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7 土生姫子

 朝にはまだ障子紙のような淡い乳白色をしていた空模様は、午後に入ると突然崩れ始めて、鉛色を濃くしながら新緑に萌える山の稜線をにじませ、ついには大粒の雨を落とし始めた。

 おれはもうかれこれ数時間ほど、役場支所にある保健所の待合で訪れる人々をチェックしていた。長時間、役場の長椅子に座っていれば大いに不審者っぽいのだが、雨宿りを装うことで多少なりとも言い訳も立ちそうだ。もっとも、本当に傘を持ってくるのを忘れた失態を後悔していないわけではない。

 座って手にした雑誌を読みふけるふりをしながら、おれが何をしているかというと、土生の娘、姫子ヒメコが現れるのを待っているのだ。


 午前中にコウジから電話で『ヒメコを見た』と聞いたおれが、どこで見かけたのかを問い詰めると、『明日、草刈りの仕事の手伝い(・・・)と引き換えに教えてやる』と、ヤツは交換条件を提示してきやがった。結局おれは、その条件をのむしかなかったわけだ。それに、運よくコウジがいう場所でヒメコに出会うことができれば、そこで仕事が終わるかもしれなかった。つまり、三日間も仕事にかける必要がなくなるのだ。例えそうならなかったとしても、明日一日をコウジの仕事に時間を取られたとして、まだあと一日はヒメコの捜索に充てることができる。当てがあるのとないのとでは、その仕事の効率は段違いに違うはずだ。

 渋々ながらもおれがコウジの仕事を承諾すると、ヤツはいった。


『ヒメコなら、つい二、三日前に市の保健所で見かけた。あの子、ハブの持ち込みをしていたみたいだぜ』


 おれは「ハブ?」とまた変てこな声をあげてしまった。


『ああ、スクーターの後ろにハブ箱を括りつけていた。もしかして、夜な夜な出歩いているってのは、ハブ捕りかもな。でも、もしそうだとしたら、それこそ急いで辞めさせなきゃならんな。ハブの毒をなめてると本気で命にかかわる。だいたい、十五そこそこの娘の小遣い稼ぎにするにはハブ捕りはリスクが高すぎる。もし俺も見かけることがあったら声を掛けるが、今日あたり保健所の前で張っていたほうがいいんじゃないか?』


 コウジにそういわれて、おれも納得した。この島ではハブは一匹三千円で買い取ってもらえる。一晩かけて三匹を捕獲したとするなら、原付のガソリン代を引いたとしても上りは八千円ほど。高校生にとって悪い小遣いではないが、それならコンビニで五時間のバイトを二日間かけて行ったほうが、より確実だしリスクは少ないようにも思える。ならば、なぜヒメコがそんな危険な小遣い稼ぎをするようになったのかが気になる。

 おれはとりあえず、コウジに礼をいうと、電話を切って街の南のはずれにある保健所にむかい、今に至るというわけだ。


 柱にかけられた何の飾り気もない銀縁の丸い時計の針は、午後五時を指し示していた。今日は収穫なしか、と諦めて席を立とうとしたとき、窓の外、雨の降りしきる駐車場に一台のスクーターがやってきた。そのスクーターの後ろにはハブ箱と呼ばれる、捕獲したハブを入れておく木製の箱が括りつけられていた。

 そのスクーターに乗っている人は全身レインジャケットに身を包んでいて、ここからでは顔はわからなかったが、そのピンク色をベースにしたレインジャケットと、小さな体格から女だろうとは推察された。彼女は雨の中、ジャケットを着たままこの役場の窓口へとむかって階段をのぼってくる。

 やがて、重いガラスの扉があいたとき、おれは彼女の顔を見て呆気にとられながら、まったく意図しない名前が口をついて出てきた。


「アスナ……?」


 数年前、越智おち愛朱那あすなとおれは、東京でいっしょにユニットを組んで音楽活動をしていた。

 はじめは池袋周辺での路上ライブから始まり、やがてそれが人づてに噂となり、ライブハウスで対バンライブをするようになると、回を追うごとにおれたちのライブを見に来る人も増えていった。

 そのうちに、おれたち二人が単独でライブを開催するまでの実力が付くようになると、とある芸能プロダクションの目に留まり、おれたちは事務所所属のアーティストとなった。

 アスナの類まれな透明感と伸びやかなハイトーンを生かした歌声は、多くの人を魅了し、やがて、東京のラジオ局でアスナの歌を「奇跡の歌声」と称し、パワープッシュとしておれたちが一押しアーティストに選ばれたとたん、おれたちの音楽はわずか数週間の間に一気にミュージックチャートを駆け上がっていった。


 あんたたちもそのタイトルくらいは聞いたことがあるだろう。

 Reveレーヴの『ありがとうを花束に』。

 やがてドラマの主題歌にこの『ありがとうを花束に』が採用されるなど、おれとアスナのミュージシャンとしての未来がトンネルの先で白くにじむ出口の光のように、ぼんやりと輝き始めたとそう思えた矢先のことだった。


 アスナはその奇跡の歌声を、そしておれはそのアスナ本人を永遠に失うことになったんだ。


 その、数年前に失ったはずのアスナの面影を宿した少女を、おれはただ視線で追いかけていた。彼女は役場の職員に声を掛けると、ふたたび外に出てスクーターごと、保健所裏手にあるハブ保管庫へと向かったようだった。

 おれは脳裏によぎった過去の面影を振り払うと、急いで彼女の後を追った。

 職員にハブを引き渡して報奨金を受け取り、降りしきる雨の中を、スクーターにまたがって帰り支度をしていた彼女におれは近づいた。


「あの、すみません。少しいいですか?」


 突然声を掛けられた少女は、戸惑いと不審感をあらわにしながら振り返った。その瞳に明らかに拒絶の色が浮かぶ。


「えっと、土生はぶ姫子ひめこさんで間違いないよね? おれは大澤アキオ、実は君のお父さんに君を探すように頼まれていたんだ。少し話を聞かせてくれないか?」


 彼女は、おれにむけていた視線を、興味をなくしたようにはずすと、スクーターのキーを捻り、エンジンをスタートさせた。


「時間はそんなにとらないから」

「じゃあ、父さんにいっといて。もう、あたしのことは放っておいてくれて構わないからって。じゃあね」


 そういって彼女はアクセルを捻り、貧弱なエンジン音を響かせながら走り去ってしまった。あわててそのスクーターを追いかけるも、おれが駐車場から道路に飛び出した時には、雨に濡れるアスファルトに映り込んだ青色の信号の光のむこうに、弱々しいテールランプの赤い光が消えていくところだった。

 雨に打たれながら、おれは事務所にスクーターを置いてきたことを心から後悔した。

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