甲賀の忍び
霧雨はハクジの僅かに残った気配を探り、人里離れた山中に探していた里を見つけた。
緑豊かで、川のせせらぎ、子供たちの泣き声や笑い声が聞こえる何処にでもある普通の里のように見えた。
田畑を耕し、薪を背負い、行き交う人々に忍びの影は見られない。
「ハクジはどこに居る」
あの日、菖蒲に術を施した日から右の瞳は晒したままだ。
全身に意識を集中させながらここまで来た。
ハクジの気配はこの里に辿り着いたと同時に消えていた。
日が暮れると人影は消えた。
霧雨は気配も足音も消し、里に侵入した。
一歩、足を踏み入れただけで背中に悪寒に似たものが走った。
そして全身か針に突き刺されたようにチクチクと痛む。
「チッ、やはり忍びの里。侵入者を感知したな」
そう、いつの間にか霧雨は無数の忍びに囲まれていたのだ。
暗闇に目を凝らすと人影がゆっくり進み出る。
「お前が禁忌を破って生まれた忍びか」
「・・・」
「もう一人はどうした。番ではなかったのか」
「関係ないだろ」
「ほう。関係ないのか」
ジリジリと男は霧雨に迫ってくる。感じた事のない気を緩めれば身体が竦んでしまう程の殺気を放っている。
「暗殺者」
「ふん、生温い暮らしをしていると思ったがお前もやはり同じ血を引いているようだな」
「・・・」
「半分は甲賀の血が流れているのだろう。我らに加担すれば命は助けてやる。徳川の事はよく知っているだろう?」
「・・・断る」
「ふん!では、何をしに来た」
「計画を止める為だ」
「はははは!!温いわ、生温いわ。そんな事で忍びが務まるのか!笑わせるな!」
男が目配せをすると突然、縄が飛んできて霧雨の身体を縛った。
霧雨が避ける暇もなくあっという間の出来事だった。
「くっ」
「直ぐに殺してやってもいいが、禁忌のお前には最も残酷な方法であの世に行ってもらう。お前の大事な者の前で死ぬがいい」
「なにっ!菖蒲に手を出すな!」
「はははっ!聞いたか皆の者、菖蒲を探せ!」
「卑怯だぞ!」
「忍びとはそう言う者だ。よく覚えておけ」
霧雨の喉元に吹矢が放たれ、間もなく気絶した。
その頃菖蒲は妖刀村正を背に暗闇を掛けていた。
忍びに生まれてこの方、夜目は動物並みだ。そして眼帯は付けていない。なにもかもが手に取るようにはっきりと見える。
霧雨が駆け抜ける背中さえも見えそうだった。
菖蒲は全身で霧雨の匂いを感じ取る。
「霧雨はここを抜けた」
木の間をすり抜けると、薄っすらと疎らに灯りが見えた。
「ここが里?」
人影は殆ど見えない。
その時、ザワザワと葉がしなる音がし当たりを緊迫した空気が包んだ。
(しまった、いつの間にか包囲されている!)
「隠れても無駄だ!菖蒲、潔く出て来い。霧雨とやらの命が惜しければな」
(霧雨が捕まった?と言うことは、命はあるという事よね)
「・・・」
「出てこぬのか。ならば仕方がない此方から行く」
声の主は一人だが、狭まる包囲は無数にも感じとれる。
もちろん音はない。忍びの精鋭が掛かってくるなら自分は太刀打ち出来ないだろう。しかし、ここで死ぬわけにはいかない。
せめて、一目でも霧雨をこの瞳に映すまでは!
菖蒲はいちかばちか幻の術を試みる。
複数の人間に掛かるかは分からない。でもそれしか手はない。
ここを何としても突破したかった。
菖蒲が静かに立ち上がると、怪しく光る満月が辺りを照らした。瞳に力を込めると霧が立ち籠める。
「お主!幻の術が使えるのか!」
その時、霧を破るかのように風が吹き見ると数名の忍びが目の前に立っていた。破られたのだ。
一歩、後ろへ下がる。もう一度、術をかけるか、このまま逃げるか。
「菖蒲!」
「はっ、ハク殿!?」
「その背にある刀を抜け!そして、もう一度術を」
ハクジの姿は見えないが声はしっかりと聞こえた。
言われたように菖蒲は背中の刀を抜いた。
そして、もいちど瞳に力を込める。
たちまち妖刀は怪しく光を放ち、先程よりも濃い霧が包んだ。
どんなに風が吹こうともそれは消えない。
今しかない!
菖蒲は里に向かって駆け出した。
「霧雨!待っていて!」
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