緋色の夢 5
『協力してくれないか。』
主の部屋に向かう途中の回廊を歩いているとカーライドに呼び止められ、話があると前置きした後、彼はそう告げた。
唐突な話の切り出しにどの事についてかの見当が付かず、何を協力して欲しいのかを尋ね返す。
すると彼は、主の為を思うのならば、短剣を用いて襲うフリをしろというのだ。
確かに自身が仕えている主…緋色の女王は、とある事件が切っ掛けで力を失っており、再び覚醒させる為には女王自身が命の危険を感じて潜在的な力を出す必要があると、青年は真剣な表情で話す。
しかし、いくら演技とは言え、そんな事は許される筈がない。
『騎士団長直々のご提案ではありますが、私は賛同しかねます』
『確かに無茶な提案であるかもしれないが、あの方を復活させるにはこれしかないんだ。頼む、キリク』
主君を除けば次に位が高い筈の青年が深々と頭を下げて、所詮世話係でしかない自分に頼み込むその姿は、普段では有り得ない光景だろう。
騎士団長である方がそのような事をする必要はないのだからと、頭を上げるように諭した。
だが、それは決して賛同するという意味合いではない。
『……ディセンダ様、私は一介の付き人であり、貴方様はあの方を御守りする騎士団を統括する立場ではありませんか。』
『しかし、』
『 私はお断りすると申し上げているのです、ディセンダ様。』
『あの方を考えているからこその提案ではないか!何故それが分からない!?』
真っ直ぐに彼を見据え、自らの意思は懇願されても変わる事はないと、はっきり告げた。
すると少し口調を荒げてより強く訴える青年は理解できないといった表情でこちらを見詰めるも、それに対し頭を左右に弱く振って主君を心配していない訳ではないと反論する。
『お言葉ですが、それは立派な謀反となります。それこそ、何故貴方様ともあろう方がお分かりになられないのですか…?』
青年が天界の聖域を守る騎士団長として、そして一人の男性として、女王を深く想い、慕っている事は知っていた。
本人は隠しているつもりなのだろうが、普段の言動の端々には、そういった個人的な感情が見え隠れしている事を、付き人である自分には分かっているのだ。
けれど、彼のその盲目的であり、盲信的な感情がある事を知っているからこそ、尚更賛同出来るものではない。
此方の言葉に青年はただ、悲しみにも、憐れみとも受け取れる表情を浮かべている。
これ以上言葉を交わしたとしても互いの意見が合致する事はないだろうと察し、私はただ失礼致しますと深々と礼をした後、彼に背を向けてこの場を立ち去ろうとした―――が、
『待て。』
すると、こちらの腕を掴んで制止の言葉を発し、振り向けばいつの間にか傍らには青年の片腕である副団長の少女の姿が視界に映って。
『…残念だよ、キリク=ノキア。』
彼がそう呟いた直後、微笑みを深くした彼女が私の背後へと回る。
腕を強い力で掴まれている為に動けない私は彼らの行動をただ見ていることしか出来ず、無言のまま睨むように彼を見上げて抵抗の意を示した。
彼はこちらの顎に手を添えて顔を固定し互いの視線を合わせると 、もう少しで唇が重なる位までの距離まで顔を近付けてくる。
『あの方の一番傍に居る君になら分かってくれるかと…そう思っていたのに。』
酷く冷たい表情で囁くように呟き、にやりと人の悪い笑みを浮かべて彼は少女の名前を口にした。
鋭い痛みが、首筋に走る。
何をするのかと、声に出し反論しようとしたが、どんなに強く言葉を発しても息が漏れるだけで一言も音にならない。
時間が経つにつれ全身が痺れる感覚に陥り、支える事が難しくなった脚がかたかたと震え始めた。
それを見て掴んでいた腕に力をかけて上から押さえ込むように体を捩じ伏せると、乱暴に倒された体は痺れから受け身を取ることも出来ず、叩きつけられた部位が鈍く痛み始めて、
『…最初からお前に選択権などない。我々に“協力”してもらうぞ。』
その言葉を最後に、意識は闇へと暗転していった。
次に目を冷ましたのは、女王の王座が存在している聖堂の中。
彼女は困惑の表情を浮かべ、ゆっくりと後退りしている。
何故、と、聞くまでもなかった。
私は美しい装飾が施されている短剣を握り締め、彼女を追い詰めていたのだから。
止まれと思っても、歩む足は止まらない。
逃げてと叫んでも、唇が紡ぐこともない。
自らの体が自分のものでないかのように勝手に動き、主君である彼女を追い詰めていた。
『やめて……キリク………!!』
主君は首を振り、やめてくれと必死に訴えている。
しかしこの体は自分のものでありながら自らの意思で自由に動かせず、機械的に一歩、また一歩と近づいていた。
壁に追い詰められた女王の目の前に立ち、利き腕である右腕はゆっくりと短剣を振り上げる。
そして、涙を浮かべて悲痛な表情の彼女に、振り下ろされた。
『………ッ!!』
反射的に目を瞑る顔が、視界に映る。
しかしその凶刃は、彼女には届くことはない。
『……サ、ウス…様……、』
一瞬、本当に一瞬だけ、体の呪縛が解かれた。
彼女目掛けて振り下ろされていたその矛先を、強い力で引き寄せて自らの腹部に突き刺す。
抉るように自らの血肉を裂き、刀身は深々と埋め込まれて、そこから夥しい呪詛の羅列が吹き出していった。
つんざくような悲鳴が辺りに響き渡る。
泣きながら名前を呼び、必死に回復の霊術を唱えている彼女を見て、私は既に地に伏していたのだと理解した。
同時に、無事に力を取り戻せた事を知り、安堵する。
『サウス様!?』
騒動に対し慌てて駆けつけてきたのは彼女の右腕であり、騎士団長を勤めている青年だった。
意外な事に、彼は驚愕の表情でこちらを見ており、恐らく彼が言っていた“協力”の中にここまでの事態は想定されてはいなかったのだろう。
本来であればただの脅しのつもりだった筈なのだ。
だからこそ、想定外の事に彼も酷く狼狽していた。
『どうして…どうしてなの……キリク…!!』
涙ながらに声をかける主君に何かしらの想いを伝えようと唇を動かすも、もう上手く言葉を発する事が出来なくなっていて。
先程の呪詛が原因だろうと思い返しつつ、この様な強力な呪詛は副団長の彼女の力以外には有り得ないだろうとも感じた。
涙をぼろぼろと流す彼女の顔が、徐々に白く霞んでいく。
私はただ精一杯、笑う事しか出来なかった。
(…思い、出した)
今の走馬灯のような映像でこの“もう一人の自分”は過去の自分だったのだと、確信する。
今と同じように既に声を発する事が出来ず、ありがとうも、ごめんなさいも、さようならすらも、言えなかったのだ。
だからこそ“彼女”はもう同じ事を繰り返させない為に今、こうして現れたのだろうか。
自らと同じくそっと兄に寄り添うキリクという女性は、記憶の中の母のようなとても優しい表情をしていた。
(…大丈夫、)
女性の手に自らの手のひらを重ね、お互いに視線を交わし、微笑む。
(“私達”が、助けてあげるから)