は諦めな。酒を飲んでるし、何より明日の仕事に差し支えたら困るからな」
コウジの言葉はおれへの気遣いではなく、自分のメンツのためだ。まあ、だからといって、おれも受けた仕事をすっぽかすような真似だけはしない。こういう仕事は信用がものをいうからな。
「そういうわけで、明日はよろしく頼むわ。里山さんの畑の場所は覚えとるか?」
「大丈夫だ」
「それじゃ、明日のアキオの仕事の成功を願って乾杯!」
コウジがそういってグラスを高々と掲げてみせた。おれは力なく微笑んで、そのグラスにカチンと自分のグラスを合わせた。仕方ない、明日、しっかりと頭を働かせながら考えるとしよう。
そう思いながら、おれも焼酎をもう一杯おかわりをした。結局、その日、おれがベッドにもぐりこんだのは、午前〇時を過ぎてからだった。
翌朝。早朝におれはスクーターに乗って事務所を出発した。 ガソリンが少し心許ないが、いって帰るだけの余裕はありそうだった。午前八時に里山さんのバナナ畑に到着すると、里山さんはゴム長靴に大きな麦藁帽の農作業スタイルで、一年ぶりのおれを豪快な笑い声とともに迎え入れてくれる。
「よういもりしょったな! きょらねっせ!」
「久しぶりです、里山さん。いきなりで悪いんですけど、おれも今日はなるべく早く済ませたいんで、さっさと済ませてしまいましょうか」
おれが腕まくりをして気合をいれると、里山さんはもう一度がははと笑いながら、いった。
「じゃあ、大澤君はそっちの藪のほうの草刈りから頼む。草刈り機はこれを使ってくれ」
そういって、里山さんが視線を送った先、小型エンジンつきの草刈り機に立てかけられていた細長い木製の棒を見て、おれは無意識にため息をこぼした。
長さ一.五メートルほどの細い角材には、金属の棒を曲げて作った取っ手のようなものがついている。その取っ手には太いゴムバンドが結わえ付けられており、反対側は木材の先端で鉤爪状になっている。
それはこの島で『ハブ捕り棒』と呼ばれる、ハブ捕獲用の道具だった。ハンドルになる取っ手を押し出し、鉤爪になっている部分にハブの頭部を引っ掛けハンドルを放すと、ゴムの力で鉤爪が戻り棒の先端に挟み込む仕掛けになっている。
おれはそのハブ捕り棒を手にすると「やっぱり、これ使いますよね?」とため息混じりにいう。
「いやあ、素手じゃ大変じゃて」
「そういう意味じゃなくてですね」
「なに、この集落じゃハブなんて珍しくもなんでもねえっちばよ。ハブ捕まえて、《《手伝い料》》の足しにしちょくりんしょりよ。だりば、ワンはむこうにいてるから、なんかあったら呼んでくれ」
そういって、里山さんはバナナ畑の反対側へと歩き去った。
奄美大島では島バナナと呼ばれる、小ぶりなバナナの生産も盛んだ。目の前には子供の背丈はありそうな巨大なバナナの葉っぱが、鮮やかな緑色の噴水のように広がっている。二メートルほどの高さのところに、巨大な花が咲いていた。まるで、異世界に生息する首長のドラゴンが口を開けて咆哮しているような、珍妙な姿をしている。その花の根本には果房が鱗のように密集している。あとひと月もすれば、黄色く熟したバナナになるようだ。
ちなみに、バナナは厳密には樹木ではなく、草本、つまり草だということをしっているかい? おれはこの畑に来て初めて知った。もっとも、バナナの実がこんなふうになっているということも、ここで初めて見たのだが。なんでも屋をやっていると、いろんな発見があって、それはそれで面白いのだ。
順調に草刈りを進めていたおれだったが、ふと嫌な気配を感じ取り、草刈り機のエンジンを止め、畑の脇に目をやった。
里山さんは農家の癖にものぐさな性格をしているようで、よく畑の脇に肥料の袋やら、材木やらが積んであるのだが、その積まれた肥料袋の隙間に明らかにぬめりけのある、緑褐色の鎖模様がのぞいていた。
やはりこうなるのか。
落胆したおれの視界は、昼間だというのにすっかり暗くなっていた。
ハブさまのお出ましであった。