家光の憂いと孝子への想い
クンクン、クンクン、クンクン、厶?
さっきからハクジが俺の周りを嗅ぎ回っている。
何しているんだと言ってやりたいが、禄なことは言わないだろうから無視をしている。
クンクン煩え、こんな時に耳が良いのは困りものだ。
聞きたくないのに、聞こえてくる。
『菖蒲の匂いがする』
「・・・(やっぱり禄なことじゃない)」
『俺に感謝しろ』
「・・・」
『ふむ、まあいい。菖蒲に聞こう』
「おいっ、お前が期待しているような事は何も無いっ」
『俺が期待している事とは、なんだ』
「ク・ソ・ハクジィ!」
フンと鼻で笑い、消えた。
今日は家光様と遠出の予定だ。
どうも籠ではなく馬で行きたいらしい。家臣を振り切りうという作戦だろう。
「霧雨殿、恐らく我らは撒かれる故いつもの場所で待機しておる」
見ろ、出発前から諦めているだろ?
仕方がない、家光様もたまには一人になりたいのだろう。
最近は真面目に大奥通いもしているし、側室候補も片手では足りない程にまで増えたからな。
「承知しました。お任せ下さい」
「霧雨殿には今度良い女子を紹介致すゆえ?」
「っ、遠慮、致す」
そして、馬に跨り城を出た。
「なんだ、年寄りどもはもう諦めたか」
「殿の馬に追いつくのは無理ですよ。皆、いつもの茶屋で待つそうです」
「なんだ、つまらん」
馬を走らせること半刻(約1時間)、見晴らしいの良い丘に立った。
此処からは江戸城が見える。
「霧雨、菖蒲は大事ないか」
「はい、菖蒲も忍びですから簡単にはヤられません」
「うむ、お主も付いておるからな」
「いえ」
「はぁ、早く世継ぎが欲しいもんだ。どれかが男子を妊めば大奥通いも休むことが出来よう」
「殿と言うお立場は難儀ですね」
「これも運命だ、仕方があるまい。しかし、本来夫婦とは子が有るか無いかなどで崩れるものではないであろう?欲しければ育てられぬ者からから貰えば良いのだ。出来る者が、出来ない者の代わりをすればよいだけの話。柳生のオヤジのようにな」
家光様は子が産めない孝子様を心から慕っている。
子が産めないだけで世間から冷たい目で見られるのはおかしいと、夫婦の問題であって他人から言われる筋合いはないのだと。
しかし、家光様の立場がそれを許さない。
だから、毎夜大奥に通い早く世継ぎが産まれれば孝子様への誹謗が遠退くのではないかとお考えなのだろう。
「殿・・・」
「霧雨よ」
「はい」
「男は情がなくとも子種を注ぐ事ができる。しかし、お前は情の通ったたった一人の女にしか注いではならんぞ?これは俺からの命だ。よいな」
「・・・はい」
吹っ切るように馬に跨り、家臣の待つ城下へ戻ったのは日も落ちる僅か前だった。
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『菖蒲は眠くならんのか?』
「ハク殿ったら、何度目の欠伸ですか?」
『うむ、菖蒲とおると気持ちが落ち着くのだろう』
「ふふふ、霧雨が聞いたら拗ねるかも」
『あいつはガキだからな』
霧雨は今日、殿のお供で遠出をしている。例の件が落ち着くまでは霧雨が城内に居ない間、俺が菖蒲に憑くことにしている。
なんと、霧雨が持ち出した案なのだ。
むふふ、やはり隅に置けんやつだな。
「孝子様お手を」
「ありがとう、菖蒲?今日は何だか不思議な気分です」
「と、申しますと?」
「あの方の視線を感じます。此処には居ないというのに」
家光様は何処からか孝子様を見ているのだろうか。
確かに気配はないのだけれど・・・
『菖蒲、孝子様が飲んでいるのは茶か?』
「ん?あれは薬湯です。十歳の頃から飲んでいるとか。お陰で流行病にかかったことが無いと聞いています」
『薬湯?』
「日に一度、鷹司家から一緒に来た女中が淹れて来るのです。飲み慣れたものみたいですよ?」
『・・・』
あれは何処かで嗅いだ事があるが・・・
「ハク殿?」
『俺は少し昼寝をしてくる。何かあったら呼ぶのだぞ』
「はい」
どうも気になる、何だあれは。
いつものハクジなら流すところだか、これは何かが引っ掛かる。
女中の跡をつけ薬湯の元となる葉を何枚かくすねた。
じーっと見つめては、クンクンと嗅ぐ。
口に入れてガジガジと噛んでみる、ペッと吐き出す。
『ここ迄(喉)出てきておるのだか、はて?何だったか』
薬草に疎い狼の死霊は頭を抱えていた。