俺たちの日課
「さて、そろそろ交代の時間か」
江戸城天守閣の屋根上で昼寝をしていた青年は軽快な動きで城内へ、ピョンと飛び込んだ。
随分と身軽だか、家臣と変わらない袴姿である。
違うのは髷を結っているでもなく、頭上に束ねているわけでもない。
この時代に珍しく短髪だった。
背は平均より高く、手足は長い。
程よく鍛え上げられた身体と締まった筋肉。
右眼には甲冑と同じ素材で造られた赤茶の眼帯をしていた。
男は名を霧雨と言った。
元服は既に済ませ、歳は十八になる。
端正な顔立ちをしており、女性が見れば溜息を漏らすだろう。
「殿っー!何処に居られるかぁ〜、殿っー!」
ドタバタと大の男たちが城内を縦横無尽に駆け回る。
「げっ、またかよ〜」
溜息を吐きながら、いつもの光景を眺めていた。
「霧雨殿っ!やっと戻られたか、殿の姿が見えんのだ」
「なんで毎回そうなるのですか?俺の休憩中は四人も側に着いているってのに…毎回、毎回」
「こちらとて参っておるのだ。殿のお守りは我らには荷が重うて」
「はい、はい。探してきますよっ」
殿は霧雨が休憩の間、毎度こうして逃亡する。
四人の家臣が周りを固めても、何だかんだと悪知恵を絞って公務から逃れようとするのだ。
「かたじけない」
行き先は大体分かっている。
霧雨は欠伸をしながらその方向へ向かった。
**********
「はぁぁ、今日はいい天気。眠い…」
女はここ大奥の女中として暮らしている。
名は菖蒲、十七歳。
手入れの行き届いた庭で、頼まれた生花を摘みに来ていた。
「孝子様は白い色を好むけど、今の時期は難しいのよね」
孝子様とは鷹司孝子、将軍家光の正室である。
しかし、家光とは犬猿の仲。祝言を挙げてから一度も睦まじい姿を見た事はなく、ここ江戸城の悩みの種でもあった。
滅多に他の側室たちとは顔を合さず、離れでひっそり暮している。
菖蒲は孝子が唯一心を許した女中で、性格は明るく温厚で笑顔の可愛らしい娘だった。
艷やかな黒髪、白い肌、男性が間違いなく好む容姿をしている。
ただ、子どもの時から左眼に眼帯をしている。
外した姿を見たものはこの大奥ではまだ居ない。
ガサッ、ガサッ
ん?あれ?…、…またいらしてる。
「ふふふっ、殿?みーつけたっ」
「ぬわっ!菖蒲かっ。お主には敵わんの。何故分かった」
「だって殿、尻隠して髷隠さずですよ」
ケラケラと笑う菖蒲を見ながら、高く結われた髷を触る。
男の名は家光。
「こうも毎回見つかっては何か考えねばならぬな」
家光は遠慮もなくケラケラと笑う菖蒲を好ましく思っていた。
柳生のオヤジも良いものを送り込んだものだと。
柳生のオヤジとは柳生宗矩、剣の達人であり霧雨と菖蒲の師匠でもある。
「殿?家臣の爺さんたちが泣いてるんだけど」
「っ!?霧雨っ、もう昼寝は終わったのか!」
霧雨といい菖蒲といい殿に対して全く気遅れしていない。
同等、むしろ時に上からものを言ってくる始末だ。
たが、家光はこの二人を大変可愛がっていた。
霧雨、菖蒲。二人は徳川に仕える隠密である。
霧雨は主に家光の護衛を、菖蒲は孝子の護衛を務めている。
家光の命には忠実に確実に任務を遂行する凄腕の持ち主だ。
「殿、隠れんぼはお終いです。お帰りください」
こうして、毎回同じ場所で同じように連れ戻されるのだ。
「殿、会いたいのならそう言えば良いではないですか」
「煩いっ!霧雨に何が分かる」
たぶん孝子に会いに来ているのだ。
そして、たぶん孝子もそれを知っている。
困った二人だと霧雨と菖蒲は思うが、主のそう言った部分にはまだ踏み込まずに傍観しているのだ。