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 国道を浜松方面へ進んでいくと、やがて、小さなトンネルが現れた。

 愛知県と静岡県の境界線にあるトンネルだ。

 僅か10秒程で通り抜けた途端、眼下に夕日にきらめく太平洋が広がっていた。

 8月の夕日にオレンジ色に染まる空と、波に反射する光りで銀色に輝く大海原が、突然、視界いっぱいに広がって、その美しさに私は息を呑んだ。


「す、すごーい・・・なんて綺麗・・・」

「だろ?地元でこんな綺麗な景色が見れるのに勿体無かったよな。俺ももっと見ておけば良かった」


 ハンドルを操りながら、拓馬は独り言のようにポツンと言った。

・・・見ておけば良かった?

 その言葉尻に、私は思わず首を傾げる。


「あれ、拓馬、今、実家にいないの?」

「いねーよ。俺、京都の大学行って、そのまま大阪で就職したから」

「そ、そうだったの?じゃ、今日は?」

「俺も盆休みで帰省してんだよ。いつもここにいる訳じゃない。だから、今日はお前と会えて良かった」


 少し寂しそうに拓馬は言った。

 拓馬が大阪にいたなんて全然知らなかった。

 言われてみれば、拓馬が高校卒業してから今まで歩んできた人生を、私は全く知らないのだ。

 運転席の拓馬の横顔が急に知らない男性に見えて、私は目を擦った。


「そっか・・・拓馬も偶然、帰省してたんだね。全然知らなかったよ」

「ああ、お前はいつも俺の事嫌ってたもんな」

「・・・まあ、そうかも」

「ハハ・・・はっきり言ってくれるよな。でも、俺は好きだったんだぜ、お前の事」

「・・・えっ?」


 耳を疑うような言葉が彼の口から飛び出して、私はギョッとして顔を上げる。

 サングラスの隙間から横目でニヤリと笑うと、拓馬はアクセルを踏み込んだ。


「さあ、海着いたぞ。せっかくだから、浜に降りてみようぜ」



 バイパスを降りて海岸線沿いに少し走って行くと、拓馬はガードレールの切れ目からワンボックスをその隙間に乗り入れた。

 フロントガラスの前は真っ白な砂浜だ。

 白い波が打ち寄せる砂浜は限りなく続いていて、夕日を受けてキラキラと光っている。

 拓馬がエンジンを切るのも待ち切れず、私は浜に向かって飛び出した。

 さっきまでの街の熱風とはうって変わった、ヒンヤリした潮風が頬を撫でていく。

 夕暮れの浜辺は怖いくらいに人影がない。

 じっと水平線を見つめているだけで、押しては返す波に連れて行かれそうな、不思議な感覚を覚えた。


「おい、萌絵、水に浸かるなよ。すっ転んでびしょ濡れになったら、裸で車に乗ってもらうからな」


 背後で拓馬の低い声がした。

 至近距離で立っている拓馬は、子供の時よりずっと大きくなって、私の事を優しい目で見下ろしている。

 

・・・ああ、拓馬ってこんな顔する人だったっけ?


 少し釣り上がった切れ長の目はガキ大将だったあの頃と変わってない。

 でも、内面から染み出てくるような優しい表情に、私の胸は締め付けられた。

 

「浸かりませんよ。子供じゃないんだから」


 熱くなった顔を隠したくって、私はベーっと舌を出して波打ち際を走った。

 傾いていた夕日はどんどん赤くなって、空いっぱいにオレンジ色が広がった。

 日本の一番端っこに位置するこの海岸には終わりがない。

 どこまで走ってもきりがないくらい、砂浜は果てしなく続いている。

 

 ああ、なんて広いんだろう。

 1年間、名古屋であの男と暮らしたのが、どれほど小っちゃくてくだらない事だったか。

 この広い海原の前では、大抵の人間の悩みは浄化されてしまう。

 そんな気がした。


 やがて、オレンジ色だった空が薄紫に変わり、気の早い一番星が頭上に現れた。

 冷たくなった潮風がノースリーブのワンピから出た肩に当たる。


「萌絵、そろそろ帰るぞ。お前の母ちゃんが心配する頃だ」


 拓馬がワンボックスのキーを指先でガチャガチャ回しながら、背後にやって来た。

 大きな体を屈めて私の顔を覗き込むと、満足そうに笑う。


「な、元気出ただろ?俺も嫌な事あると、結構、ここ来るんだ。お前も嫌な事はもう忘れちまえ」


 私の事、心配してここに連れてきてくれたんだ・・・。

 昔の拓馬からは考えられない心遣いにまた胸が熱くなった。


「うん・・・ありがとう、拓馬。私、また頑張れそうな気がしてきた」


 今までの私からは考えられない素直な言葉が自然に口から出たのに、自分でもびっくりした。

 拓馬は返事の代わりに私の頭をクシャっと撫でて、優しく笑ってくれた。

 ああ、どうして私は気が付かなかったんだろう。

 口喧嘩しながらも、優しく私を見つめてた拓馬の視線に・・・。




 私達が浜辺に停めたワンボックスに乗った時、群青色の空には星がポツポツと輝いていた。

 

「悪い。すっかり遅くなっちまったな。速攻帰るから、お前も母ちゃんにメールしとけよ」


 そう言いながらブレーキレバーを握った拓馬の左手を、私は思わず掴んだ。

 

「あの、も、もう帰るの?」

「そのつもりだったけど?」


 私が必死の表情で左腕にしがみついたので、拓馬は困惑した顔でレバーを下ろした。

 

「どうした?」

「・・・もう少し」

「何だよ?」

「もう少し、話したい」

「え?」


 突然の私の提案に、拓馬は驚いて目を見開いた。

 海を見て気持ちに整理がついたのか、彼の優しさに甘えてしまったのか。

 今のこの穏やかな時間を終わらせる事が、私にはとても辛かったのだ。

 拓馬はしばし沈黙した後、穏やかな表情に戻って「いいよ」と言った。

 

「ありがとう、拓馬。ゴメンね」

「別に構わねーよ。なんか、相談事でもあるのか?」

「いや、特に、そういう訳ではないんだけど・・・」


 ただ、もう少し、拓馬と一緒にいたい・・・なんて、本当の理由を言える筈もなくて、私は口籠った。

 拓馬は運転席から暗くなった海を見ていたが、急にポツンと言った。


「なあ、結局、なんで離婚しちゃったんだよ?」

「え・・・」

「だって、たった一年だろ?DVでもあったのか?」

「・・・・・・」


 いつか聞かれるだろうと覚悟はしていた。

 でも、拓馬になら話してしまいたい、と思って、私は口を開いた。


「・・・私が悪いの」

「え?」

「彼の浮気で離婚したっていうのは建前で、本当は私が体の関係を拒否し続けたからなの。だって、結婚する前は焦らなくてもいいって言ってくれてたのに、結婚した途端・・・モガ!」


 R18用語を言いかけたところで、拓馬の大きな手が私の口をガバっと塞いだ。


「ちょっと待て。落ちついて、ゆっくり話せ」


 今までにない真剣な表情で、拓馬はそう言った。


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