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2 アキオとマコト

 手にしたコーヒーカップを傾けながら、おれはいつものようにその日の新聞記事に目を通していた。

 最近はどこにいっても喫煙者の肩身はせまいのだが、このカフェ「あしびば」では朝と夜の時間帯ならばテーブルで喫煙ができるのがありがたい。

 もっとも、分煙であるため喫煙席は店の奥まった場所に追いやられているが、日当たりのいい窓際の席に座ろうとも思っちゃいないから、特に気にもならない。

 何せ、ここでの朝のコーヒータイムが終われば、おれはひとつ上のフロアの事務所兼住居に戻るのだ。窓から見える景色はおれの事務所からと何ら変わらないわけで、おそらくは通勤途中の車や、自転車に乗った高校生たちが忙しない朝の時間を過ごしているのが見えるだけだ。

 舌先をピリっと刺激する煙草をゆっくりと味わっていると、マコトがおかわりの入ったコーヒーポットを片手に近づいてきた。


「アキオさん、おかわりはいかがですか?」


 手にしたポットをついっと持ち上げて笑ってみせる。マコトはまるで欧米人とのハーフのような美しい顔立ちをしていて、いつも長い髪を頭の後ろでヘアクリップでまとめている。すりガラスのように柔らかな乳白色をしたほっそりとした腕は、南国人とは思えない白さと透明感だ。

 おれはソーサーからほんの少しだけカップを持ち上げると、「ああ、貰うよ」とおかわりを頼んだ。

 この店ではモーニングセットのコーヒーはおかわり自由だ。

 まあ、普通は朝の忙しい時間、せいぜいコーヒーを二杯も飲めば、皆慌ただしく出勤していく。そんな中でたっぷり一時間、コーヒーを片手に新聞を読みふけっているおれは店にとって利益率の良い客ではないだろうが、そんなことをマコトは微塵も感じさせず、それどころか、いつでもおれがおかわりをしようかと思った、まさにそのタイミングにテーブルにやってきて、おかわりをきいてくれるのだ。

 この店が事務所の下にあったのは偶然だが、おれがここを贔屓にするのは当然のことだと思うだろ。美人店員と上手いコーヒー、煙草も吸えるし、なんといっても居心地がいい。


「いつも熱心に新聞を読まれるんですね」


 マコトは興味深そうな瞳をむけて、注ぎ終わったカップをおれのまえにすっと差し出した。おれは取っ手(ハンドルっていうらしい!)に指を通し、口元にカップを近づける。香ばしく焙煎されたコーヒーのふくよかな香りが煙草に満たされていた肺の中にフレッシュな空気を運ぶ。


「一応ね。仕事に繋がることもあるかもしれないし、まだまだ島のこと、知らないことのほうが多いからね」

「アキオさん、以前は確か東京にいらっしゃったんですよね?」

「ああ」といいながらも、おれはわずかに肩を持ち上げてみせた。「出身は小さな片田舎の町だけどね」


 マコトは左手を口元にあてがいクスリと笑う。


「それで、今はまたこんな辺鄙へんぴな離島ですか?」


 マコトが辺鄙な離島、と表現したこの島にやってきたのは、ほんの気まぐれみたいなものだった。

 地方のせいぜい数十万人の都市からさらにバスで数十分もかかるような田舎で育ったおれは、朝っぱらから媚びた笑顔の女子アナがきゃあきゃあとはしゃぎながら、首都、東京のトピックスを垂れ流す朝の情報番組が大嫌いだった。あいつらは、自分たちの今いる場所が、世界標準だと勘違いしているに違いない、と、そう思っていた。実際、テレビのクソの役にも立たないグルメやファッションの情報よりも、地元の防災無線のほうがよっぽど有意義な情報を与えてくれたものだ。

 ただ、都会へのあこがれがなかったわけじゃない。いや、当時は誰よりも都会にあこがれていたのかもしれない。

 高校を卒業したおれは、大学にもいかず、中学から始めたギター一本抱えて上京した。どこか行く当てがあったわけじゃない。ただ、何もない空っぽのおれでも、都会に行けば何かで満たされるんじゃないか、そんな甘い幻想を抱いていたに過ぎなかった。


 店内に流れているBGMは、ストリングスカルテット。ここの店長であるマコト曰く、朝は賑やかな音楽よりも、爽やかで伸びのあるストリングスサウンドのほうが目覚めがいいのだとか。

 まるで中世をモチーフにしたロールプレイングゲームの王宮のシーンのように優雅で流麗なハーモニーは確か『ハイドン』の『弦楽四重奏第十七番ヘ長調 セレナード』だ。

 なんて、偉そうにいっているが、おれはクラシック音楽に明るいわけじゃない。ただ、なんとなく聞いたことがあると思って、マコトにこの音楽が何かとたずねたときに教えてもらったのだ。

 ちなみに、このハイドンの弦楽四重奏第十七番は、実はハイドンの作品ではなく、彼の信奉者であるアマチュア作曲家『ホフシュテッター』によるものらしい。どうやら音楽の世界というのは、今も昔もそんなに変わらないんだなと、妙に納得してしまったことで、おれの脳内にこの音楽が強烈に印象付けられたというわけだ。


 おれはどちらかといえばロックのほうが好きなのだが、ここに通ううちにクラシック音楽にも少し興味が湧いた。ああ、それともうひとつ。おれがこの島に足を運ぶ原因となった音楽がある。


 それはこの島で古くから「シマ唄」と呼ばれている音楽だった。

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