4 依頼人 土生吉助
東京にいた頃、おれは生活のために昼夜を問わず、ほとんど毎日のように働いた。日中は工事現場の土方からマンション建設現場の作業員、引っ越し作業員もやった。夜には居酒屋の店員や飲食店をいくつも経験したし、自分の音楽活動の必要性からウェブデザインやフライヤーデザインなんかも勉強した。
とにかくいろんなアルバイトをこなすことで、おれは広く浅く、多くの知識や技術を身につけた。当時はそれが、こんな形で役に立つことがあるとは思いもしなかったが。
おれがこの島にやってきてすしばらくした頃だった。当然、住む場所も仕事もなく、安宿を渡り歩いて手持ちの資金もそろそろ尽きようとしていたおれは、市役所の保護課の相談窓口へむかった。
市役所の保護課のカウンターの男は、おれをみて「こん、フリムンが」といい放ちやがった。フリムンというのは、島の言葉で「狂い者」、要するに馬鹿野郎という、まあ、罵り言葉だ。当然、初めて島に来たおれにはそれがそういう意味だということはわからなかったが、後になって知った。そのときは、そいつに一発殴らせろとくってかかった。
ところが、そのおれを馬鹿野郎呼ばわりした男はおれが東京から島にやってきて、住む場所を探しているという話をしたとたん、ころっと態度を変えやがった。
「なんじゃあ、もしかしてナンは移住希望者かい? そうじゃったら、はようそういわんば! ちょっと待っとりよ」
そういうと男は席に戻ってどこかに電話をかけた。五分ほどたって戻ってきた男はにっと歯を見せて笑いながらいった。
「この上の階にある移住促進課のハタケっちゅう人が相談にのるっちば、そっちでいろいろきいたらいい。まあ、きばりんしょりよ」
結局、その男が紹介してくれた移住相談員のハタケとの面談を経て、おれはこの建物のテナントを貸りることができ、さらに、ハタケの手びきもあって、地域おこし協力隊のサポートメンバーとして、市内各地の地域おこしイベントなどの手伝いのアルバイトをさせてもらうことになった。
東京であらゆるバイトに広く浅く手を染めていたことが功を奏し、おれはいろんな方面から手伝いを依頼される機会が増えはじめ、やがて協力隊のアルバイト以外でも仕事が舞い込むようになったこともあり、この『ANY』というなんでも屋業を始めたのだ。
これまでに受けた依頼のほとんどは、地域おこしイベントなどの協力の他、畑の手伝いや漁の手伝い、高齢者の家の掃除などだった。要するに、人手が欲しい時のお助けマンや介護よりは程度の低いお年寄りたちの手伝いだ。
そんなおれに目の前の男は「娘を探してほしい」などと随分と酔狂な依頼をしてきた。
おれはいったん気を落ち着けると、もう一度余裕のある素振りを匂わせながら(すでにもう手遅れだが)、姿勢を正しながら目の前の男にむかっていった。
「娘を探してほしいというのは、すこし漠然としているけど、つまりは人探しをしてほしい、そういうことでいいんだな?」
男はこくりとうなずく。
「ちなみに、あなたの名前は?」
「土生吉助といいます。どうか娘を探し出してもらえないでしょうか」
男はうやうやしく頭をさげながらいった。
「えっと、まず、その娘というのは土生さんの実の娘さんということで間違いはないんだな?」
「ええ、そうです」
「歳はいくつなんだ?」
「一六歳です。去年中学を卒業しています」
ちょっと待て、とおれは土生の言葉を遮った。
「土生さんとはどこか別の場所で生活している娘さんを探すのか、それとも行方不明になっている娘さんを探すのかで意味合いはまったく違ってくる。まずそれをはっきりさせてくれないと、受ける受けないという話にすらならない」
すこし棘のあるいい方だったかと思ったが、そこははっきりさせておかなければならない。もし、後者ならばそれはおれの出る幕じゃない。
土生は押し黙って言葉を呑み込んだ。ふたたび目線が泳ぎ、テーブルの上に置いてある手のひらを握ったり開いたりを繰り返す。数秒間の空白の後、土生はぼそりと口の中だけで聞こえるほどの小さな声でいった。
「後者です。数日前に娘が出ていったきり、家にも帰ってきていません」
「そうか……」おれは煙草を一本ぬいて、フィルターを軽くテーブルに打ち付けた「だったら、おれじゃなくて警察署にいったほうがいい。それも今すぐに」
会話を打ち切るように、おれは煙草を咥えて、点火したオイルライターを左手で覆うようにして煙草に火をつけた。微かに煙草の葉が爆ぜる音がして、先端にじわりと紅い光が灯った。手首のスナップでオイルライターを閉める。かしゃんと金属がなる音とともに手のひらにわずかな手ごたえを感じながら、おれはゆっくりと煙を吸い込んだ。
要するに、おれはこの仕事を断ったのだ。しかし、土生はその場を動く気配がない。
おれは土生から顔をそむけてふっと煙を吐き出すと、そのまま離れた窓の外の光をぼんやりと見つめていう。
「さっきもいったけれど、警察に任せるべきだ。急がないと、なんらかの事件に巻き込まれる可能性だってある。手遅れになる前に、警察に行ったほうがいい。もし、どうしても警察に行きづらいなら、知り合いを紹介してやるし、それもダメなら、おれが一緒に警察にいく《《手伝い》》をしてやってもいい」
「ダメなんです」
ぼそりと土生がいった。テーブルの上のコーヒーカップを見つめたまま、もう一度「ダメなんです。警察じゃ」と今度ははっきりとおれの耳に届く声でいった。
「そんなことをいっている場合じゃあ」
「もしかしたら、娘は、姫子は、犯罪を犯している可能性があるんです。だから、警察は……」
土生の視線を感じておれは彼にむき直る。それまでうつむき加減だった土生は、顔をあげてまるで突き通すような目線をおれに送っていた。
おれはまだ十分に残っている煙草を灰皿に押し付けると、大きくため息をついた。
「わかった。とりあえず、話だけはきく。だが、その上で警察に任せたほうがいいと判断したら、おれと一緒に警察署にいくんだ。その場合の手伝い料はいらない。とりあえず、土生さんの娘の話をきかせてもらいたい。場所を移そう」
そういっておれが立ち上がると、土生は「ありがとうございます!」とテーブルに頭がつきそうなほど、深い礼をした。まだ、何一つはじまっちゃいないんだがな。