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10 林道チェイサー

 愛想よく店に現れたヒメコはおれの顔を見るなり、眉をひそめてくちびるを引き結んだ。どうやら昨日のことはしっかりと彼女に記憶されているらしい。


「土生ヒメコ、だよな」


 今度はあえてさん(・・)づけで呼ばなかった。おれの声に、ヒメコは盛大にため息をついて返事をする。


「なんで、ここにいるってわかったの?」

「単なる偶然だ。それよりもここで何しているんだ? お父さんが心配していたんだぞ」

「そのことなら放っておいてって昨日いったでしょ? あたしはあの人のところに戻るつもりはないの。自分ひとりで生きていくってそう決めたから。用事がすんだのなら、帰ってくれない?」


 用事、といわれておれは思い出したように手をたたいた。


「用事ならある。ハジメさんはいるか? ハブを持ってきたんだ。ここでも買い取ってくれるんだろ?」

「なに? あんたが捕ったわけ?」

「捕ったのはおれじゃないけど、おれのハブであることは間違いないぞ」


 ヒメコはまるで疫病神でも見るようなジトっとした目つきをむけると、ちいさくかぶりを振った。


「人の捕ったハブでお小遣い? あんたこそやる気あるの?」


 ヒメコの嫌味におれも多少むっとした。別におれはハブで生計をたてるわけじゃないし、このハブだってれっきとした仕事の対価であり、それこそ大きなお世話だ。


「おれは別にハブハンターはしてない。なんでも屋だ。それよりも、買い取ってくれるんだろ?」

「今、店長は出掛けてここにいないの。店長じゃないと買い取りはしないから、悪いけどまた出直してきて」


 こうなったらおれも意地だ。「それじゃあ、待たせてもらうよ」といって、おれは店内の椅子にどかりと腰を下ろした。

 ヒメコは「どうぞごゆっくり」と一ミリの歓迎も示さない、とげとげしい声でいって、ふたたび暖簾の奥へと引っ込んだ。


 おれは腕組みをしながら、どうやってヒメコを説得できるのかを考えていた。まず、彼女が家を出たのは彼女の意志だ。そして、土生さんが心配するような犯罪めいたことはしていないと今のところは思える。もちろん、その可能性が完全に排除されたわけではないが、少なくとも彼女は群れて行動をしているわけではなさそうだった。ただ、最大の懸念は、彼女がハブ捕りを生業にしているのではないかということ。できれば、それを辞めさせてやりたいが、それは彼女にとって正しいことなのかどうか、おれは判断をしあぐねていた。しかし、彼女に父である吉助の話をしたところで、心が動くわけではなさそうだし、もっといえば何か確執があるようにさえ感じる。彼女にはもっと別の切り口が必要なのかもしれない。


 考え込んでいると、店の表に車が止まる音がして、そのままエンジンが切れた。おれが店の表に顔を出すと、軽トラックからよく日焼けした短髪の中年男性が降りてくるところだった。頭髪は明るい茶色に脱色されていて、日焼けの肌よりも明るい色をしていた。


「もしかして、ハジメさんですか?」


 おれが彼に近づいてたずねると「ええ」と人懐こそうな笑顔をみせてうなずく。


「この店の店長のはじめ清道きよみちです。なにかご用ですか?」

「実は、ハブを買い取ってもらえると聞いて持って来たんです」

「役場でも買い取ってもらえるのに、わざわざ持ってきてくれたんですか?」

「ええ。この先にある集落の里山さんの畑の手伝いにいって捕まえたんです。彼が大物だからハジメさんの店に持っていくといいといっていたので」


 おれは自分のスクーターに括りつけていた箱を清道に渡すと、彼は嬉しそうに目を細めながら「それは期待できそうですね。早速見てみましょう」といって店の裏手にある保管庫にむかった。


 彼は里山さんが大物といったハブを箱から取り出すと、満足げに眺めて「いいハブですね」と笑う。おれにはハブの良し悪しはわからないけれど、彼には明確な基準があるのだろう。それを保管庫にいれると、残りの二匹も慣れた手つきで次々と保管庫へと放り込んだ。

 彼のその鮮やかな動作に見とれながらも、おれは彼にひとつ質問をなげかける。


「さっきお店にいた女の子のことなんですけど、彼女はいつからここで働いているんですか?」

「ああ、ヒメコちゃん? ちょうどひと月前ほどかな。最初はハブ捕りを教えて欲しいっていわれてね。なんでもお父さんが体を崩して畑の手入れができなくなってるらしくて、今年高校卒業後に自分が代わりにやるから、そのときに、ハブをちゃんと捕れるようになっておきたいといってたよ。高校卒業しても島に残って、家の畑を手伝うなんて感心な女童めらべくゎだろう?」


 どこか自慢げにそういうと、清道は「どうぞ、お店の中へ。持ち込んだハブの買い取りの手続きをしますから」とふたたび店舗の正面へむかう。その後ろ姿におれは呼び止めるようにいった。


「おれはあの子の父親から、彼女を探してくれと依頼を受けている。あの子は高校三年生じゃないし、彼女の父親の畑の話も多分嘘だ。あなたは、彼女の危険行為に手を貸しているかもしれない」

「……なんだって?」


 振り返った清道の顔はそれまでの人懐っこさがすっかりと影を潜め、代わりに自身にむけてなのか、それとも彼を騙してまでここに潜り込もうとしたヒメコにむけてなのか、そのどちらともとれる険しい表情を作っていた。


「おれは大澤アキオ。市内でなんでも屋をやってる。もっとも、こんな探偵ごっこばっかりやっているわけじゃないんだけど、とにかく彼女は家族に何もいわずに家を出ていて、彼女の父親が心配している」

「それは、本当の話かい?」


 おれはうなずく。


「実は昨日、彼女にあったんだ。そのとき、彼女に父親が探していると伝えたが、彼女は戻らないつもりだといっていた。ところで、おれは彼女とどこで出会ったと思う?」

「どこって?」清道は眉間にしわを寄せる。

「保健所だ。彼女はハブの買上げをしてもらうために保健所に来ていたんだ。昨日、元さんは彼女にハブを保健所に持っていくように頼んだんですか?」


 清道は「いや」と呟いて首を振った。おれは続ける。


「おそらく、彼女はここの仕事とは別にハブ捕りをして生計を立てようとしてる。けど、経験の浅い彼女が一人でハブ捕りをするのは危険すぎる。元さん、あんたはどう思う? 彼女がハブハンターとして生きていこうとしていることを」

「ぼくはそんなことは知らなかった。ただ、もし彼女が一人で山にはいっているとするなら、それは辞めさせないといけない……」


 清道は下唇を噛んでうつむいた。おれは得心したように「あの子を一度父親のもとに返すつもりだ」といって清道に了解を得ようとした。つまり、彼女をここでアルバイトさせないでくれ、そういうことだ。

 清道もそれを納得してくれたようだった。しかし、そのとき、店の裏手の扉からヒメコが飛び出してきた。多分、おれたちの話をずっと聞いていたに違いない。顔を真っ赤にしながら、ヒメコはおれに叫んだ。


「人の事情も知らないくせに、勝手に話をすすめるな! あたしは絶対に戻らない!」


 ヒメコは店の裏にとめていたスクーターにまたがると、エンジンを始動させると、甲高い排気音を響かせて走り去る。おれは慌てて、自分のスクーターに飛び乗ると「すまん、また来る!」といい残して、勢い良くアクセルをひねった。

 背後で「大澤さん!」と声が聞こえたが、おれはヒメコを見失う前に、アクセルを全開にして彼女の後を追った。


 昨日はしくじったが、今日は絶対に居所をつかんでやる。おれは躍起になってヒメコのスクーターを追う。法定速度をとうに突破し、検問にかかれば一発免停のスピードだ。それなのに、どういうわけか彼女のスクーターには全く追いつけない。それどころか、道をよく知っている彼女と、全く知らないおれとの差は、コーナーのたびにじわじわと広がる。

 やがて、彼女は県道をそれると、果樹園の広がる小さな集落をぬけ、山道へと進路を変える。細い農道の両側に、背の高い防風林が黄昏どきの暖かな光に深い緑の影を刻んでいる。彼女のスクーターを追いかけながら、それこそ蛇の胴体のようにくねくねとした坂を上る。しかし、その途中でおれはある異変に気付く。

 アクセルをふかしても、スクーターが一向にパワーを発揮しなくなっている。それまでおれは、ずっとヒメコの後ろ姿ばかり追うのに必死で、スクーターのメーターに一切目をむけていなかった。だが、エンジンがいうことをきかなくなり、ようやくおれは自分の犯したミスに気付いた。

 ガソリンメーターがEマークの遥か下を指していた。つまり、おれのスクーターはガス欠ですっかり使い物にならなくなったのだ。


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