目覚めの一番は君でありたい
隠れた月が再び里の夜を淡く照らし始めた。
菖蒲の腕の中には霧雨が眠っている。決して悪い眠りではないようだ。
時折震える瞼を指でそっと撫で、深く落ち着いた呼吸を感じればもう少しこのままでもいいと思った。
「霧雨、父さまと母さまが会いに来てくれました」
菖蒲は霧雨の頭を優しく撫でながらそう一人呟いた。
「私たちの、そして里の将来を憂いて眠ることが出来なかったのですね。ハク殿はずっと私たちの御傍に居てくださったのに、全然気づかなかった。もう会えませんね」
妖刀村正に倒れた忍びたちは闇に紛れて見えない、いや見たくなかったのかもしれない。
消えたハクジとともに村正も一緒に逝ってしまったのか、見渡す限りではそれはなかった。
全てを見届けた菖蒲はただ天を見て涙を流すことしか出来なかったのだ。
すると、カサッと衣擦れがし何かが菖蒲の頬を撫でた。
そこに視線を落とすと、目を細めた霧雨がじいっと見つめているではないか。
「はっ、霧雨っ!よかった、目が覚めたのね」
身体を屈めて霧雨の胸に顔を埋めて何度も「霧雨、霧雨」と連呼する。
霧雨はまだ軋む体に力を入れ腕を伸ばし、菖蒲の頭を何度も撫でた。微かに震える菖蒲の体は、しっかりと霧雨を抱きかかえ離そうとはしなかった。
あの時、霧雨は菖蒲に魅了の術をかけてあの場に一人残してきたのだ。
なのにどうやって此処まで来たのかは分からない、今自分は菖蒲に抱きしめられている。
「菖蒲」
菖蒲は「はいっ」と顔を埋めたまま返事をする。
今顔を上げたら涙でぐちゃぐちゃだからだ。
「顔、見せて」
「・・・今は無理」
「なんで」
「だって、顔、ぐちゃぐちゃ・・・だから」
「なあ、そのぐちゃぐちゃな菖蒲の顔を、見せて?」
耳の側には霧雨の顔がある。霧雨の低い声の振動が伝わってきそうだ。
「頼む」ともう一度声がした。
観念したのか、菖蒲はゆっくりと顔を上げた。
「・・・」
霧雨は目を細めてふわっと笑言った。
「全然、ぐちゃぐちゃじゃない。綺麗だよ」
「霧雨っ!」
「怒るなよ、嘘じゃない。本当」
「もうっ」
とても嬉しいはずなのについ、悪態をついてしまうのだ。
それを知ってか知らずか霧雨は言葉を続けた。
「なんで此処に来たんだ?俺、おまえに術を施した」
「うん。お陰で二日も眠ってしまったんだから。でも、夢を見たの」
「夢?」
「霧雨と修行をしていた頃の夢。いつも置いてけぼりだったけど、霧雨はちゃんと待っていてくれた。でも夢から覚めたら居なかった。だから私、必死でもがいたの」
「そしたら、解けた?」
「うん」
「そうか、すまなかった。俺、菖蒲に危険な目に会ってほしく欲しくなかったんだ」
「知ってる。でも来たかったの」
相変わらず涙の止まらない菖蒲に霧雨は苦笑しながら、ゆっくりと上体を起こした。
霧雨の首筋や手首は赤く擦り切れている。痛々しかった。
「けど、来てくれて助かった。今、目が覚めたときに菖蒲が見えて、俺、幸せだった」
「・・・霧雨」
今度は霧雨が菖蒲を両手で抱きしめる。息がとまるほどに強く。
「なあ、俺。毎朝一番最初に菖蒲の顔が見たい。これからずっと」
「え?」
「俺たち夫婦にならないか。菖蒲と家族になりたい」
「・・・うん」
そしてまた、菖蒲は泣いた。
父と母は私たちの先の事を憂いていた。里が穢れていくのを悲しんでいた。
父たちはその両方を護ってくれた。
だからこれからは、私が霧雨を護りたい。
だからこの先ずっと、俺は菖蒲を護りたい。
そしていつか、二人に子が出来たら。
父と母がしてくれたように二人で護ってやりたい。
もうすぐ里に日が昇る。昨日までとは違う、今日の始まりだ。
あと1話で完結予定です。
今少しお付き合いください。